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転載開始====================================================================================
【社会部発・被災地から】
「恩返すまで死ねない」老人が漏らした嗚咽 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110421/dst11042121210046-n1.htm
2011.4.21 21:21
悲しさや悔しさではない。心の奥底の感情が、そのまま噴き出したとしか表現できない涙。そんな涙を流して嗚咽(おえつ)する“老人”の姿を見たのは、生まれて初めてだったかもしれない。3月26日から約20日間、被災各地を巡った。岩手県大槌町の中央公民館では、避難者らの暮らしを取材した。震災から約1カ月が過ぎ、住民らは不自由ながらも避難生活に慣れてきていた。その半面、震災当初の緊張が薄れ、避難所には疲労と倦怠(けんたい)が侵食してきているように見えた。消されたテレビ。薄暗がりの中に響く、くぐもった話し声。一日中横になったままの人々…。この傾向は、特に高齢者に顕著だった。「退屈ではないか。何か必要なものはないか」。避難者らにそう聞いて回った。そこで出会った道又康司さん(79)は「食事も毛布もあり、何の不自由もなく過ごしている。不満などない」という。「そんなものなのかな」と安易に納得してしまっていた。岩手を去る前日、取材で知り合った方々にあいさつするため、この避難所を訪れた。その際、道又さんも見つけた。取材のお礼を述べると、「ちょっと話を」という。そこで避難所の端のいすに並んで座った。道又さんは「食事や衛生面に不満がないといえば嘘になる。しかし全国の皆様から本当に温かい支援をいただいている上、周囲に大勢の避難者がいる中では言えなかった」と明かした。その言葉を聞き、繊細な取材を怠った自分の顔が赤らむのを感じた。さらに、関東に住む息子から同居の誘いがあったこと、その誘いを断り町に残る決心をしたことを教えてくれた。「大槌の復興には10年以上かかるだろう。しかし私は、もし再びどこかで災害が起きたとき、復興した大槌が今度は恩返しをする姿を見届けてからでないと、死んでも死にきれない…」言葉の途中で、道又さんは嗚咽を漏らし、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。最後に50歳も年下の私に差し出された手の温かみと涙の感触は、今もこの手に残っている。(小野田雄一)
====================================================================================転載完了
「復興した大槌が今度は恩返しをする姿を見届けてからでないと、死んでも死にきれない…」
敷島の 大和心の 雄々しさは
事あるときぞ 現れにける
事あるときぞ 現れにける
明治天皇の日露戦争時のこの御製を、東日本大震災発生以降何回当ブログで引用したろうか。だが、再び三度引用したくなるような上掲記事なのである。
報じられているのは震災以降1ヶ月を越えた被災地は避難場所の情景。流石に疲れと倦怠感の見えてきた被災者達に「拍子抜け」の態の記者が、一定期間取材を終えての別れの挨拶廻りで見た、被災老人の涙、否、慟哭である。
報じられているのは震災以降1ヶ月を越えた被災地は避難場所の情景。流石に疲れと倦怠感の見えてきた被災者達に「拍子抜け」の態の記者が、一定期間取材を終えての別れの挨拶廻りで見た、被災老人の涙、否、慟哭である。
> 「大槌の復興には10年以上かかるだろう。
> しかし私は、もし再びどこかで災害が起きたとき、
> 復興した大槌が今度は恩返しをする姿を見届けてからでないと、
> 死んでも死にきれない…」
> しかし私は、もし再びどこかで災害が起きたとき、
> 復興した大槌が今度は恩返しをする姿を見届けてからでないと、
> 死んでも死にきれない…」
「故郷大槌の復興を見たい。」ではない。
今抱える不安や不満のためでもない。
復興のその先、別の地方なり地域なりが被災した際にこれを救援し、今回の東日本大震災救援の恩返しをする、故郷・大槌を見るまで、死んでも死に切れないと、大の男が涙を流すのである。
これは、「男の涙」とか、「男泣き」なんてものも凌駕する、正に、慟哭である。
今抱える不安や不満のためでもない。
復興のその先、別の地方なり地域なりが被災した際にこれを救援し、今回の東日本大震災救援の恩返しをする、故郷・大槌を見るまで、死んでも死に切れないと、大の男が涙を流すのである。
これは、「男の涙」とか、「男泣き」なんてものも凌駕する、正に、慟哭である。
慟哭するのは道又康司さん(79)。もう大分高齢で、年齢的に言うと「辛うじて戦中派」と言うところだろう。
道又康司さん(79)は、老人・老齢の男性だから、或いは戦中派だから、もしくは我慢強い事で有名な東北の人だから、斯様な凄まじい慟哭を放ったのだろうか。
道又康司さん(79)は、老人・老齢の男性だから、或いは戦中派だから、もしくは我慢強い事で有名な東北の人だから、斯様な凄まじい慟哭を放ったのだろうか。
Maybe。残念ながらその可能性は否定し難い。もっと若い戦後派や「最近の若い者」、或いは東北以外の東京人か大阪人、若しくは私自身にしてから、斯様な凄まじい慟哭を放てるか、放っているところを想像できるかと問われれば、自信はない。
だが少なくとも私は、この東北人の戦中派・道又康司さん(79)の放った慟哭に、日本人の一つの理想、伝説と言っても良いほどの理想像を見出す。(*1)
「東北の戦中派」以外の日本人からその理想が失われてしまったのならば、取り戻したいと、切に願うし、また、それはある程度は可能だろうと信じる(*2)のである。
だが少なくとも私は、この東北人の戦中派・道又康司さん(79)の放った慟哭に、日本人の一つの理想、伝説と言っても良いほどの理想像を見出す。(*1)
「東北の戦中派」以外の日本人からその理想が失われてしまったのならば、取り戻したいと、切に願うし、また、それはある程度は可能だろうと信じる(*2)のである。
敷島の 大和心の 雄々しさは
事あるときぞ 現れにける
事あるときぞ 現れにける
<注釈>
(*1) これが新聞記事ではなく人の噂話だったりしたら、都市伝説の一つに数えていそうなぐらい、簡単には信じられない話だろう。(*2) 私が「ある程度」と限定をつけたくなるのは、一つには菅直人や鳩山由紀夫や仙谷由人などが斯様な慟哭を発する姿なんて、全く想像できないからである。
泣き声だけはワアワア発しそうであるが、絶対に魂はこもるまい。