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中身の無い社説
如何であろうか。
以下に述べるのは、上掲東京新聞社説を受けての私の意見。私の意見は私の意見にしか過ぎない。突き詰めれば「私見」だ。
重要なのは、ことに民主主義体制下に於いて重要なのは、「自分の頭で考える事」。単純な受け売りではなく、自らの意見を編み出す事。そこに新聞社説なり、報道番組なり、公式発表なりが、影響する事は無論あろうが、何も考えずに丸呑みの受け売りとあっては、民主主義は半分死んだも同然だ。貴方の投じる一票は、私の投じる一票と同様に有効であり(*1)、そうであればこそ、私が当ブログ他で鳴らした警鐘にかかわらず、「民主-社民-日本新」連立政権による政権交代と民主党が日本憲政史上最多の議席数を獲得すると言う、今に至る悪夢が一昨年夏に実現してしまったのだ。、
その「悪夢」もまた無論、私にとっての「悪夢」にしか過ぎない。
だが、その私にとっての「悪夢」が、懸命に熟慮の上の「国民の選択」ではなく、マスコミの煽動やら、雰囲気やら、イメージやらの「国民が自らの頭で考えた結果ではない。」とするならば、私は我が国に於ける民主主義体制と言うものに、絶望せざるを得ない。現状は辛うじて、絶望をまだ、免れているのであるが。
失望すれども、絶望せず2-衆院選自民惨敗民主大勝を受けて- http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29646281.htmll
それはさておき、
長々と民主主義と絶望の話をしている間に、貴方の上掲東京新聞社説に対する評価はまとまっただろうか。未だならば、もう一度上掲社説を再読の上、まとめる事をお勧めする。その方が、もし私の意見と異なる意見を抱いた場合(*2)、実のある議論が出来る可能性が増す(*3)だろう。では5行ほど後に、我が意見を開陳するとしよう。
さて、当該東京新聞社説。一言で言えば「中身が無い」のである。章題にもした通りだ。
何しろタイトルからして「悲劇居の教訓どこに チェルノブイリ」であり、冒頭の一節は以下の通り。
1> チェルノブイリ原発事故からまもなく二十五年。
2> 広大な地域がいまだに放射能に汚染され、被災者の苦難は続く。
3> 福島第一原発事故が進行中の今、「チェルノブイリの悲劇」を問い直したい。
以下、延々と如何にチェルノブイリが「悲劇であり、今も悲劇か」が縷々述べれられる。
4> 事故が原因の死亡者数について国際原子力機関(IAEA)は約四千人と推計するが、
5> 専門家の間には数十万人に及ぶとの見方もある。(*4)
6> ベラルーシでは約四千人の子どもが甲状腺がんになり、(*5)
7> 現場で事故処理にあたった作業員など約六十万人の間にがんなどが増加(*6)
と「死者4千人の推計だが数十万人との見方もある」「子供の甲状腺ガン約4千人」「約六十万人の間にがんなどが増加」などのおどろおどろしい数字が並ぶ。但し、最後者の「約六十万人」は「現場で事故処理にあたった作業員などの数」でしかないことに気付くぐらいの人ならば、その煽りにも乗せられずに済むだろう。逆に「煽りじゃない。」と東京新聞社説が主張するためのアリバイ作りとも、考えられるが。
で、ラス前の一節でゴルバチョフが登場し、
8> ゴルバチョフ氏は、福島第一原発事故の直前、科学誌上で
9> 「チェルノブイリは警告サインだ」と指摘し、
10> 原発の建設と稼働に「徹底的な慎重さ」を求めていた。
最後の一節は福島原発事故と日本に戻ってきて、
11> 日本はチェルノブイリから何を学んだのか。
12> 事故後、欧州で「脱原発」の動きも広がったが日本は原発建設にまい進した。
13> 福島第一原発事故の事故評価は既にチェルノブイリと並ぶ「レベル7」となった。
14> 教訓を重く受け止め原発の是非について再検討するべきだ。
上記13>で「レベル7」に言及する辺り、福島原発事故とチェルノブイリを同一視し、それ以前の「チェルノブイリの悲劇」で「福島原発事故の恐怖」を煽ろうと言う、美事な煽動である。
左様、煽動である。煽動でしかない。
私が当該東京新聞社説を「中身が無い」と断じるのは、この最後の一節=上記11>~14>しかこの社説の中身は詰まっておらず、中でもエッセンスは上記14>でしかない。しかもそれが、ただの煽動だからである。嘘ではないかも知れないが、デマゴーグではある。
チェルノブイリと今回福島原発事故との相違は、遅まきながらも産経がまともな記事を以下URLにまとめている。要は原子炉の制御に失敗して暴走し、火災も起こして炉心が直接ばら蒔かれた原発史上最大最悪の事故がチェルノブイリだ。
チェルノブイリ、スリーマイル島原発事故との違いは? http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110403/dst11040320340044-n1.htm
チェルノブイリ、スリーマイルとの相違-報じるのが遅い http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35021633.html
幾ら福島原発事故が「レベル7」とされて、「レベル7」はチェルノブイリと同じと言うのは事実だが、それは「レベル7」が最大だからであって、「チェルノブイリと福島原発事故が同格だから」ではない。物理現象は特に悪化したわけでもなければ、直接的には「悪い状態と分かった」訳でもない。
「レベル7に成った」ではなく、「レベル7だったと判明」した」のだ。物理的現象は同じで悪化していない。 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/35072851.html
その辺りの定量的評価を無視して、パニックに陥るか煽動を目的とした輩が、「母乳から放射性ヨウ素が検出」と言うだけで「赤ちゃんには放射線耐性が無い!」等と煽りだす。先ごろ発表されたとおり、乳幼児は放射性ヨウ素が甲状腺に溜まりやすいから、成人に対する安全基準と乳幼児に対する安全基準は水道水に対する放射性ヨウ素密度として倍違うのであり、その倍違うと言う基準は、正しくチェルノブイリ事故による被害調査の結果を反映している。母乳が出なければ水道水でミルクを造るのが普通だから、「母乳に対する放射性ヨウ素の安全基準が無い」としても、それは「水道水に対する乳幼児の放射性ヨウ素安全基準」より緩和される筈だろう。
現状は、「母乳から放射性ヨウ素が検出された」だけであって、その放射性ヨウ素の濃度は、水道水の乳幼児に対する安全基準を下回っている。
大分話がそれたが、そんな煽り記事を個人的ブログやらツイッターやらに書き込む輩は、故意にせよ偶然にせよ、その責任を追求されるような事は先ず無かろう。
だが、新聞の社説はそうではない。マスコミを「社会の木鐸」「公器」とするのはあくまで理想論であり、現状が程遠いのは承知の介だが、言説に対する責任と言う意味では、当然ながら、ブログやツイッターなどの比ではない。
左様、当ブログなんかよりも遥かに思い責任を、東京新聞社説氏は背負っている筈だ。
その東京新聞社説氏に問おうではないか。
貴紙は斯様な中身の無い煽動一点張りの言説に「社説」と銘打ち、紙上を占めることに、良心の呵責は感じないのか、と。
良心の呵責など無いと言うならば、それはそれで私は構わない。
東京新聞と社説とは、東京新聞とは、その程度のものとみなすまでだ。
正直言って、「良心の呵責を感じる」と、期待すらしていない。
私が当ブログに何度も書いているように、社説は新聞の顔であり、時に存在理由でさえあると、私は考えるのだが、東京新聞は違うのであろう。
如何に、東京新聞社説氏。
如何に、東京新聞。
<注釈>
(*1) 無論、貴方に日本の参政権があると仮定して、の話が。現状ではそれは、自動的に貴方が私と同様、日本国民であることを意味する。民主党政権が長いとどうなるか知れたものではない・・・ではなく、確実に国民以外の選挙民が誕生する。(*2) そう言う人間もこの世に数多居る事は承知の上だ。私は当ブログ開設以来、国民やら一般大衆に呼びかける事はあっても、私自身が国民や大衆を代弁しているなどと主張した事は無い・・・多分。(*3) 決して実のある議論を保障するものではないが。それに第一、コメントなり呼応記事なりで、私に議論を仕掛けてこなければ、議論も始まらない。陰口なんてぇのは、別に止めしないけれども、非生産的だと思うぞ。ついでに一言。このような「読者への挑戦」スタイルは、エラリー・クイーンのミステリに多数あり、アイザック・アシモフもそのミステリの一部に使っている。「ユニオンクラブ奇譚」だったかな・・・(*4) 「土壌が汚染された地域に住む600万人」「現場で作業に当たった30万人」に対して「事故が原因の死亡者数数十万人との説」と何の注釈も入れずに書いてしまえる神経が知れない。「現場作業者30万人から数十万人が事故が原因で死亡したならば、他の原因(自殺、事故、病気、老衰、そのほか)による死者は居ない筈だろう。」と誰も考えて居なかった事が伺える。つまりは、恐怖を煽るだけの数字と断ぜられる。当たり前だが、チェルノブイリ事故が無くても人は死ぬ。有意なのは「事故が原因の死亡者」だ。(*5) これも母数なしでは意味が半減だな・・・チェルノブイリ事故が無くても甲状腺ガンになる人間は居るだろう。それより増えたのか、減ったのか、その差分の数が問題だろうに。(*6) 今度は母数だけで、何人増えたのかが書いていない・・・