応援いただけるならば、クリックを⇒ https://www.blogmura.com/ 

 今回取り上げるは朝日新聞の社説。「原発をどうするか」と銘打って、4/20付けで二本立てで出された社説の片割れ「脱・依存へかじを切れ」である。タイトルを見ただけで、中身は凡そ見当がつきそうだが、その検討は裏切られないから、その意味ではなんともつまらない社説だ。
 
 先ずは朝日新聞社説をご一読願おうか。私の意見はその後だ。

転載開始==================================================================================
原発をどうするか―脱・依存へかじを切れ http://www.asahi.com/paper/editorial20110420.html?ref=any
 福島第一原発の事故は、危機対応の失敗を含め、原子力利用のあり方に極めて深刻な疑問を投げかけている。「想定外」の事態に「原子力村」の専門家たちが右往左往する様は、これまで安全神話を信じ込まされてきた国民にとっては悪夢としかいいようがない。 

 「安全性を大事にしながら原発を肯定してきたが、従来の先入観を一度白紙に戻し、なぜ事故が起きたのか根本から検証する必要がある」 

 原子力行政について、菅直人首相は18日の参院予算委員会の答弁でこう述べた。 

 首相が言うように、徹底的な検証は不可欠だ。ただ、福島第一原発の事態収拾には時間がかかる。その決着を待たず、原発に依存してきた国のエネルギー政策を見直す議論を直ちに始めるべきだ。 

 これまで脇役に追いやられていた太陽光発電など、自然エネルギーの拡大を柱に据え、効率のいい分散型のエネルギー供給体制をつくる。 

 原子力行政は、推進から抑制へと軸足を移す。今回の事態に有効な手が打てなかった原子力安全委員会、経済産業省の原子力安全・保安院といった組織のあり方も抜本的に見直す。 

 こうした方向性に異論は少ないのではないか。自然エネルギーの推進者や原発に懐疑的な識者も交えた、開かれた場で議論を深めていってほしい。 

 現在の「エネルギー基本計画」には、2030年までに原発14基の新増設を目指す方針が盛り込まれている。菅首相は、その見直しを明言している。 

 現実問題としても、今回の震災で原発の新増設を受け入れる自治体が出てくるとは考えにくい。老朽原発の延命も、もはや困難だろう。 

 一方で、稼働しているすべての原発をすぐに止めてしまう事態に、日本経済が耐えられないことも事実だ。国民生活への影響も大きい。 

 今回の事故を教訓に、一定の原発は安全管理を徹底することで動かしていくほかないが、最新の地震研究などをもとに、事故のリスクが大きすぎる原発は廃止への道筋をつけるような仕分け作業ができないだろうか。 

 エネルギー政策という大構えの議論は、結論が出るまでに時間がかかるのが常だ。 

 しかし、夏の電力不足は目の前に迫っている。議論を先取りする形で電力需給の構造転換に踏み込む意義は大きい。エネルギー需要の拡大を前提に組み立てられてきた過去の政策から、かじを切る好機でもある。 

==================================================================================転載完了

支離滅裂な朝日社説の原発政策-「原発をどうするか 脱・依存へかじを切れ」を斬る



 論旨が不明確である一貫しない、甚だしきは矛盾する、と言うのは論文としては「悪罵」に近い評価であろう。章題にもした「支離滅裂」と言うのも相当低い評価だ。と言う事は、斯様な章題をつけた私は、朝日新聞社説に喧嘩を吹っかけている、少なくとも議論を仕掛けている事になる。まあ、私が朝日に喧嘩を売るのは、デフォルト状態ではあるが。
 
 ご一読いただいた( 筈の)朝日新聞社説から、何箇所か主要部分を抜粋してみよう。

A1> これまで脇役に追いやられていた太陽光発電など、自然エネルギーの拡大を柱に据え、
A2> 効率のいい分散型のエネルギー供給体制をつくる。 

 ああ実に俗耳に入りやすい、GPやSSが声高に主張しそうな主張だ。「太陽光発電など、自然エネルギーの拡大を柱に据え」、今ならば「核兵器廃絶」や「戦争の無い世界を」以上に強く支持されるかもしれない。勿論「友愛外交」「東アジア共同体」なんて足元にも及ぶまい。
 が、果たしてそいつは、「核兵器廃絶」や「戦争の無い世界を」以上の現実味を持っているだろうか。

A3> 今回の事故を教訓に、一定の原発は安全管理を徹底することで動かしていくほかないが、
A4>  最新の地震研究などをもとに、事故のリスクが大きすぎる原発は廃止への道筋をつけるような仕分け作業ができないだろうか。 

 上記A4>の「最新の地震研究などをもとに」と言うのは、要は「原発を廃止する理由として最新の地震研究を利用しろ」でしかない。いわば、地震研究は「方便(*1)」であり、「仕分け作業」はその方法。上記A3>~A4>の言わんとすることは、「原発を廃止しよう」に尽きる。

A5> しかし、夏の電力不足は目の前に迫っている。
A6> 議論を先取りする形で電力需給の構造転換に踏み込む意義は大きい。
A7>エネルギー需要の拡大を前提に組み立てられてきた過去の政策から、かじを切る好機でもある。
 
 なんとまあ驚くべき事に、上記A5>~A6>が当該社説の〆であり、結論である。「かじ」が平仮名なのも情けないが、それはまあさて置いて(*2)こいつは「夏の電力不足の前に電力需給の構造転換に踏み込め」と言っている。即ち今年の夏が来る前に上記A3> ~A4>の「原発廃止への道筋をつけ」てA1>~A2>の「自然エネルギーを拡大し効率の良い分散型エネルギー供給体制をつくれ。」と言う事である。
 
 他に解釈のしようがあろうか?
 
 それもこの一節が社説の取りである以上、此処が当該朝日新聞社説の肝、朝日新聞社説氏が最も印象付けたかった事であり、社説が新聞の顔であるとしたならば、さらにその中心、新聞の目鼻立ちともいうべき部分だ。
 
 だが、果たして可能な事か?
 
 
イメージ 1
 現実を見てみよう。
 
  平成22年度電力供給計画の概要について http://www.enecho.meti.go.jp/policy/electricpower/100414-h22.pdf   を紐解けば、我が国の電力供給は2010年度で原子力に30.8%頼っているのに対し、太陽光や風力を含む新エネルギーは僅かに1.2%にしか過ぎない。電力供給量で言えば、太陽光や風力などが束になっても約26倍の圧倒的な電力供給量を、原子力は誇っている。
 当該資料は聊か旧聞に属するので、「2019年度には原子力の比率を41%まで引き上げる」と言うのは今回の福島原発事故を受けて見直される可能性は大ではあるが、「新エネルギーの比率を同じ2019年度に1.6%に引き上げる」という目標は、努力によって引き上げることは可能ではあろうが、朝日主張するような「原発を廃止しよう」を仮に「新エネルギー」によって行なおうとすると、2019年目標を最終的にはさらに26倍しなければならない。基本的には。
 
 無論、朝日社説言うところの「効率の良い分散型エネルギー供給体制」による効率アップや「エネルギー需要の拡大を前提にしない」節電省エネルギー化によって箏電力需要を圧縮する事は、ある程度可能であろう。原子力の替わりに石油やLNGの火力発電所を増設する事でもある程度カバーできよう。だが、後者は間違いなく二酸化炭素排出量を引き上げる。前者は少なくともあるところから先は経済成長とのトレードオフスタディだ。「大不況の貧困で実現したエコ社会」では本末転倒だろう。
 
 それでも2019年にはまだ10年近くあるから、幾らかなりとも手の打ち様はありそうだ。
 朝日新聞社説が掲げる目標は、「この夏の電力不足」であり、早4月も下旬であるから、僅かに3ヶ月後と言う事になる。
 一方予想されている「この夏の電力不足」は、「昨年並みの猛暑を想定した場合、1日当たりの電力不足が東京電力管内で1500万キロワット、東北電力管内で330万キロワットになる」と報じられている。今年の夏が昨年並みの猛暑になるか否かはまだ分かりかねるが、何しろ千年に一度の大地震を喰らった後だ。昨年並みぐらいの想定をしない訳には行かないだろう。
 
夏の電力制限、大口は25%削減 政府案を公表 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110408/plc11040812400017-n1.htm 
  
 1500万キロワットの東京電力管内の電力不足分を賄うためだけでも、50kw級の結構な太陽光発電施設(*3)少なくとも30万箇所必要な勘定だ。それも定格出力を出せるだけの好天と電力需要のピークが合致すると言う条件つきで。
 
 無論、上記の「電力不足1500万キロワット不足」の前提は、「昨年並みの猛暑」と言うより本質的にはは「昨年並みのピーク電力需要」であり、電力需要は今も種々工夫されている節電や、天皇陛下を初めとする自主停電、或いは石原都知事が槍玉に挙げた自動販売機停止やパチンコ屋停電などでも引き下げる事が可能だから、「30万箇所の50kw級太陽項発電設備」はこれによって「最低限の数」ではなくなるだろう。
 
 とは言え、今回朝日新聞社説氏が主張する

 (1) 今年の夏が来る前に
 (2)「原発廃止への道筋をつけ」
 (3)「自然エネルギーを拡大し効率の良い分散型エネルギー供給体制をつくれ。」
 
 と言うのは、願望と言うより妄想であり、よく言って御題目。早い話がキャッチフレーズに過ぎない。
 
 さらに言うならば、仮に10年後を目処にしようとも、上記(2)原発廃止はやはり願望であると、私は断じてしまう。「核兵器廃絶」や「戦争の無い世界」よりは、いくらか現実味がありそうだが、大差はない。
 
 節電による電力需要圧縮も経済活動経済効果との兼ね合いはあっても相応に知恵の絞り所だろう。創意工夫で電力需要圧縮と経済発展を両立させられる可能性も、無いとは言わない。我が国はその歴史上数多の奇蹟を成し遂げてきている。此処に新たな奇蹟が付け加わる可能性も、その程度の奇蹟ならばありそうだ。
 
 太陽光や風力などの新エネルギーを普及活用するのも結構だ。
 だが、その新エネルギーは、少なくとも今見通せる未来に関する限り、原子力に取って代わるものと、楽観視するべきではない。それは誇大妄想と言うべきだ。左様な奇蹟は、幾ら我が国であっても、希望はできても、期待はできない。
 
 我々は、より安全な原子力と共に、前進すべきである。
 
 Nuklear Vor!


<注釈>

(*1) この言葉本来の意味での方便。ルーピー語もしくは金星語の、「真っ赤な嘘」と言う意味ではない。

(*2) 現職の首相を「漢字が読めない」とはやし立てた過去も、此処ではおこう。そんなこと言い出すとキリが無いからな。

(*3) 結構廣井駐車場の屋根に太陽電池を設置した例。 
http://www.green-energynet.jp/energy/solar/  の導入事例 Case Study3