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以下に転載するは、福島原発事故に対し、放水による冷却と放射能遮蔽作業に従事した東京消防庁ハイパーレスキュー隊隊長さんへのインタビュー。
ハイパーレスキュー隊は「屠竜技(とりゅうのわざ)」をモットーとしている。それも当然、大陸本来の意味「習得するのにやたらと労力が掛かる無駄な事」ではなく、日本独自の意味「不可能とも思えるような高い目標へ向け、研鑽努力する事」でモットーとしており、今回の東日本大震災や福島原発対処で、図らずもその屠竜の技を披露している事になる。
屠龍のワザ ― the technic to slay dragon http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/32940821.html
そのハイパーレスキュー隊(の一部)は、今回の東日本大震災救援に出動する際、震災直前に完成したと言う黒いTシャツを着て出動しており、その背中にはハイパーレスキュー隊のモットー「屠竜技」が鮮やかな白文字で書かれていた・・・って話は、「こち亀親父」さんのブログで「孤高のサイクリスト」さんに教えてもらった話。
転載記事でインタビューに答えている石井泰弘部隊長殿が、このTシャツを着て原発対処したか(*1)は定かではないが、「屠竜技」と言うハイパーレスキュー隊のモットーを確かに背負って居た事だろう。
ついでに言えば、胸に日の丸もね。
<注釈>
(*1) 仮に着ていたとしても、放射能防護服をその上に着ていただろうから、背中にあったかもしれない「屠竜技」の文字は、外からは見えなかっただろう。
東京消防庁ハイパーレスキュー隊長「被爆線量最大、自分でよかった。」
転載開始=====================================================
「被ばく線量最大、自分でいい」=難航、緊迫…―福島原発派遣の東京消防庁隊長 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110324-00000122-jij-soci
時事通信 3月24日(木)18時9分配信「被ばく線量の最大値が自分でよかった」。福島第1原発3号機への放水に参加した東京消防庁第3方面本部消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)の石井泰弘部隊長(47)が24日、時事通信の取材に応じ、緊迫した作業を語った。
石井隊長は18日午後5時すぎ、周囲の放射線量を測定できる「特殊災害対策車」に乗り込み、先陣を切って敷地へ入った。放射線量の高い区域を調べ、放水車などの配置を決めるためだ。しかし、作業は難航した。水を吸い上げる予定の岸壁は崩壊し、別の地点からホースを伸ばす経路では、津波で横滑りした巨大タンクが行く手を遮る。隊員が屋外に出て、人力でホースを運ぶ方法も強いられた。
石井隊長らはホース運搬部隊の被ばく線量を測定。隊員は胸に線量計を着用しているが、作業中は確認する余裕がない。「自分の被ばく線量が彼らとイコールになるよう常に付き添った」。息苦しいマスク越しに大声を出し、必死で数値を伝えた。
「水が出たぞ」。無線機から一報が聞こえた。「その瞬間、『やった』という達成感があった。みんな同じ気持ちだったと思う」。全隊員の脱出を確認し、最後に敷地を出た。
胸の線量計は、全隊員のうち最も高い「27ミリシーベルト」を示した。しかし、石井隊長は「自分でよかった」とほっとした。「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」と話す。
敷地への進入前、石井隊長は部下に問い掛けた。「かなり困難な活動になるが、いいのか」―。「やります」。弱音を吐いた隊員はいなかった。
「素晴らしい隊員を持ち、誇りに思う。一人一人が日本のために頑張らなくては。命令があれば、また行く」。部隊は東京・渋谷の本部に戻った今も、次の派遣に備えて機材の整備を続ける。
=====================================================================転載完了
臨兵闘者皆陣列在前―闘戦経
本記事のタイトルについては説明が要りそうだ。(*1)
敷島の、大和心の雄々しさは、事あるときぞ、現れにけり。
これは御製。明治天皇が詠まれた和歌である。詠まれたのは日露戦争開戦のとき。意味は解説するまでもなかろうが、「大和心・大和魂の勇壮さは、(平時には判らないが)一朝有事の際に、はっきりと判るものだ。」と言うこと。
敷島の、大和心の雄々しさは、事あるときぞ、現れにけり。
これは御製。明治天皇が詠まれた和歌である。詠まれたのは日露戦争開戦のとき。意味は解説するまでもなかろうが、「大和心・大和魂の勇壮さは、(平時には判らないが)一朝有事の際に、はっきりと判るものだ。」と言うこと。
御製をタダのPoemだと思うと間違う。井沢元彦氏が指摘するとおり、我が国には古来言霊思想があり、発せられた言葉には霊力がこもると、半ば無意識にでさえ信じられている。ましてや、和歌は、日本最古の文献が万葉集であることから判る通り単なる文学と言うよりは、「天地をも動かし、鬼神をも泣かしめる」力を持つと言う程の、一種の呪文であり呪い(まじない)。
況や御製と来た日には、日本最高の祭司でもある天皇陛下の発する和歌なのであるから、最大最強の呪文であると言う一面を、見落とすべきではない。だからこそ、日露戦争開戦と言う、当時の日本にとっての一大岐路に於いて、明治天皇はかように詠まれたのであろう。
私が明治天皇の御製を当記事のタイトルとした意図は、転載記事を一読いただければ自明の事であろう。福島原発対処と言う有事に際して、ハイパーレスキュー隊隊長・石井泰弘氏が見せた雄々しさ故である。
殊に、次の台詞は秀逸だ。
> 「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」
況や御製と来た日には、日本最高の祭司でもある天皇陛下の発する和歌なのであるから、最大最強の呪文であると言う一面を、見落とすべきではない。だからこそ、日露戦争開戦と言う、当時の日本にとっての一大岐路に於いて、明治天皇はかように詠まれたのであろう。
私が明治天皇の御製を当記事のタイトルとした意図は、転載記事を一読いただければ自明の事であろう。福島原発対処と言う有事に際して、ハイパーレスキュー隊隊長・石井泰弘氏が見せた雄々しさ故である。
殊に、次の台詞は秀逸だ。
> 「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」
「我々のやり方」、その一言に、屠竜の技を磨き続けてきたハイパーレスキュー隊を率いる部隊長の責任、指揮官先頭と言う万古不易の統率術、「高貴なる者の義務」を、見ることが出来る。
実に、雄々しいばかりではないか。
実に、雄々しいばかりではないか。
しきしまの やまとごころの おおしさは
ことあるときぞ あらわれにけり
<注釈>
(*1) 戦前戦中ならば説明の必要なぞない話なのだが。