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諸兄御承知の通り、我が国は今、東日本大震災とそれに伴う津波と言う阪神大震災以上の大災害に見舞われ、被災地の救難復旧の真っ最中である。
不幸にしてこの大災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、一人でも多くの方が救助され、避難された方々の日常が一日も早く復旧され、震災前以上のより良い日本に復興再生される事を、祈念いたします。
この未曾有の惨事に、私がモニターしている各紙の社説も、震災一色の感があるが、今回取り上げるのはその中では一寸異色の琉球新報社説。まあ、琉球新報が異色なのは今に始まった事ではないし、「米軍の災害支援 それでも普天間はいらない」ってタイトルから凡そ中身も知れるのであるが、先ずは虚心坦懐、琉球新報社説を一読されることをお勧めする。
例によって私の突っ込みは後の方に注釈として付け、さらにその後に、我が意見を開陳するとしよう。無論、タイトルに「斬る!」と銘打った以上は、琉球新報に批判的な意見となるが、これまた、いつもの事であるな。
琉球新報社説 米軍の災害支援 それでも普天間はいらない
転載開始======================================================
米軍の災害支援 それでも普天間はいらない
米軍の災害支援 それでも普天間はいらない
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-174892-storytopic-11.html
2011年3月18日
効果的な人道支援を行うのに、国境や官民、軍の立場の違いなど言っている場合ではない。しかし、ここぞとばかりに軍の貢献を宣伝するとは、どういう神経なのか。
東日本大震災への米軍の災害支援に絡めて、在日米軍が普天間飛行場の「地理的優位性」や在沖海兵隊の存在意義などをアピールしている。強い違和感を覚える。
在沖米総領事館は、沖縄から基地従業員を含む海兵隊所属の約480人や普天間、嘉手納両基地所属ヘリ、第31海兵遠征部隊の兵員2200人が災害支援で被災地へ向け派遣されたと発表した。
未曽有の大震災に伴う死者や行方不明者の捜索、被災者救援は急務だ。原発事故に伴う放射能への被ばくリスクがある地域で救援に取り組む人々には敬意を払いたい。
しかし、災害支援は売名行為ではない。人道上の見地から本来、見返りを期待しない、崇高な精神でなされるべきものだろう(*1)。
在沖米海兵隊は「普天間基地の位置が、第3海兵遠征軍の災害活動に極めて重要であることが証明された」「普天間基地が本土に近いことは極めて重要」と普天間飛行場の地理的優位性を強調する。
悲しみに打ちひしがれる死者・行方不明者の家族や被災者への配慮はないのか(*2)。そもそも近傍の基地ではなく、被災地から遠く離れた普天間基地がなぜ重要なのか(*3)。地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。(*4)
米軍の説明は、独り善がりで筋が通らない(*5)。政治的打算に基づく言動は、県民、国民の米外交に対する信頼回復にとって、かえってマイナスだろう。
「沖縄はごまかしとゆすりの名人」などと差別発言をして更迭された米国務省のケビン・メア前日本部長を東日本大震災の日米間の調整担当に充てたのも不可解だ。
メア氏は発言発覚後も学生が作成した発言録について「正確でも完全でもない」と非を認めず、今もって県民に謝罪をしていない。
日本の「和」の文化を「ゆすり」と同一視する差別発言をしながらこれも撤回せず、災害支援で復権を目指すつもりか。発言の撤回も反省もない人種差別主義者の復権など願い下げだ。(*6)
はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。
==================================================================転載完了
<注釈>
(*1) 日本人でも米国人でもない第三者、あるいは米国人がこう評するのは良いだろう。だが、前段で一応の「敬意」を払っているとは言え、実際に東日本大震災と言う大災害を被災し、その救援に出動してくれた米軍がその出動を宣伝したとて、「売名行為」とは一体どの口から出る言葉だ。
「米軍が出動し、救援するのが当たり前」と言う感覚では、「恩知らず」或いは「タカリの名人」と言う評価は、甘受しなければならないだろう。(*2) 何だこのロジックは。普天間基地の重要性をアメリカが強調すると、「死者・行方不明者の家族や被災者への配慮がない。」事に何故なるのだ??(*3) グアムやハワイや米本土よりは被災地に遥かに近く、且つ陸海空いずれにも対応できる部隊が揃っているから重要なのだ。それが「沖縄の高い基地負担」になっていることは認めるが。(*4) グアムやハワイや米本土からでは移動だけで3日では済むまい。(*5) 独り善がりで筋が通らないのは、正しくこの琉球新報社説だ。(*6) これは贔屓目に見てもメア氏に対する個人攻撃である。「東日本大震災の日米間の調整担当」を米国が設定した事に対しては何も触れていない。せめて謝辞の一つもあって然るべきだろうが。
「泣きっ面を刺す蜂」は誰か?
日本語には「泣きっ面に蜂」と言う例えがある。主に「悪い事に悪い事が重なる事」を指す。「弱り目に祟り目」ってのも似たような意味だ。
大陸には「水に落ちた犬は打て」と言うのがあるそうだ。相手の弱ったところに乗じて追い討ちをかけろと言う、勝つためには手段を選ばない、大陸的なドライな思想だろう。だが、日本では「泣きっ面を刺すような蜂」は好まれない。むしろ嫌われる。「敵に塩を送る」上杉謙信は、弱った敵を立ち直らせる愚者ではなく、敵の弱みを突くことを潔しとしない清々しいヒーローとして描かれる。
それは兎も角・・・一読された(であろう)琉球新報社説は如何であろうか。
「タイトルからして中身は知れる」と先述した通り、「期待」に違わぬ中身ではある。何しろ琉球新報社説氏は、沖縄駐留米軍が今回の東日本大震災に救援に出動し、救援している事を報じるのが許せないらしいのだ。「売名行為」となじり、「地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。」即ち初動が遅いと言い、挙句の果てに以下のように結論付ける。
> はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、
> 県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。
事実として、沖縄駐留米軍は今般の東日本大震災に救援として駆けつけて居る。少なくとも一定の役割を果たし、日本は、日本人は、その恩義を受けている。その成果を宣伝しているものかどうか私は知らないが、例え大いに宣伝したとしてもそれは米国の都合、米国の勝手であって、その宣伝に虚偽がない限り、日本と日本人が受けた恩義に変わりはないし、被災者や死者・行方不明者に対する配慮とも関係ない。自己アピールが過ぎれば、少々わずらわしいかも知れないが、それはお国柄やカルチャーギャップの範疇に止まろう。「宣伝するぐらいならば救援するな。」と言わんばかりの琉球新報社説氏の主張は、実に不可解である。
否、琉球新報社説氏の主張を理解しうる解釈が、私の乏しい想像力には二つだけある。
大陸には「水に落ちた犬は打て」と言うのがあるそうだ。相手の弱ったところに乗じて追い討ちをかけろと言う、勝つためには手段を選ばない、大陸的なドライな思想だろう。だが、日本では「泣きっ面を刺すような蜂」は好まれない。むしろ嫌われる。「敵に塩を送る」上杉謙信は、弱った敵を立ち直らせる愚者ではなく、敵の弱みを突くことを潔しとしない清々しいヒーローとして描かれる。
それは兎も角・・・一読された(であろう)琉球新報社説は如何であろうか。
「タイトルからして中身は知れる」と先述した通り、「期待」に違わぬ中身ではある。何しろ琉球新報社説氏は、沖縄駐留米軍が今回の東日本大震災に救援に出動し、救援している事を報じるのが許せないらしいのだ。「売名行為」となじり、「地震発生から3日経ての出動なのに「即応」でもあるまい。」即ち初動が遅いと言い、挙句の果てに以下のように結論付ける。
> はっきりさせよう。米軍がどのようなレトリックを使おうとも、
> 県民を危険にさらす普天間飛行場やその代替施設は沖縄にいらない。
事実として、沖縄駐留米軍は今般の東日本大震災に救援として駆けつけて居る。少なくとも一定の役割を果たし、日本は、日本人は、その恩義を受けている。その成果を宣伝しているものかどうか私は知らないが、例え大いに宣伝したとしてもそれは米国の都合、米国の勝手であって、その宣伝に虚偽がない限り、日本と日本人が受けた恩義に変わりはないし、被災者や死者・行方不明者に対する配慮とも関係ない。自己アピールが過ぎれば、少々わずらわしいかも知れないが、それはお国柄やカルチャーギャップの範疇に止まろう。「宣伝するぐらいならば救援するな。」と言わんばかりの琉球新報社説氏の主張は、実に不可解である。
否、琉球新報社説氏の主張を理解しうる解釈が、私の乏しい想像力には二つだけある。
一つには、琉球新報社説氏が全くの恩知らずの恥知らずである可能性。米軍なんてものは日本人を救援するのが当たり前で、むしろ「救援させてやっているのだから、黙って救援だけしてろ。宣伝なんて自己アピールは、もってのほかだ。」と考えている可能性。
もう一つは、琉球新報社説氏が、今般の東日本大震災を全くの他人事と考え、被災者の救援なぞ気にもしていない可能性。
前者は日本では珍しい人種だ。が、我が国は自由主義を標榜しているし、世間は広いのであるから、琉球新報社説氏が前者である可能性を否定できるものではない。「非常識だ」と私は思うが、別に琉球新報社説氏が常識人と決まっている訳でもなかろう。
後者は前者よりは数が多そうだ。日本に住み、日本国籍を有していても、反日本的な日本人が一定数居るのは民主主義のコストであるし、琉球新報社説氏がそんな日本人であっても別に不思議はない。それは非常識とも呼ばれないだろう。
だが酷薄とか、不人情とかは言われるだろうし、間接的にせよ「米軍は東日本大震災を救援するな。」と主張しているのだから、先述した「泣きっ面を指す蜂」と同様、我が国では嫌われよう。第一、琉球新報社説がこのところ流している東日本大震災に関する社説は、その大半が虚偽と言うことになる。東日本大震災を全くの他人事と考えていては、同情の言葉も、激励も、虚しかろう。
はっきりさせよう。沖縄が、琉球新報が、「沖縄県民」が、どのようなレトリックを使おうとも、日本の安全保障を危険に曝す米海兵隊の国外撤退なぞ論外である。普天間飛行場でも県内代替施設でも構わないが、陸海空連携したまともな米軍が沖縄にあることが、現状の日本には必要である。
それは、例え今回の東日本大震災において、沖縄駐留米軍が毛筋ほどにも役に立たなかったとしても変わりはない。何度も書いているが、普天間基地移設問題や沖縄駐留米軍の問題を考える上で最優先なのは、我が国・日本の安全保障であって、沖縄県民の危険でも感情でもない。
況や事実として、沖縄駐留米軍は今般の東日本大震災に救援として駆けつけて居る。
このような事態に沖縄駐留米軍が活躍できたのは、偶々ではある。だが、偶々であろうとも、受けた恩義を棚上げにし、あるいはそもそも恩義とすら感じることなく、米軍による東日本大震災救援を非難し、沖縄駐留米軍に県外退去を迫る琉球新報社説氏にこそ、私は違和感を覚えるし、それは「独り善がりで筋が通らない」と断じる。
如何に、琉球新報。
もう一つは、琉球新報社説氏が、今般の東日本大震災を全くの他人事と考え、被災者の救援なぞ気にもしていない可能性。
前者は日本では珍しい人種だ。が、我が国は自由主義を標榜しているし、世間は広いのであるから、琉球新報社説氏が前者である可能性を否定できるものではない。「非常識だ」と私は思うが、別に琉球新報社説氏が常識人と決まっている訳でもなかろう。
後者は前者よりは数が多そうだ。日本に住み、日本国籍を有していても、反日本的な日本人が一定数居るのは民主主義のコストであるし、琉球新報社説氏がそんな日本人であっても別に不思議はない。それは非常識とも呼ばれないだろう。
だが酷薄とか、不人情とかは言われるだろうし、間接的にせよ「米軍は東日本大震災を救援するな。」と主張しているのだから、先述した「泣きっ面を指す蜂」と同様、我が国では嫌われよう。第一、琉球新報社説がこのところ流している東日本大震災に関する社説は、その大半が虚偽と言うことになる。東日本大震災を全くの他人事と考えていては、同情の言葉も、激励も、虚しかろう。
はっきりさせよう。沖縄が、琉球新報が、「沖縄県民」が、どのようなレトリックを使おうとも、日本の安全保障を危険に曝す米海兵隊の国外撤退なぞ論外である。普天間飛行場でも県内代替施設でも構わないが、陸海空連携したまともな米軍が沖縄にあることが、現状の日本には必要である。
それは、例え今回の東日本大震災において、沖縄駐留米軍が毛筋ほどにも役に立たなかったとしても変わりはない。何度も書いているが、普天間基地移設問題や沖縄駐留米軍の問題を考える上で最優先なのは、我が国・日本の安全保障であって、沖縄県民の危険でも感情でもない。
況や事実として、沖縄駐留米軍は今般の東日本大震災に救援として駆けつけて居る。
このような事態に沖縄駐留米軍が活躍できたのは、偶々ではある。だが、偶々であろうとも、受けた恩義を棚上げにし、あるいはそもそも恩義とすら感じることなく、米軍による東日本大震災救援を非難し、沖縄駐留米軍に県外退去を迫る琉球新報社説氏にこそ、私は違和感を覚えるし、それは「独り善がりで筋が通らない」と断じる。
如何に、琉球新報。