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そりゃ宮内庁長官と言えば、日本で一番天皇陛下の御傍に侍る人だろう。であれば、滅多なことは出来ないだろうし、否が応でも格式とか礼儀作法には精通せざるを得ないだろう。また、その格式や礼儀作法を守れる人でなければ宮内庁長官は勤まらない。何しろ御傍に侍るのは、少なくとも1300年間、伝説ではその倍以上続く世界屈指の長期王朝の末裔で、あれこれ特殊事情もあって(※1)未だその長期王朝連続記録を更新中の、人間国宝ならぬ人間世界遺産・天ちゃんだ。平たい話、菅直人や小沢一郎何ぞでも首相は務まるが(※2)、とてもじゃないが宮内庁長官として陛下の御傍に侍るなぞ、想像すら出来ない。(※3)
格式とか礼儀作法というのは、確かに一面は形式であるが、少なくとも極めれば(※4)この世の真理に近づくものであると私には思われるし、その意味では天皇陛下の傍に侍り、格式や礼儀作法を磨く宮内庁長官という立場は、人間を磨く絶好の地位と言えそうだ。
何を長々宮内庁長官の人間性を「賞賛」しているかと言うと・・・
報じられているのは一昨年に来日した中国の習ナンとかと言う副主席とやらが、天皇陛下のご予定を曲げて陛下に謁見した問題についての小沢一郎の最近の「弁明」と、此に対する宮内庁長官コメント。
ご記憶の方も多かろうが、当時この「陛下のご予定を曲げた」件で宮内庁長官は政府に苦言を呈したし、その政府が「陛下のご予定を曲げた」のは、当時押しも押されもせぬ民主党の黒幕であった小沢一郎の介入があったと推測されたが、「我が敵」小沢一郎は此を否定していた。
が、最近のインタビューや、動画ニュースでは、「我が敵」小沢一郎自らが、陛下のご予定を曲げるように提案し、「政府が此を諒とした」と自白し、週刊誌のインタビューに以下のように答えているという。
格式とか礼儀作法というのは、確かに一面は形式であるが、少なくとも極めれば(※4)この世の真理に近づくものであると私には思われるし、その意味では天皇陛下の傍に侍り、格式や礼儀作法を磨く宮内庁長官という立場は、人間を磨く絶好の地位と言えそうだ。
何を長々宮内庁長官の人間性を「賞賛」しているかと言うと・・・
報じられているのは一昨年に来日した中国の習ナンとかと言う副主席とやらが、天皇陛下のご予定を曲げて陛下に謁見した問題についての小沢一郎の最近の「弁明」と、此に対する宮内庁長官コメント。
ご記憶の方も多かろうが、当時この「陛下のご予定を曲げた」件で宮内庁長官は政府に苦言を呈したし、その政府が「陛下のご予定を曲げた」のは、当時押しも押されもせぬ民主党の黒幕であった小沢一郎の介入があったと推測されたが、「我が敵」小沢一郎は此を否定していた。
が、最近のインタビューや、動画ニュースでは、「我が敵」小沢一郎自らが、陛下のご予定を曲げるように提案し、「政府が此を諒とした」と自白し、週刊誌のインタビューに以下のように答えているという。
小1> 「宮内庁の長官が、陛下はお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈(へりくつ)をつけた」
小2> 「陛下のご体調が優れないというのであれば、
小3> ほかのどうでもいいような日程を外せばいいことでしょう。
小4> この日程を外しますからご会見はいかがでしょうか、と陛下にお伺いをたてれば、
小5> そうすると仰(おっしゃ)るだろうと思いますよ」
上記の内、小2>~小5>は、問題の習ナンとか来日の頃から小沢一郎が言っていたこと。(※5)今回の記事で真新しいのは上記小1>~小2>と、「陛下の予定を曲げることを小沢一郎が提案し、政府が諒とした。」つまり本件に小沢一郎が関与したことを認めたことにある。
が、提案やら関与の有無に拘わらず小2>~小5>と言うのは傍若無人であり、傲岸不遜であり、公平無私を人間の形にしたような(※6) 陛下に対する冒涜であり、新ためて「我が敵」なることを再確認するところであるが・・・此を受けての宮内庁長官の曰く。
が、提案やら関与の有無に拘わらず小2>~小5>と言うのは傍若無人であり、傲岸不遜であり、公平無私を人間の形にしたような(※6) 陛下に対する冒涜であり、新ためて「我が敵」なることを再確認するところであるが・・・此を受けての宮内庁長官の曰く。
宮1> 「個人的な気持ちとしては、悲しいおっしゃりようという感じはある」
私が本記事のタイトルを「美事な対比」としたのは、「我が敵」小沢一郎と羽毛田宮内庁長官の発言、上記小1>と宮1>の対比の妙故である。
より具体的には、「陛下はお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈」 対 「悲しい仰りよう」である。
正直、私が宮内庁長官であったとしたら、とてもじゃないがこんな物言いは出来そうにない。罵詈雑言が飛び出し、止まるところがないだろうと言う、自信がある(※7)。出来そうにないからこそ宮内庁長官どころか陛下の御傍にさえ寄れないのだと言われれば、それまでだが。
何しろ、「悲しい仰りよう」である。慇懃無礼に皮肉も込めて「仰りよう」という言い方ぐらいまでは、私でも思いつけたかも知れない。だが、小沢一郎の上記暴言を指して「悲しい」なんて評価は、私にはとても出来ない。それは私が既に小沢一郎を「我が敵」と定めているが故、かも知れないが。
「悲しい仰りよう」
より具体的には、「陛下はお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈」 対 「悲しい仰りよう」である。
正直、私が宮内庁長官であったとしたら、とてもじゃないがこんな物言いは出来そうにない。罵詈雑言が飛び出し、止まるところがないだろうと言う、自信がある(※7)。出来そうにないからこそ宮内庁長官どころか陛下の御傍にさえ寄れないのだと言われれば、それまでだが。
何しろ、「悲しい仰りよう」である。慇懃無礼に皮肉も込めて「仰りよう」という言い方ぐらいまでは、私でも思いつけたかも知れない。だが、小沢一郎の上記暴言を指して「悲しい」なんて評価は、私にはとても出来ない。それは私が既に小沢一郎を「我が敵」と定めているが故、かも知れないが。
「悲しい仰りよう」
この小沢一郎を評する一言に、私は羽毛田宮内庁長官の品位と品格、さらにその背景に、天皇陛下の御威光か大御心を感じるのであるが、如何なものであろうか。
<注釈>
(※1) その大半は、「権威はあるが権力はない」状態に起因するものと、私は考えているが。(※2) まあ、菅直人のアレを、「首相が務まる」と呼ぶのなら、だが。(※3) 「我が敵」小沢一郎ならば、その「豪腕」を発揮して宮内庁長官に就任してしまう事もありそうだが、その状態を「御傍に侍る」とは呼びがたい。(※4) それを言うならば、大概の道は「極めれば真理に近づく」ように、私には思えるが。学問から芸術、或いは技術や動作に至るまで。(※5) それも含めて私は、小沢一郎を日本の敵と断じ、「我が敵」と定め、宣戦布告まで発したのだ。(※6) 少なくともそうであることを期待され、期待に違わぬよう行動されている。(※7) それは「子供の喧嘩」とは言われないかも知れないが、「小沢一郎レベルの喧嘩」になってしまうに違いない。