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米中首脳会談を受けて、東京新聞が「中国との外交を考える」と言う社説を掲げている。
先ずは原文をご一読願おうか。
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転載開始==================================
中国との外交を考える 対話・協力が最大の抑止 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011012102000058.html
2011年1月21日中国が日本を抜き世界第二位の経済大国に躍進しました。巨大市場の成長に期待が高まりますが、総合国力の充実には隣国として不安もあります。中国国家統計局が二十日、発表した昨年の国内総生産(GDP)はドル換算で約六兆ドルに達し日本の見通し約五兆四千億ドルを上回りました。一人当たりGDPにすれば世界でも九十位以下ですが、富裕層は一部とはいえ数千万人に達し、購買力の発展は目を見張るものがあります。国防費も二十一年連続で二けた成長させアジアで断トツの軍事大国になりました。最近では東シナ海などの海洋権益問題で、ナショナリズムを背景に力にものを言わせる姿勢も見せています。◆米国頼みでは危うい
昨秋、尖閣諸島の日本領海で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件では、中国が資源や経済力を武器に対抗措置を取ると、日本は逮捕した漁船の船長を釈放せざるを得ませんでした。(*1)尖閣事件で中国との国力の差を思い知らされ「アジア重視」「緊密で対等な日米関係」を掲げてきた民主党政権がすっかり弱気になり、米国を頼るようになったのは、わからなくもありません。米国も「尖閣は日米安保条約の適用範囲」(クリントン国務長官)と中国をけん制する発言を繰り返し期待に応えてくれました。しかし、「対中コスト」も日本に要求し政権交代で民主党が掲げた、在日米軍経費を負担する「思いやり予算」を見直す案は、どこかに消えてしまいました。現実には、中国との関係は米国に頼っていれば日本は安心というほど一筋縄ではいきません。中国の胡錦濤国家主席が米国を公式訪問しています。中国は台湾に対する米国の武器売却に猛反発し、米国は中国の海洋進出に軍事力を見せつけ対決しました。◆内憂外患抱える米中
獄中でノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏の釈放を米国は公然と要求し人権をめぐる対立も深刻です。しかし、オバマ大統領は胡主席を国賓として歓待し私的に夕食もともにして話し込みました。「建設的なパートナーシップ」を掲げた共同声明は地球規模の安全保障や経済のバランス回復、温暖化問題で協力することをうたいクリーンエネルギーの共同開発など具体策も盛り込んでいます。米中とも相手に激しく反発する国内勢力や同盟国を抱えています。胡主席の訪米に先立つゲーツ米国防長官の訪中では中国軍は胡主席との会談に合わせステルス型戦闘機の飛行実験を強行し米国を威嚇しました。胡主席は実験を知らされていなかったといいます。両首脳とも内憂外患を抱えるからこそ、意見交換は重要で長時間にわたります。常識で考えて、日本という一国、ましてや、尖閣問題のために自らの国益を犠牲にしたり、米中戦争のリスクを冒すことは考えられません。日本の政治家や国民が「日米関係さえうまくいっていればいい」と思い込み、努力を怠っていたら米中は日本を軽んじるばかりでしょう。昨年末、発表された「新防衛大綱」が旧ソ連に備え北海道に集中していた自衛力を、南西方面に展開する方針を打ち出したのは努力の一歩かもしれません。しかし、中国の動向に「懸念」(新防衛大綱)を表明するだけでは不信を買うだけです。海洋進出を抑止するだけでなく中国との対話を深め、協力を求める姿勢を打ち出すことが欠かせません。菅直人首相は二十日、都内で行った外交演説で日米安保体制の強化とともに「広範な分野で日中の戦略的互恵関係を深めたい」と述べました。今年が清朝を倒しアジアで初の共和制を目指した辛亥革命百年に当たるのを機に、日中関係を発展させたいと考えていると聞きます。確かに辛亥革命には多くの日本人が身命を賭して協力しましたが、首相が志士たちの偉業を受け継ぎ何をやるのか、必ずしも鮮明ではありません。中国の海洋権益確保の衝動が強まる背景には、経済成長に伴うエネルギー消費が日本の数倍を要する粗放的発展があり省エネ環境技術は大きく立ち遅れています。◆日本の協力は不可欠
環境と調和し国際的にも協調できる発展の実現のため日本が協力できることは少なくありません。日米は二月の外務・防衛閣僚の安全保障協議委員会(2プラス2)、三月の菅首相訪米を通じ、中国の台頭をにらんだ同盟強化を目指しています。しかし、日中間には昨秋、横浜で行われた二十二分間の菅首相と胡主席の会談以降、首脳が意思疎通する機会がなく相互不信が強まるばかりです。不信感を減らせる早期の対話実現と、協力の具体策の提案こそ日本に問われているのです。
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<注釈>
(*1) なにが「釈放せざるを得ませんでした。」か。釈放する必然性なぞ、全くない。船長ばかりではない。船員も、船も、拿捕するのが至当なケースだ。
「対話・協力」ならば「憲法9条」よりはマシだが・・・
東京新聞の社説が私にとって不可解なのは、今に始まったことではない。つい先ごろも普天間基地移設問題に関する社説を斬ったばかりだ。
非現実論を弄ぶ妄動-1/16東京新聞社説を斬る! http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/34544767.html
それにしてもこの東京新聞社説は不可解である。まあ、順を追って行こう。
そもそも「抑止力」とは何か、と考えると、「我が国に戦争を仕掛けようとしている国に、その開戦を思い止まらせる力」と定義できるだろう。
この定義に従ってこそ、我が国が「戦争の準備を万端整える事」は抑止力であると私は主張しているし、それ故に、「戦争の抑止と戦争の準備を、同時に進める事は出来ない。」と言うアルベルト・アインシュタイン博士の言葉にも、博士に対する満腔の敬意を表しつつ反論もする。
そもそも「抑止力」とは何か、と考えると、「我が国に戦争を仕掛けようとしている国に、その開戦を思い止まらせる力」と定義できるだろう。
この定義に従ってこそ、我が国が「戦争の準備を万端整える事」は抑止力であると私は主張しているし、それ故に、「戦争の抑止と戦争の準備を、同時に進める事は出来ない。」と言うアルベルト・アインシュタイン博士の言葉にも、博士に対する満腔の敬意を表しつつ反論もする。
戦略爆撃入門 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29853328.html http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/29853348.html
前首相たるルーピー鳩山が、沖縄の海兵隊が「抑止力であると知った」のは首相就任後( それも大分経ってから )だそうだが、そんな事は上記の定義からすると、「沖縄に米軍が駐留している以上、沖縄への攻撃は対米開戦の可能性がある。」からは、殆ど自明である。
また上記の定義からして、福島社民党党首の主張「憲法9条が最大の抑止力」などと言うのは、正気の沙汰とは思われない。
憲法9条は日本国憲法なのだから、直接掣肘するのは日本政府のみ。日本が開戦する事を抑止する効果はあろうが、日本に対する戦争を抑止する理由は、直接にはない。
「日本に憲法9条があるが故に世界から尊敬される。」ことで抑止力になると言う理屈らしいのだが、日本に戦争しかけて領土なり資本なり技術なり何らかの利益を得ようとしている国が「日本国の憲法9条」を「尊敬して開戦を思い止まる」など、私には想像すらできない。
ああ、「日本国の憲法9条を尊敬する。」と公言する事は多いにありそうだ。戦争を仕掛ける相手は弱いほど戦争は仕掛けやすいし、先述の通り憲法9条は日本の行動を直接掣肘する物だから、上記のように公言する事で日本の防衛力が低下してくれれば、戦争を仕掛ける上で大いに有り難い。言い換えれば、憲法9条は日本への戦争を計画している、真に抑止力が効いて欲しい相手に対しては全く効果がない。むしろ逆抑止力であると断ぜざるを得ず、故に福島社民党党首は、少なくとも安全保障に関する限り、気違いだと、言わざるを得ない。
さて、今回取り上げたのは東京新聞社説で、当該社説タイトルにもある通り「対話・協力が最大の抑止」とある。
井沢元彦氏が「逆説の日本史」シリーズで指摘している所によると、日本には聖徳太子にまで遡る「和の精神」と言うものがあり、「話し合い至上主義」とも言うべき発想があるそうだ。典型的なのは「話せばわかる。」と言う決め台詞であろう。利害が対立する相手であっても、「話せばわかる。」と言われて話し合いに応じないような奴は、日本では爪弾きにされる。
だが、その「話し合い至上主義」が通用するのは、基本的に日本国内だけだ。「日本の常識は世界の非常識」とまでは私は言わないが、「日本の常識が世界に通じるとは限らない。」のは紛れもない事実である。なればこそ、ソマリア海賊に対する「抑止力」は、軍艦による護衛が基本であって「襲撃・誘拐後の交渉=話し合い」はエマージェンシープランにしかなり得ない。第一、「話をする。」にはお互いの言葉が通じる必要があり、世界では相手に言葉が通じない可能性だって大いにあるのだから。
東京新聞社説氏が取り上げているのは「日中外交」だ。日中ならばまあ言葉を通じさせる事は一応出来るだろう。だが、「対話・協力が最大の抑止力」などと言う「話し合い至上主義の適用」には、全く同意できない。
相手は中国である。昨年末の尖閣諸島沖中国「漁船」体当たり攻撃とその後の迅速激烈な強硬対応と反日デモの記憶もさることながら、歴史的にも国際的にも全く根拠のない「尖閣諸島中国領説」と言う主張をここまで付け上がらせ、のさばらせたのは、自民党政権時代を含める日本の話し合い至上主義と事なかれ先送りにあったと断じるからである。
言い換えれば、中国は、中国共産党政権は、「話せばわかる」様な相手では断じてない。話した結果、わかったような顔ぐらいはするかも知れないが、それは、時間稼ぎ、韜晦にしか過ぎないと考えるべきだ。
であると言うのに、東京新聞社説氏が「対話・協力が最大の抑止力」として対話を求める根拠と来た日には・・・・
> 環境と調和し国際的にも協調できる発展の実現のため日本が協力できることは少なくありません。
言い換えれば、中国は、中国共産党政権は、「話せばわかる」様な相手では断じてない。話した結果、わかったような顔ぐらいはするかも知れないが、それは、時間稼ぎ、韜晦にしか過ぎないと考えるべきだ。
であると言うのに、東京新聞社説氏が「対話・協力が最大の抑止力」として対話を求める根拠と来た日には・・・・
> 環境と調和し国際的にも協調できる発展の実現のため日本が協力できることは少なくありません。
つまり、「話し合い」は「中国様の御利益になるから、応じて下さるだろう。」でしかない。
なるほど、資源浪費の抑制は中国の利益になるから、話し合いには応じるかも知れない。「対話は再開」し、「協力は開始」されるかも知れない。
私としては、レーニンの言葉、「資本家は、彼らを吊るすロープさえも売ってくれる。」を想起せざるを得ない。
東京新聞社説氏の言う
> 不信感を減らせる早期の対話実現と、協力の具体策の提案
は、日本を吊るすロープとなる。
なるほど、資源浪費の抑制は中国の利益になるから、話し合いには応じるかも知れない。「対話は再開」し、「協力は開始」されるかも知れない。
私としては、レーニンの言葉、「資本家は、彼らを吊るすロープさえも売ってくれる。」を想起せざるを得ない。
東京新聞社説氏の言う
> 不信感を減らせる早期の対話実現と、協力の具体策の提案
は、日本を吊るすロープとなる。
少なくとも、日本を吊るすロープとなりかねない可能性を、忘れるべきではない。
「傲慢、無礼者。共に天を戴かず。」-軍歌「元寇」-
「傲慢、無礼者。共に天を戴かず。」-軍歌「元寇」-