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 先行記事にもした通り、沖縄の普天間基地移設問題について、現行日米合意を反故にし沖縄県民の「民意」に答えよと言う、社民党並みで恐らくはルーピー鳩山以下の社説が沖縄を中心に出されているようである。
 
沖縄タイムス 1/3 [こんな夢をみた]一国二制度が実現した  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-01-03_13362/
東京新聞 1/16 週のはじめに考える 現実的と迫る“暴力”  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011011602000082.html
琉球新報 1/16 パッケージ論 実効性のない空論やめよ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-172357-storytopic-11.html
 
 今回取り上げるのは3社の真ん中、東京新聞の社説。先ずは原文をご一読願おうか。
転載開始===================================
週のはじめに考える 現実的と迫る“暴力”  http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011011602000082.html
2011年1月16日
 社会的現実は矛盾する諸要素の組み合わせです。表面的な既成事実に固執せず、隠れた部分を探る姿勢、新局面を切り開く努力が前進につながります。
 「沖縄の皆さんにとって辺野古はベストの選択ではないが、実現可能性を考えたときベターな選択ではないか」-米軍普天間飛行場の辺野古移設に関する菅直人首相の発言は、「理想的」「現実的」と読み替えが可能です。ここに沖縄県民は「国家の暴力」のにおいを感じ取ったことでしょう。
 公権力者は、現実的と称してしばしば自分たちが選択した既成事実を押しつけるからです。
◆「既成事実」と同義語に
 政治学者の故丸山真男氏は「現実とは本来、一面において与えられたものであると同時に、他面で日々作られるものなのに、日本で“現実”という時にはもっぱら前者のみが前面に出る」と論じました(「現実」主義の陥穽(かんせい)=「現代政治の思想と行動」所収)。この国では通常、現実と既成事実は同義語のように扱われるのです。
 菅首相は、いや民主党政権は、新たな現実を切り開く努力もろくにしないで、辺野古移設を容認させようとしています。
 「最低でも県外」と公言しながら県民の期待を裏切った鳩山由紀夫前首相は、その責任を感じないかのように党内抗争に加わり、後継の菅政権を批判しています。
 長年、政権の座にあったのに問題を解決できなかった自民党も同罪です。
 実は、社会的現実は矛盾するさまざまな要素で構成されていますが、「現実を直視せよ」などという時はある側面だけが強調されます。特に日本では、その時々の支配者、強者が選択する側面が「現実的」とされ、対抗する側の選択には「観念的、非現実的」というレッテルを貼られがちです。
 これも丸山氏の指摘通りです。
◆「琉球処分」と同じ視線
 大城立裕氏の長編歴史小説「琉球処分」は、明治政府が琉球王国を解体し日本国の支配下に組み込んでゆく琉球処分の経過を描いています。当時、ヤマトの政府は説得に応じない琉球王府の役人や民衆を無知蒙昧(むちもうまい)の輩(やから)と軽蔑し、最後には軍隊まで出しました。
 菅首相は沖縄の歴史を学ぶためこの小説を読んだそうですが、いったい何を学んだのでしょう。
 小説では、いろいろ理由を並べて抵抗し続ける琉球高官を、日本政府代表の琉球処分官となる松田道之が「琉球藩王が二枚舌を使って政府を愚弄(ぐろう)したことになるぞ」と恫喝(どうかつ)します。
 昨夏、刊行された守屋武昌元防衛事務次官の著作「『普天間』交渉秘録」にも、一進一退する交渉に守屋元次官がいらだち、辺野古移設にすんなり同意しない沖縄県知事や名護市長らを批判した部分があります。第二章の「『引き延ばし』と『二枚舌』」、第五章の「不実なのは誰なのか」です。
 松田処分官の視線と守屋氏のそれとの類似性に驚かされます。
 二つの本の出版には四十年余の隔たりがありますが、沖縄で生まれ育った大城氏は沖縄に対する今日の政府側の視線を予感していたかのようです。作品の中で最高責任者の伊藤博文内務卿に「すべては既成事実がものをいう」と言わせてもいます。
 「現実的」と称して普天間飛行場の辺野古移設にこだわる政府の姿勢は、多くの沖縄県民の目に琉球処分に次ぐ「第二の国家暴力」と映るのではないでしょうか。
 一九五〇、六〇年代に伊江島で米軍射爆場反対の闘争をリードした故阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんは「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)」と唱え、闘争記録集の表題を「人間の住んでいる島」としました。
 目の前に米軍基地が広がる現実は所与のものではなく、銃剣とブルドーザーで住民を蹴散らして造られたものであることを確認し、人間が安心して住める島の復活という新たな現実を創出することを目指したのです。
 日本現代史は、軍や政府の選んだ「現実」が国民にのしかかり、自由な発想と行動を圧殺したことの連続でした。それを教訓に生まれた日本国憲法の非武装、国際協調主義は、軍隊を持たず、巧みな外交で生き抜いた琉球王国の歴史に通じる部分があります。
 だからこそ本土復帰運動のスローガンは「平和憲法の下へ」でした。本土の側の人々はこのことを胸に刻んでおきたいものです。
◆解決に欠かせない視点
 社会的現実は眼前の事実だけでなく、表には現れない部分なども含む多面体である。権力を握る側が特定の既成事実の受け入れを迫るのは、迫られる側にとって暴力に等しいこともある。沖縄は「人間の住んでいる島」である。
 普天間問題の解決にはこれらの視点が欠かせません。
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非現実論を弄ぶ妄動-1/16東京新聞社説を斬る!

 何じゃ、この東京新聞社説は。
 「日本の国益、なかんずく安全保障上の国益の前には、「地元の反対」なぞ吹き飛ばすべし。」と断じる私の意見の反対である事は理解できた。
 
1> 日本現代史は、軍や政府の選んだ「現実」が国民にのしかかり、
2> 自由な発想と行動を圧殺したことの連続でした。
3> それを教訓に生まれた日本国憲法の非武装、国際協調主義は、
4> 軍隊を持たず、巧みな外交で生き抜いた琉球王国の歴史に通じる部分があります。
 
 とも述べられているから、我が国の現代史を暗黒史と捕らえる自虐史観であり、「大東亜戦争(太平洋戦争)には、我が国に、少なくとも理あり。」と考える私とは歴史観が異なる事も明らかだ(*1)。
 
 であるならば、私と東京新聞社説氏との間に深くて暗い溝があるのは当たり前であり、そうであればこそ、議論のし甲斐もあるというものであるが、それにしても両者のギャップはちょいとしたものである。
 
 東京新聞社説氏は、今回取り上げた社説の中で、丸山真男を引用して、以下のように論じる。
 
5> 政治学者の故丸山真男氏は
丸1> 「現実とは本来、一面において与えられたものであると同時に、
丸2> 他面で日々作られるものなのに、
丸3> 日本で“現実”という時にはもっぱら前者のみが前面に出る」
6> と論じました(「現実」主義の陥穽(かんせい)=「現代政治の思想と行動」所収)。
7> この国では通常、現実と既成事実は同義語のように扱われるのです。
 
 その上で東京新聞社説氏は、現行日米合意を「楯に」その受容を沖縄に迫る日本政府を非難し、以下のようにこの社説を結ぶ。
 
7> 権力を握る側が特定の既成事実の受け入れを迫るのは、
8> 迫られる側にとって暴力に等しいこともある。
9> 沖縄は「人間の住んでいる島」である。
10> 普天間問題の解決にはこれらの視点が欠かせません。
 
 さあってと、やるとするか。
 
 先ずは、東京新聞社説氏がその根拠としている( らしい)「故丸山真男氏の「現実」論」と現状分析=私の現実認識から行こうか。
 
 先に同意できる点から。「現実」と言うのが「既成事実ばかりではなく、日々作られる」と言う点には同意できる。さもないと現状は全く打破できないものとなってしまうのだから。(*2)
 だが、既成事実となっているものは、「既成」事実なのであるから、これはもう押しも押されもせぬ「現実」であり、この現実を変えようというのはこの既成事実を既成事実として認識し、踏まえない限り、唯の願望、妄想、夢想であって計画でもなければ代案にもならないだろう。
 
 で、普天間基地移設問題の現実はどうかと言うと・・・・
 普天間基地を辺野古に移設す計画で日米合意が取れている。これは間違いない既成事実であり、現実だろう
 で、この日米合意を、日米両政府とも了承し、これに沿って進もうとしている。これまた既成事実であり、現実だ。民主党が先の衆院選挙以来、前の首相たる鳩山辞任に至るまで、「少なくとも県外」などと言う「民主党首の口約束」を掲げていたのは事実だが、その看板を民主党自身が下ろしたのは、「民主党党首の口約束」とした時点で自明だろう。
 前首相たる鳩山が「Trust Me」と大見得切って、オバマ米国大統領をペテンにかけたときは、日米間で俎上に上げようとしていた「辺野古以外の普天間移設先」が、最早話題にも出来なくなった。これまた現実である。
 
 無論以上の「現実」は既成事実である。既成事実であるが故に現状の現実である。
 その「既成事実を受け入れる事」が時として上記8>の通り「8> 迫られる側にとって暴力に等しいこともある。」と言うのは私も同意する。
 
 だが、それは日本政府が、日本国として沖縄に迫り、説得しなければならない既成事実であり、現実である。喩え「多くの沖縄県民の目に琉球処分に次ぐ「第二の国家暴力」と映」ろうとも。 
 
仲井間沖縄知事、普天間県外移設と尖閣保持を同時要求。-そりゃ虫が良すぎよう。    http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33764832.html
沖縄県民に問う! -尖閣諸島と普天間基地移設問題-    http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33752839.html   http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/33761318.html
 
 上記記事にもした通り、沖縄が日本国に止まろうとする限り、他の選択肢はない
 日本から独立するならば、即時核武装の準備がない限り、中国に占領されておしまいだろう。
 
核武装がない限り、沖縄に中間、中立は、ない。

<注釈>
(*1) 
ああ、ついでに言うならば、日本のマスコミの大半は、現状、自虐史観を売り物にしているから、別に東京新聞社説氏が珍しいわけではない。日本の教科書の大半からして自虐史観であるから、そうでない教科書の採用が問題視されるぐらいだ。
 
(*2) 故丸山真男氏としては、「さもないと、革命なぞ不可能」と言うのが、恐らくは天下の一大事ではあろうが。
 実際、大陸に数多ある「易姓革命」もフランス革命も現実化しているのだから、当たり前だが「既成事実たる現実」は、打破不可能なものではない。