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 「ダブルスタンダード」とカタカナで書いてしまうと、何やら良い事かのように見えてくるから不思議であるが、普通は悪口、非難である。直訳するならば「二重基準」。力点が置かれるのは「二重」の方で、判断基準を適用する相手によって恣意的に変える事。早い話が「えこひいき」であり、回教諸国側に甘い判定をするというサッカーの「中東の笛」なんてのも、このダブルスタンダードの例だろう。
 
 その悪口「ダブルスタンダード」は、「社会の木鐸」たるを目指し、不偏不党を高く掲げている(筈の)ジャーナリストにとっては耐え難い屈辱であり恥辱であるる筈だ。「党の口舌」の様な御用聞き宣伝機関ならばダブルスタンダードは当たり前であろうが、公平な報道の対極にあるのが「ダブルスタンダード」なのであるから。
 
 さて、その「ジャーナリストにとっては最大級の悪口」ダブルスタンダードを朝日新聞に投げつける表題としたのは、以下の日本の朝日社説による。今月7日と14日に、問責決議を巡って書かれた社説であり、他紙に類を見ないような短いインターバルは、「朝日新聞の特長」或いは「朝日新聞が特に主張したかった社説」と断じて、間違いあるまい。
 
「問責決議」考―報復の応酬を超えよう  http://www.asahi.com/paper/editorial20110107.html?ref=any#Edit1
内閣改造―「問責交代」慣例にするな  http://www.asahi.com/paper/editorial20110114.html?ref=any#Edit1
 
 先ずはその朝日新聞社説を読んでいただこうか。突っ込みは、注釈として入れてあるので、其処を読み飛ばせば、朝日新聞社説そのまんまだ。
 
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1.朝日社説 「問責決議」考 報復の応酬を越えよう  http://www.asahi.com/paper/editorial20110107.html?ref=any#Edit1

 菅直人首相が内閣改造を検討している。仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相が昨年の臨時国会で参院の問責決議を受けたからである。
 決議は閣僚の政治責任を問う参院の意思表示であり、その意味はもちろん重い。しかし、衆参両院の「ねじれ」状況が珍しくなくなった今日において、問責決議をどう取り扱うべきかは改めて熟慮を要する問題である。 (*1)
 内閣の存立基盤は衆院にある。首相は国会で選ばれるが、両院の指名が異なる場合は衆院の議決が優越する。衆院は内閣不信任を決議し総辞職を求める権限を持つが、首相はそれに応じず衆院を解散して対抗できる。
 参院はそうした憲法上の権限を持たない「第二院」である。首相や閣僚に対する問責決議に法的拘束力はない。
 問責決議が野党にとってなぜ国会戦術上の強い武器となるかといえば、決議にもかかわらず閣僚を交代させないことを理由に審議を拒否し、政権を窮地に立たせることができるからだ。
 その場合も批判が野党の姿勢に向かう危険はある。決議が「伝家の宝刀」となるか「竹光」にとどまるかは、時々の政治状況や世論の風向きによる。
 審議ボイコットという抵抗戦術は、自民党一党支配がなお強固で、野党にはめぼしい対抗手段がなかった時代には仕方のなかった面もあろう。 (*2)
 しかしいまや政権交代時代である。しかも野党が参院で過半数を握り、与党は衆院で再可決する頭数もない。
 であるならば、審議拒否ではなく、審議を通じて主張をいれさせる。予算案や法案を修正させる。そのようにして持てる力を生かす方が本筋だろう。
 ただ今回、野党がやすやすとそうした路線を取るとは考えにくい。
 そもそも問責で閣僚を辞任させる前例をつくったのは民主党だからだ。小渕内閣当時、公明、自由両党とともに額賀福志郎防衛庁長官の問責を出し、辞任に追いつめたのがそれである。
 民主党はその後も参院の力を最大限行使してきた。それには政権交代のある政治を実現させる大義があったし、総選挙を経ず2度、3度と政権をたらい回しするあり方にノーを突きつけ、解散を迫る意義もあったろう。
 しかしそれは、参院が憲法の想定を大きく超えて強い力を振るえば、国会が機能不全に陥り、政治の混迷が深まるばかりだという苦い教訓も残した。
 与野党はこの経験から学ばなければならない。菅首相も年頭会見で、過去のふるまいに「反省」の意を示した。
 すでに多くの党が与党を経験し、その重さも難しさも身に染みたはずだ。
 ねじれという困難を抱える政権交代時代にあって政治を前に進める要諦(ようてい)は、各党が「あすは我が身」という想像力を働かせ、自制することである。不毛な報復の応酬は控えるべきだ。 (*3)

<注釈>
(*1) ねじれ国会は今に始まった事ではない。今回の「ねじれ国会」が始まったのは、昨年の参院選挙以降。それ以前は一昨年の衆院選挙=政権交代まで、民主党が参院を牛耳る「ねじれ国会」であったのに、熟慮を要するのは、今なのか???
 
(*2) これが「民主党野党時代の問責決議戦術」を擁護する理由か?
 
(*3) 「明日は我が身」と言うが、民主党にとっての「明日」が今なのだろう。
 

2.朝日社説 内閣改造―「問責交代」慣例にするな  http://www.asahi.com/paper/editorial20110114.html?ref=any#Edit1

 菅直人首相がきょう、内閣改造と党役員人事を行う。
 予算編成に携わった閣僚を、国会審議を前に交代させるのは異例である。これからの厳しい政権運営を見据え、首相としては内閣と党の立て直しにつながる布陣としなければなるまい。
 月内に召集される通常国会は、衆参ねじれ状況の下、国民生活に直結する新年度予算案と関連法案を年度内に成立させられるかどうか、政権の命運がかかった正念場となる。
 自民、公明など野党は、参院で問責決議が可決された閣僚を代えない限り、国会審議を拒否するという方針を譲らない。であるなら、仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国土交通相の交代はやむをえない。そんな現実的な判断を、首相は下したのだろう。
 たしかに、「第二院」とはいえ、「参院の意思」としての決議は重い。
 しかし、問責決議に法的拘束力がないことは改めて指摘しておかなければならない。それが事実上、政治的に閣僚の生殺与奪の権を握るような事態は、衆院の「優越」を定めた憲法の想定を超えているだろう。 (*1)
 憲法63条は、首相その他の国務大臣は「何時でも議案について発言するため議院に出席することができる」と、閣僚の権利を定めてもいる。
 問責した閣僚が出席する国会審議には一切応じないとする野党の姿勢は、この明文規定に照らしても「無理筋」(仙谷氏)というほかない。 (*2)
 国会に求められる政府へのチェック機能は、徹底した審議を通じて発揮されるべきである。 (*3)
 今回、結果的に仙谷、馬淵両氏が交代するからといって、これを今後の国会運営の慣例にしてはならない。 (*4)
 民主党の岡田克也幹事長は、問責決議の位置づけを含め、衆参両院の関係のあり方を与野党で議論したい考えを示した。
 政権交代時代を迎え、どの政党にも与党になる可能性がある。野党も当事者意識を持って、共通認識を得るべく真摯(しんし)に話し合いに応じて欲しい。 (*5)
 一方、首相はたちあがれ日本を離党した与謝野馨氏を政権に迎え入れる方針だ。自民党時代から消費税増税を含む財政再建に熱心だった与謝野氏に、税と社会保障の一体改革の推進役を期待してのことだろう。
 ただ、与謝野氏はかつて民主党政権の経済財政運営を厳しく批判した経緯がある。どこが一致し、どこが一致できないのか、首相、与謝野氏の双方から納得できる説明を聞きたい。
 政策通で、官僚組織の動かし方にたけているとはいえ、無所属となった与謝野氏がたった一人で政府に乗り込んでも、力量を発揮できる保証はない。異例の起用を結果に結びつけられるか、首相の力量もまた問われる。

<注釈>
(*1) ・・・・産経新聞記事が指摘している通り、「閣僚に問責決議を叩きつけて辞任に追い込む。」のは、野党時代に民主党が多用した常套手段だ。それが「憲法の想定を超えている」のならば、自民党政権時代にその事を全く指摘して来なかったのは何故か。
 
(*2) では、かつて民主党が野党時代に問責決議でその閣僚を辞任に追い込んだのは、一体どう言う「筋」なのかね。憲法63条との関連を含めて、朝日新聞並びに仙石の説明を、是非うかがいたい。
 
(*3) インド洋上給油法案の継続を、参院で審議しない事でインド洋上給油の一時中断に追い込んだのは、野党時代の民主党だ。この朝日の論理に従えば、この戦術は大いに非難されるべきである。Yes or No?
 
(*4) 今まであった、数多の閣僚辞任の例は、一体どうするのか。忘れるのか?
 
(*5) つまり、野党時代の民主党に政権交代の可能性がなかったから、「問責決議で辞任に追い込む」と言う手段が許された。 Yes or No?
 IF Yes. その民主党が政権をとっている現状と言うのは、異常事態である。Yes or NO?
 
 

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3.民主党政権は味噌っかすか

 如何であろうか。
 
 突っ込み所はあらかた突っ込んだが、重複覚悟でおさらいするとしよう。
 
 朝日新聞社説氏は、問責決議を受けた閣僚を交代させない事を理由に審議拒否することをするなと主張する。問責決議に法的拘束力はないし、今の野党が明日は与党となりうるのだから「明日は我が身だ。」と言う。(*1)
 
 だが、「昨日」、今与党の立場にある民主党が「問責決議を出して辞任に追い込む」とか「参院で審議拒否して法案の一時中断に追い込む」なんて戦術を取っていた事は非難せず、以下のように擁護してみせる。
 
1>  審議ボイコットという抵抗戦術は、
2> 自民党一党支配がなお強固で、
3> 野党にはめぼしい対抗手段がなかった時代には仕方のなかった面もあろう
 
 上記3>で認めている通り、ダブルスタンダードである事は明らかだろう。
 
 そのダブルスタンダードを、上記2>~3>の通り正当化して見せている。「民主党政権は、かつての自民党政権ほど強固でなく、政権交代も遠くないから、問責決議を楯に攻撃するな。」と。
 未だ憲政史上最多の衆院議席数を誇る政権与党=民主党を、「弱いから、同じ土俵でいじめるな。」と言うのである。誠に奇妙な話ではないか。
 
 後発である1月14日の社説に至っては、野党時代の民主党の所業には一言も触れず、憲法63条を楯に問責決議のあり方を再検討しようと言う。問責決議も、憲法63条も、自民党政権誕生以前から規定されていたものであるにも拘らず、だ。
 
 民主党政権は、味噌っかすと言うことかね。
 そうだとしても、そんな味噌っかすが政権与党にあることは、私には看過し難いのだが。
 
 如何に、国民。

<注釈>
(*1) 前段については、仙石の主張そのままだな。ひょっとして、仙石が書いているのか?朝日新聞社説。