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長崎の端島。通称「軍艦島」。確かに、軍艦の様に見える。

で、此方が戦艦土佐。軍艦島に似ていると言えば似ているが・・・進水だけして、上部構造物も煙突もろくにない船は、大概こんな形だ。

長崎沖に軍艦島というのがある。元は炭坑で大いににぎわったが、今は無人で廃墟の塊になっている島だ。名前(※1)の由来は、「軍艦土佐にその形が似ていた」からだと言う。
だが、この説には疑問がある。
軍艦「土佐」と言うのは、艦名からして戦艦名前である。土佐山も土佐川も寡聞にして知らないから、重巡洋艦にも軽巡洋艦にも(※2)なりようがない。
事実、戦艦「土佐」は「加賀」級戦艦の2番艦として計画され、進水まではした16インチ砲連装5基10門を誇る、長門以上の大艦である。海軍軍縮条約の結果、建造が認められず、標的艦として砲撃で沈められた(※3)から、進水はしたが完成はしていない。
言い換えれば、軍艦「土佐」は、未完成の姿しか目撃されていないはずであるし、目撃された期間も、完成し、配備された軍艦に比べれば短い筈だ。(※4)
つまり「「軍艦島」が軍艦「土佐」に似ている」と認識できたかさえ怪しいし、認識できたとしてもその期間は短かったはずだ。
それでも「軍艦島は軍艦「土佐」に似ていた」とされるのならば、それは事実ではなく、一種の伝説なのでは無かろうか。
だが、この説には疑問がある。
軍艦「土佐」と言うのは、艦名からして戦艦名前である。土佐山も土佐川も寡聞にして知らないから、重巡洋艦にも軽巡洋艦にも(※2)なりようがない。
事実、戦艦「土佐」は「加賀」級戦艦の2番艦として計画され、進水まではした16インチ砲連装5基10門を誇る、長門以上の大艦である。海軍軍縮条約の結果、建造が認められず、標的艦として砲撃で沈められた(※3)から、進水はしたが完成はしていない。
言い換えれば、軍艦「土佐」は、未完成の姿しか目撃されていないはずであるし、目撃された期間も、完成し、配備された軍艦に比べれば短い筈だ。(※4)
つまり「「軍艦島」が軍艦「土佐」に似ている」と認識できたかさえ怪しいし、認識できたとしてもその期間は短かったはずだ。
それでも「軍艦島は軍艦「土佐」に似ていた」とされるのならば、それは事実ではなく、一種の伝説なのでは無かろうか。
長門以上の大戦艦として建造され、進水までしながら、海軍軍縮条約のために標的とされ、産まれる前に沈められた戦艦「土佐」に対する鎮魂としての。
日本人には元々アニミズムの傾向があると私は思っている。便所の神様、竈の神様と、ありとあらゆるものに神様を配置してしまうのもさることながら、「唐傘オバケ」や「泥田坊」なんて妖怪は「ものを大切にすること」という戒めもさることながら、大切にされるべき「モノ」を擬人化通り越して擬神化している。付喪神何てのはその典型と言える。針供養をはじめとするモノに対する供養も同様であろう。
そのアニミズム溢れる日本人にとって、八八艦体の一翼を担う16インチ砲戦艦を完成すらさせることなく自らの手で沈めると言うのは、相当な悔しさ、無念さ、勿体なさがあったものと見て然るべきだろう。
その勿体なさが、「軍艦島」という、確かに見ようによっては軍艦と見えないこともない島に戦艦土佐の面影を投影しているのでは無かろうか。
無論、素人=ただの歴史好きの吐く俗説と、一笑に付される可能性はある。事に、歴史学の先生方からすれば噴飯ものと言われかねない。
だが、「長崎の軍艦島は、軍艦土佐に似ていることからその名が付いた。」と巷間言われているのは事実である。
加賀級戦艦二番艦「土佐」が三菱重工の長崎造船所で建造されたのも事実だ。
その戦艦「土佐」が完成を見ることなく標的艦として沈められたのも事実だ。
この三つの事実と、日本人の精神特性から、未完に終わった戦艦土佐と軍艦島が似ているか否かに関わらず、戦艦「土佐」に対する鎮魂の思いを、感じ取るのが至当では無かろうか。
民族の歴史には、民族の伝説、願い、思いが込められている。
日本人には元々アニミズムの傾向があると私は思っている。便所の神様、竈の神様と、ありとあらゆるものに神様を配置してしまうのもさることながら、「唐傘オバケ」や「泥田坊」なんて妖怪は「ものを大切にすること」という戒めもさることながら、大切にされるべき「モノ」を擬人化通り越して擬神化している。付喪神何てのはその典型と言える。針供養をはじめとするモノに対する供養も同様であろう。
そのアニミズム溢れる日本人にとって、八八艦体の一翼を担う16インチ砲戦艦を完成すらさせることなく自らの手で沈めると言うのは、相当な悔しさ、無念さ、勿体なさがあったものと見て然るべきだろう。
その勿体なさが、「軍艦島」という、確かに見ようによっては軍艦と見えないこともない島に戦艦土佐の面影を投影しているのでは無かろうか。
無論、素人=ただの歴史好きの吐く俗説と、一笑に付される可能性はある。事に、歴史学の先生方からすれば噴飯ものと言われかねない。
だが、「長崎の軍艦島は、軍艦土佐に似ていることからその名が付いた。」と巷間言われているのは事実である。
加賀級戦艦二番艦「土佐」が三菱重工の長崎造船所で建造されたのも事実だ。
その戦艦「土佐」が完成を見ることなく標的艦として沈められたのも事実だ。
この三つの事実と、日本人の精神特性から、未完に終わった戦艦土佐と軍艦島が似ているか否かに関わらず、戦艦「土佐」に対する鎮魂の思いを、感じ取るのが至当では無かろうか。
民族の歴史には、民族の伝説、願い、思いが込められている。
軍艦島の由来に、私は日本人の祈りを見いだすのである。
<注釈>
(※1) 正式な地名ではなく、あだ名だが。
(※2) ついでに言うなら、高速戦艦/巡洋戦艦にも、
(※3) 1番艦の「加賀」は空母艦種変更しての建造が認められ、真珠湾攻撃にも参加し、ミッドウエイ海戦で沈められた4空母の1隻である。
(※4) 確かに、戦艦の建造というのは数年を要する大事業であり、なかんずく当時の16インチ砲戦艦建造は、国家的プロジェクトである。