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1.漫画「北斗の拳」
「北斗の拳」と言えば、「かつて一世を風靡した」と言って良い人気漫画。核戦争で荒廃し文明秩序が崩壊した地球上で、一子相伝の暗殺拳・北斗神拳を身につけた主人公・ケンシロウが、徒手空拳(*1)を最大の武器に、悪を討ち、正義を強制執行する話だ。
「御前は既に死んでいる。」「御前の命は後○秒だ。」「手前ぇの血は何色だぁ!」などと言う物騒な名台詞で人気を博して長期連載され、未だに作者の異なる外伝が作られたり、何故かパチンコ台になってしまったりしているらしい。
「御前は既に死んでいる。」「御前の命は後○秒だ。」「手前ぇの血は何色だぁ!」などと言う物騒な名台詞で人気を博して長期連載され、未だに作者の異なる外伝が作られたり、何故かパチンコ台になってしまったりしているらしい。
<注釈>
(*1) 文明が崩壊しているお陰で、銃火器類は殆ど出て来ない。が、空気から硝酸を作り出すハーバー・ボッシュ法は大規模な工場が必要だから文明崩壊後は無理としても、硝石からでも火薬ぐらいは作れるのだから、妙な話ではある。
2.政府、陸自のパキスタン派遣を決定。但し丸腰。
「北斗の拳」なんて懐かしい漫画を思い出したのは(*1)政府即ち現・民主党政権が大洪水に見舞われたパキスタンへ陸自ヘリ部隊等の派遣を決定したという報道のためである。単に「陸自部隊を派遣する」ならば「北斗の拳」など想起されるわけもない。それが想起されるのは、現行法に基づくこの派遣が「武器の携行を認めない。」即ち丸腰での派遣になるからである。
報じられている通り、
> 今回の根拠となる緊急援助隊派遣法では、自衛隊は一切の武器を携行できない。
のである。
そればかりでないのは、報じられている通り。
> 先の通常国会で、自民党は武器携行を可能とする内容を盛り込んだ国際緊急援助隊派遣法の改正案を提出した。
> にもかかわらず、民主党の理解は得られず、
> 委員会での議論もなされなかった。
即ち、この夏の参院選挙結果にて目出度く「ねじれ国会」が成立する以前、民主党が衆参両院を牛耳っていた頃、「民主党の理解を得られなかった」が故に「武器携行を可能とする」緊急援助隊派遣法改正は成立しなかった訳である。
無論、今緊急に臨時国会を開いたところで、今度は「民主党の理解」が得られるとは到底思えないから、漸くねじれたとは言え衆院は民主党が支配する今の国会で上記の法改正が実現できる見込みもない。また、そんな改正を不要と考えるからこそ現・民主党政権は「一切の武器を携行できない」陸自部隊をパキスタンへ派遣すると決めたのだろう。
と、此処までは推測できるのであるが・・・推測は出来るが、今回の「被災したパキスタンへの武器を携行しない陸自部隊の派遣」は、私の理解を絶している。
引用した報道にもある通り、
> 陸自ヘリの活動地域は比較的治安が安定した最南部のカラチ周辺になるもようだが、
> 被災地は武装勢力の活動域と重なるところが少なくない。
のである。
平常時は治安の安定しているところでも、被災地となれば治安が悪化し、不穏な情勢となることは珍しくない。我が国ですら関東大震災の際には不穏な情勢になっている。阪神大震災のような秩序ある被災地の方が世界では稀有なのである。
況や今回派遣が決定されたパキスタンは、上述の通り平常時でさえ治安に疑問符が付く所。其処へ、「一切の武器を携行せずに行って来い。」と現・民主党政権は陸自部隊に命じようとしているのである。
報じられている通り、
> 今回の根拠となる緊急援助隊派遣法では、自衛隊は一切の武器を携行できない。
のである。
そればかりでないのは、報じられている通り。
> 先の通常国会で、自民党は武器携行を可能とする内容を盛り込んだ国際緊急援助隊派遣法の改正案を提出した。
> にもかかわらず、民主党の理解は得られず、
> 委員会での議論もなされなかった。
即ち、この夏の参院選挙結果にて目出度く「ねじれ国会」が成立する以前、民主党が衆参両院を牛耳っていた頃、「民主党の理解を得られなかった」が故に「武器携行を可能とする」緊急援助隊派遣法改正は成立しなかった訳である。
無論、今緊急に臨時国会を開いたところで、今度は「民主党の理解」が得られるとは到底思えないから、漸くねじれたとは言え衆院は民主党が支配する今の国会で上記の法改正が実現できる見込みもない。また、そんな改正を不要と考えるからこそ現・民主党政権は「一切の武器を携行できない」陸自部隊をパキスタンへ派遣すると決めたのだろう。
と、此処までは推測できるのであるが・・・推測は出来るが、今回の「被災したパキスタンへの武器を携行しない陸自部隊の派遣」は、私の理解を絶している。
引用した報道にもある通り、
> 陸自ヘリの活動地域は比較的治安が安定した最南部のカラチ周辺になるもようだが、
> 被災地は武装勢力の活動域と重なるところが少なくない。
のである。
平常時は治安の安定しているところでも、被災地となれば治安が悪化し、不穏な情勢となることは珍しくない。我が国ですら関東大震災の際には不穏な情勢になっている。阪神大震災のような秩序ある被災地の方が世界では稀有なのである。
況や今回派遣が決定されたパキスタンは、上述の通り平常時でさえ治安に疑問符が付く所。其処へ、「一切の武器を携行せずに行って来い。」と現・民主党政権は陸自部隊に命じようとしているのである。
菅首相の、陸海空三自衛隊最高指揮官の、命令として。
<注釈>
(*1) 外伝やパチンコ台としてはまだ現役らしいが。
3.我なくして銃役立たず。銃なくして我役立たず。-米海兵隊信条-
チョイと物騒な章題は、章題の最後に付記した通り、米海兵隊の信条からの一節。映画「フルメタルジャケット(*1)」には米海兵隊の新兵訓練で、文字通り「銃を抱いて」眠るシーンでこの信条が唱和される。
無論、「銃社会」アメリカの海兵隊の信条であることは考慮の必要がある。何しろ、酒を禁止する法律を施行した(*2)ことはあっても、銃を禁止する法律は憲法違反になりかねない(*3)御国柄だ。建国以来、銃と国民は不可分であり、何も知らずに不法家宅侵入した日本人の一人や二人が「誤まって(*4)」射殺されたぐらいじゃ、その銃社会は変わらない。
つまりアメリカで武力の象徴と言うと(*5)「銃」であり、章題にもした海兵隊信条は、その武力=銃と軍隊が不可分であることを謳っている。
然り、軍隊は武装しているから軍隊なのである。
軍隊として受けた訓練、その訓練による統率された行動力は、武装がなくても有効である可能性はある。だが、その行動力も、武装があって最大限に発揮される物であり、武装なくしては半分も発揮できない。徒手格闘術は陸自でも確かに訓練はするが、銃を持った敵に対して圧勝できるような「北斗の拳」の主人公ケンシロウであれと期待するのは、虫が良すぎよう。
「自衛隊は軍隊ではない。」と言う議論もあるのは知っているが、私は自衛隊が「軍隊でなければ困る。」と思っているし、「軍隊でないのならば軍隊にすべきである。」と思っている。これらの「思っている。」は私の意見であり主観にしか過ぎないが、海外から見れば自衛隊は紛れもなく日本の軍隊に見えるし、その自衛隊が派遣されてきた以上パキスタンでも「軍隊としての働き」が期待されることは先ず間違いない。
「武器を携行しない」軍隊が「軍隊としての働き」を自軍の損害無しに遂行するには、全員がケンシロウ級の徒手格闘家でなければおぼつくまい。
例え陸上自衛隊が、その訓練によって「銃なくして役立たず」ではないとしても、だ。
無論、「銃社会」アメリカの海兵隊の信条であることは考慮の必要がある。何しろ、酒を禁止する法律を施行した(*2)ことはあっても、銃を禁止する法律は憲法違反になりかねない(*3)御国柄だ。建国以来、銃と国民は不可分であり、何も知らずに不法家宅侵入した日本人の一人や二人が「誤まって(*4)」射殺されたぐらいじゃ、その銃社会は変わらない。
つまりアメリカで武力の象徴と言うと(*5)「銃」であり、章題にもした海兵隊信条は、その武力=銃と軍隊が不可分であることを謳っている。
然り、軍隊は武装しているから軍隊なのである。
軍隊として受けた訓練、その訓練による統率された行動力は、武装がなくても有効である可能性はある。だが、その行動力も、武装があって最大限に発揮される物であり、武装なくしては半分も発揮できない。徒手格闘術は陸自でも確かに訓練はするが、銃を持った敵に対して圧勝できるような「北斗の拳」の主人公ケンシロウであれと期待するのは、虫が良すぎよう。
「自衛隊は軍隊ではない。」と言う議論もあるのは知っているが、私は自衛隊が「軍隊でなければ困る。」と思っているし、「軍隊でないのならば軍隊にすべきである。」と思っている。これらの「思っている。」は私の意見であり主観にしか過ぎないが、海外から見れば自衛隊は紛れもなく日本の軍隊に見えるし、その自衛隊が派遣されてきた以上パキスタンでも「軍隊としての働き」が期待されることは先ず間違いない。
「武器を携行しない」軍隊が「軍隊としての働き」を自軍の損害無しに遂行するには、全員がケンシロウ級の徒手格闘家でなければおぼつくまい。
例え陸上自衛隊が、その訓練によって「銃なくして役立たず」ではないとしても、だ。
なお、海兵隊信条の全文を以下に引用する。原文は以下URLにある。
http://www11.plala.or.jp/Gang-Ho/usmc/creed.html
1. これぞ我が銃。世に銃は数多あれど、我が銃は唯これのみ。
2. 我が銃こそ我が友、わが命。我、我が命を制するが如く、我が銃を制す。
3. 我なくして、銃役立たず。銃なくして、我役立たず。我は我が銃を正確に撃つ。我は、我を殺さんとする敵よりも勇猛に撃つ。我は、我を撃たんとする敵よりも先に撃つべし。我は、それを望む。
4. 我と我が銃は、この戦争で重要なのが、我らの打ち出す弾丸、発射音や煙ではない事を知っている。重要なのは、命中した数である。我と我が銃は、命中させるだろう。
5. 我が銃は我が命なれば、我と同様人間である。故に、我は兄弟の如く我が銃について学ぶ。我は我が銃の、弱み、強み、部品、付属品、照準器や銃身について学ぶ。我は、天候と損害による破壊から我が銃を守ること、今まで我が脚、我が腕、我が眼、我が心臓を守ってきた如くにする。我は我が銃を、清潔にして発射可能に維持する。我と我が銃は、一体になるだろう。我らはそれを望む。
6. 神の御前で、我はこの信条を誓う。我と我が銃は、我が祖国の御楯。我らは、我が敵を征服する。我らは、我が命の救世主。
7. 故に、アメリカが勝利し、敵が全滅するまで、我、平穏を求めず!
<注釈>
(*1) 告白すると、無料で見られるようになるつい最近まで、通しで見たことはなかった。
(*2) 禁酒法時代。施行したは良いが、殆ど守られず、犯罪組織が密造酒で儲けて肥大化した時代。
(*3) 革命権に抵触する公算大である。「革命は銃口から。」てのは、毛語録だけれど、合衆国憲法と革命権のほうが先願権があるな。
(*4) 射殺された服部さんには気の毒だが、射殺した側からすれば正当防衛だろう。
得体の知れない変な格好した人間が自宅敷地に入って来る。銃( それも良く見える、特大の銃)を構え、”Freeze!”と警告しても止まらない。そりゃ撃たれても文句は言えないだろう。
「Freezeに「止まれ、動くな。」なんて意味があるとは知らなかった。」と当時の新聞記事に英文学者だが英語言語学者だかのコメントが載っていたが、ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士 Starship Troopers」にさえ出て来る表現だ。「知らなかった」では学者の肩書きが泣こう。
「曲学阿世の徒」ってのは、何処にでも居るものである。
得体の知れない変な格好した人間が自宅敷地に入って来る。銃( それも良く見える、特大の銃)を構え、”Freeze!”と警告しても止まらない。そりゃ撃たれても文句は言えないだろう。
「Freezeに「止まれ、動くな。」なんて意味があるとは知らなかった。」と当時の新聞記事に英文学者だが英語言語学者だかのコメントが載っていたが、ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士 Starship Troopers」にさえ出て来る表現だ。「知らなかった」では学者の肩書きが泣こう。
「曲学阿世の徒」ってのは、何処にでも居るものである。
(*5) それを言うならば、恐らくは西欧諸国一般では。
4.現・民主党政権は陸自パキスタン派遣部隊の損害を望んでいるのではないか?
無論、自衛隊の丸腰派遣は今回が初めてではない。実に、恐るべきことではあるが。それで居て今まで死傷者が出ていないと言うのは、僥倖もさる事ながら、軍隊として受けた訓練による統率された行動力と、現場指揮官のギリギリの判断が功を奏していると推察できる。
だが、行動力と判断による損害回避にも限界があるし、僥倖はもっと当てにならない。
つまり自衛隊の海外派遣、特に丸腰派遣は、早晩死傷者を出すであろう事を、少なくとも覚悟しなければならないという事である。僥倖とは幸運以外の何物でもない以上、これは確率論の問題でしかない。
「武装していても、自軍に損害が出ることはある。」然り。武装していてさえ損害を出す事があるのが戦地であり、被災地とて戦地に準じる危険がありうる。特に、今回派遣されるパキスタンのような地域は。
しかしながら、「武装していない」事によって、その自軍の損害が増えたり、早まったりする事はあっても、減ったり遅くなったりするような事態は、私には想像し難い。従って今回のパキスタンへの陸自部隊派遣で遂に初の死傷者を出してしまう可能性は、「先の国会で自民党提案どおり国際緊急援助隊派遣法の改正を実施し」パキスタンへの武器を携行しての派遣を実施した場合よりも、高いと断ぜざるを得ない。
仮に政府=現・民主党政権が今回パキスタンに派遣する日本軍=陸自派遣部隊が「一切の武装を持たない」丸腰であると宣伝に努め衆知徹底したとしても、事態は変わらないのは今更説明するまでもないだろう。「丸腰の者は撃たれない。」と狂信でもしていない限り。
そこで問題になるのは以下の諸点である。
【Q1】現・民主党政権は、菅首相並びに閣僚は、パキスタンへの陸自派遣で死傷者が出る事を想定・覚悟しているか?
【Q2】今回のパキスタン派遣にせよ、次回以降にせよ、自衛隊派遣で死傷者が出た場合、政府は整斉と適切に対応するか?
以上のように考えていくと・・・章題にした通りである。私は上記の【Q1】がYesではないかと考えている。考えているが、それに安堵も安心も出来ていない。
何故ならば、上記【Q2】の答えにも関わるが、現・民主党政権がパキスタン派遣部隊の死傷者をむしろ望んでいて、死傷者が出ればそれを好機として自衛隊の海外派遣を全面的に中止する心算なのではないかと疑うからである。
無論、自衛隊の本来任務は日本の国土国益の防衛であって、海外派遣ではない。
だが、自衛隊の海外派遣は、今回のパキスタン災害派遣や、現政権が中止してしまったインド洋上給油まで含めて、基本的に我が国益に沿った物であり、相応の実績も積んできていると認識している。
それを全面的に中止する事は、現在継続中のソマリア沖派遣を含めて我が国の国益に反するのだが、我が国益に反する事こそ現・民主党政権の目的ではないかと、思えてきたからである。
だが、行動力と判断による損害回避にも限界があるし、僥倖はもっと当てにならない。
つまり自衛隊の海外派遣、特に丸腰派遣は、早晩死傷者を出すであろう事を、少なくとも覚悟しなければならないという事である。僥倖とは幸運以外の何物でもない以上、これは確率論の問題でしかない。
「武装していても、自軍に損害が出ることはある。」然り。武装していてさえ損害を出す事があるのが戦地であり、被災地とて戦地に準じる危険がありうる。特に、今回派遣されるパキスタンのような地域は。
しかしながら、「武装していない」事によって、その自軍の損害が増えたり、早まったりする事はあっても、減ったり遅くなったりするような事態は、私には想像し難い。従って今回のパキスタンへの陸自部隊派遣で遂に初の死傷者を出してしまう可能性は、「先の国会で自民党提案どおり国際緊急援助隊派遣法の改正を実施し」パキスタンへの武器を携行しての派遣を実施した場合よりも、高いと断ぜざるを得ない。
仮に政府=現・民主党政権が今回パキスタンに派遣する日本軍=陸自派遣部隊が「一切の武装を持たない」丸腰であると宣伝に努め衆知徹底したとしても、事態は変わらないのは今更説明するまでもないだろう。「丸腰の者は撃たれない。」と狂信でもしていない限り。
そこで問題になるのは以下の諸点である。
【Q1】現・民主党政権は、菅首相並びに閣僚は、パキスタンへの陸自派遣で死傷者が出る事を想定・覚悟しているか?
【Q2】今回のパキスタン派遣にせよ、次回以降にせよ、自衛隊派遣で死傷者が出た場合、政府は整斉と適切に対応するか?
以上のように考えていくと・・・章題にした通りである。私は上記の【Q1】がYesではないかと考えている。考えているが、それに安堵も安心も出来ていない。
何故ならば、上記【Q2】の答えにも関わるが、現・民主党政権がパキスタン派遣部隊の死傷者をむしろ望んでいて、死傷者が出ればそれを好機として自衛隊の海外派遣を全面的に中止する心算なのではないかと疑うからである。
無論、自衛隊の本来任務は日本の国土国益の防衛であって、海外派遣ではない。
だが、自衛隊の海外派遣は、今回のパキスタン災害派遣や、現政権が中止してしまったインド洋上給油まで含めて、基本的に我が国益に沿った物であり、相応の実績も積んできていると認識している。
それを全面的に中止する事は、現在継続中のソマリア沖派遣を含めて我が国の国益に反するのだが、我が国益に反する事こそ現・民主党政権の目的ではないかと、思えてきたからである。
「まさか」とすら思えないのが、現・民主党政権並びに菅首相と閣僚どもの、情けなさというか、恐ろしさというか・・・・
如何に、国民。
如何に、国民。