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転載開始=============================================
<広島原爆の日>広島平和宣言(全文)  http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20100807ddm012040089000c.html
2010年8月7日(土)13:00
 「ああ やれんのう、こがあな辛(つら)い目に、なんで遭わにゃあいけんのかいのう」――65年前のこの日、ようやくにして生き永らえた被爆者、そして非業の最期を迎えられた多くの御霊(みたま)と共に、改めて「こがあな いびせえこたあ(こんなに怖いことは)、ほかの誰にも あっちゃあいけん」と決意を新たにする8月6日を迎えました。
 ヒロシマは、被爆者と市民の力で、また国の内外からの支援により美しい都市として復興し、今や「世界のモデル都市」を、そしてオリンピックの招致を目指しています。地獄の苦悩を乗り越え、平和を愛する諸国民に期待しつつ被爆者が発してきたメッセージは、平和憲法の礎であり、世界の行く手を照らしています。
 今年5月に開かれた核不拡散条約再検討会議の成果がその証拠です。全会一致で採択された最終文書には、核兵器廃絶を求める全(すべ)ての締約国の意向を尊重すること、市民社会の声に耳を傾けること、大多数の締約国が期限を区切った核兵器廃絶の取り組みに賛成していること、核兵器禁止条約を含め新たな法的枠組みの必要なこと等が盛り込まれ、これまでの広島市・長崎市そして、加盟都市が4000を超えた平和市長会議、さらに「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に賛同した国内3分の2にも上る自治体の主張こそ、未来を拓(ひら)くために必要であることが確認されました。
 核兵器のない未来を願う市民社会の声、良心の叫びが国連に届いたのは、今回、国連事務総長としてこの式典に初めて参列してくださっている潘基文(バン・キムン)閣下のリーダーシップの成せる業ですし、オバマ大統領率いる米国連邦政府や1200もの都市が加盟する全米市長会議も大きな影響を与えました。
 また、この式典には、70か国以上の政府代表、さらに国際機関の代表、NGOや市民代表が、被爆者やその家族・遺族そして広島市民の気持ちを汲(く)み、参列されています。核保有国としては、これまでロシア、中国等が参列されましたが、今回初めて米国大使や英仏の代表が参列されています。
 このように、核兵器廃絶の緊急性は世界に浸透し始めており、大多数の世界市民の声が国際社会を動かす最大の力になりつつあります。
 こうした絶好の機会を捉(とら)え、核兵器のない世界を実現するために必要なのは、被爆者の本願をそのまま世界に伝え、被爆者の魂と世界との距離を縮めることです。核兵器廃絶の緊急性に気付かず、人類滅亡が回避されたのは私たちが賢かったからではなく、運が良かっただけだという事実に目を瞑(つぶ)っている人もまだ多いからです。
 今こそ、日本国政府の出番です。「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、まずは、非核三原則の法制化と「核の傘」からの離脱、そして「黒い雨降雨地域」の拡大、並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
 また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁(ページ)を2020年に開くことが可能になります。核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え核兵器禁止条約締結の音頭を取る、全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、選択肢は無限です。
 私たち市民や都市も行動します。志を同じくする国々、NGO、国連等と協力し、先月末に開催した「2020核廃絶広島会議」で採択した「ヒロシマアピール」に沿って、2020年までの核兵器廃絶のため更に大きなうねりを創ります。
 最後に、被爆65周年の本日、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧(ささ)げつつ、世界で最も我慢強き人々、すなわち被爆者に、これ以上の忍耐を強いてはならないこと、そして、全ての被爆者が「生きていて良かった」と心から喜べる、核兵器のない世界を一日も早く実現することこそ、私たち人類に課せられ、死力を尽くして遂行しなくてはならない責務であることをここに宣言します。
 2010年(平成22年)8月6日
 広島市長 秋葉忠利
==============================================転載終了
 国連事務総長や、米英の代表が列席した事を喜ぶのは良いが・・・それに舞い上がってか、元からなのか、「核兵器のない世界」への「策」と来た日には、述べている部分すら少なく、以下の数フレーズのみである。(内容については後述。)
 
1> 「核兵器廃絶に向けて先頭に立」つために、
2> まずは、非核三原則の法制化と
3> 「核の傘」からの離脱、
4> そして「黒い雨降雨地域」の拡大、
5> 並びに高齢化した世界全ての被爆者に肌理(きめ)細かく優しい援護策を実現すべきです。
6> また、内閣総理大臣が、被爆者の願いを真摯(しんし)に受け止め自ら行動してこそ、
7> 「核兵器ゼロ」の世界を創(つく)り出し、「ゼロ(0)の発見」に匹敵する人類の新たな一頁(ページ)を2020年に開くことが可能になります。
8> 核保有国の首脳に核兵器廃絶の緊急性を訴え
9> 核兵器禁止条約締結の音頭を取る、
10> 全ての国に核兵器等軍事関連予算の削減を求める等、
11> 選択肢は無限です。
 
 先ず上記1>では「核兵器廃絶に向けて先頭に立て」と言う。そんな酔狂なところに立ちたがるやつは滅多に居ないし、「どうして先頭なんですか、2位で良いじゃないですか。」とはレンホウ議員も突っ込みにくかろうから、少なくとも「先頭に立とうとする」ぐらいは、まあ期待できるのかも知れない。
 
 で、その具体策はと言うと上記2>以降になるのだが・・・
 上記2>ではいきなり「非核三原則の法制化」と来た。恐らくは、先に暴露された「非核三原則に密約があった」ことに対する反発もあるのだろうが、少しは冷静になっては如何だろうか。
 非核三原則は我が国と我が国領土領空領海内の他国の行動を制限するに過ぎない。従って仮に非核三原則を法制化した上で領土領空通過禁止を含む完全実施が出来たとしても、せいぜい非核三原則の密約が排され、その密約の対象外である米国以外の核兵器の領土領空通過が禁止できるだけで、核兵器廃絶にはただの半歩も近づきはしないのである。我が国は、はなっから核兵器を持っていないのだから。
 
 上記3>は今度は「核の傘から離脱」と来た。現状でこれの意味するところは、日米安保条約の破棄としか私には思われない。無論、それを歓迎する国はあろう。ロシア、中国、北朝鮮と、我が国周辺には多い。が、歓迎はしても、それは我が国の安全保障が高まる事を意味しない。むしろ逆だ。
 それはそれとして(*1)「我が国が核の傘を離脱 ≒ 日米安保破棄」する事と、「核兵器廃絶」の相関関係が、私にはサッパリわからない。「アメリカの核の傘から日本と言う同盟国が抜けることにより、アメリカの核の傘の無効性が実証できる。」と言う理屈だろうか?
 そうだとしても、アメリカの核の傘にあるのは日本ばかりではない。EUなんぞ英・仏・(借り物入れれば独・伊)で自前の核の傘を持ちつつ米の核の傘にも入っている。日本だけが其処から抜けても、無効性の実証には程遠いし、それがどこかの国の核兵器保有を阻止したり、核兵器廃止につながったりと言うのは、全く想像できない。
 
 上記4>及び5>は日本政府に対して被爆者援護をより手厚くしろと言う要求である。サンフランシスコ平和条約はとうの昔に発効しているから、今更原爆投下当事者である米国に「被爆者援護」を求める訳には行かないと言うのは理解する。(*2)だから日本政府に被爆者援護を求めるのは理解するとしても・・・それが、核兵器廃絶に繋がるだろうか?繋がるとしても極めて間接的だろう。即ち「核攻撃を実施すると、その後長い間核兵器被害者を援護しなければならなくなるから、戦時賠償がその分不利になる(かも知れない)」と言うだけである。それにしたって日米間は既にサンフランシスコ平和条約で決着してしまっているのだから、この「さらに手厚い被爆者援護」は米国の不利には全くならず、ただ、次の核兵器使用国へのプレッシャーになる(かも知れない)ばかりである。
 上記2>や3>よりはまだ「核兵器廃絶」に繋がりそうではあるが、それでも、風と桶屋ほどにも相関はありそうにない。
 
 上記6>は上記7>で言う「核兵器ゼロ」のために首相はまじめにやらねばならないと言う。そりゃ「まじめにやらねばならない」のは確かだろうが、そのまじめにやることの中身は、上記8>~10>で3項目挙げているが、8>「核兵器保有国への核廃絶訴え」 9>「核兵器禁止条約締結の音頭」 10>「全ての国に軍事予算削減を求める」でしかない。
 上記8>は広島市や長崎市が65年間も訴え続けてきた訴え。それを今度あらためて首相が訴えたとて、何ほどのことがあるというのだろうか。そりゃまあ、市長よりは重きを置かれるかも知れないが。
 であれば、上記9>の音頭も相当怪しくなる。第一、6カ国協議で北朝鮮の核兵器開発すら阻止できなかったというのに、北朝鮮どころか全世界的なものを目指す「核兵器禁止条約」を、どう音頭をとれというのか。
 上記10>にいたっては言葉もない。お隣の中国が20年間国防費二桁成長驀進中に何の掣肘もできなかった日本国首相が、まじめにやったぐらいで全世界の軍事予算にどう影響を行使できると言うのか。
 ああ、「求める」だけなら可能か。それを言うならば上記8>の「訴える」も、上記9>の「音頭を取る」も実施するだけならできない事はない。
 それは即ち、実効が伴う事は期待し難いと言う事だ。つまり、「核兵器廃絶には繋がりそうにない。」
 
 挙句の果ては上記11>「選択肢は無限です。」などと言って誤魔化している。選択肢が幾ら無限にあろうとも、取れる行動は一つか二つ。その「選択肢が無限」と言い切ってしまえるのは、どれを優先して実施するか、どの選択肢が有効なのかを、広島市長自身が進言できないと言う事だ。
 
 結論。
 
 広島市長は、核兵器廃絶を願っているのかも知れない。
 だが、まじめに考えては居ない。
 
 それが「常識的態度」と言うならば、それも良かろう。が、「核兵器廃絶を願うばかりで、まじめに考えては居ない。」者が、「首相は核兵器廃絶の先頭に立て」と主張し、自分は立っているかのような態度を取る事は、少なくとも不誠実であろう。

<注釈>
(*1)
 我が国の安全保障は、我が国の文字通りの死活問題であるが、敢えて「核兵器廃絶」と言う崇高な問題の前にそれを無視する事として。
 
(*2) 戦時賠償は、平和条約の締結を持って終結する。それ以降の要求要請は、強請り・タカリのみみっちい犯罪でしかない。