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 「屠龍の技」(とりゅうのぎ、とりゅうのわざ)と言う言葉がある。屠龍とは、龍を殺す事。英語で言えばSlay Dragonだ。
 龍を殺す技だから並大抵の事ではなく、習得するのに一生かかる難事だそうだ。
 が、龍は所詮架空の動物。屠龍の技を習得しても、龍が居なければ実践もしようが無い事から、「高価な犠牲を払って学んでも、実際には役に立たない技芸。」と言う意味である。
 
 本来は。つまりその語源となった大陸支邦に於いてはだ。
 
 ところが、我が国では違った意味でも使われるようだ。
 「屠龍の技」を「無駄な努力=徒労」ではなく「龍を殺すと言う事態に備えた研鑽努力を讃える」意味に、つまり全く逆の意味に使われる。

 龍は架空の動物(*1)だから、それを殺す技はなるほど無駄かも知れない。
 だが、「龍を殺す」ために積んだ研鑽努力は、他の事にも使えるだろうから、ムダではない、どころかその研鑽努力を評価する考え方だろう。本来の意味からすると、これは間違った使い方である。
 
 ところで、国防についても「屠龍の技」とあい通じるものがある様に思う。
 龍=日本に対する侵略軍は遂に現れないかも知れない。(*2)
 屠龍の技は遂に披露される事なく終わるかも知れない。
 
 だが、少なくとも屠龍さえも可能とする技は貴重であるし、そのために積んだ研鑽、研鑽を可能とした意思力は、抑止力たりうる。言い換えれば「屠龍の技には充分価値がある」と考えるが、いかがであろうか。
 
 「抜かずの名刀こそ、我らの誇りよ。」-神田二尉「ファントム無頼(*3)」
 
 閑話休題(それはさておき)・・・
 
 大日本帝國陸軍2式複戦の呼び名もまた「屠龍」と言う。双発復座のレシプロ戦闘機の常で運動性の悪さから(*4)、制空戦闘機としては相当分が悪かったが、大戦後半には本土防空の任に付き、ボーイングB-29スーパーフォートレス相手に戦った。
 
 
イメージ 1

 高高度性能も、速度性能も、防弾性能も格段に上のB-29相手に37mm砲(*5)で攻撃をかけ、撃墜すると言うのは並大抵な事ではなく、その困難さは名人芸とも「屠龍の技」とも表現して言い過ぎにはなるまい。
 
 日本で一番B-29を撃墜したとされる樫出勇氏は、終戦の際「私の生涯でB-29撃墜以上の難事は他にないだろう。」と感じたという。
 B-29を26機も撃墜したという大エースにしてこの感想である。
 
 無論、B-29を容易に撃墜できる高高度戦闘機を実戦配備してあったならば、樫出氏も此処まで苦労されなかったろうし、ひょっとすると人類史上発の核攻撃による広島・長崎の惨劇を防ぎえたかも知れない。それは防空体制、防空兵器開発の失敗であり、戦略上の失敗である。
 
 その失敗を僅かなりとも補ったのが、樫出氏ら日本のパイロット達の研鑽努力であり、技量である。それらは戦術的成功に過ぎないにしても、戦術的成功の価値そのものを貶める事もあるまい。
 
 我が軍パイロットの屠龍の技は磨かれ、確かに発揮されたのである(*6)。
 「どうせ負ける戦争」だの「蟷螂の斧」だのと評するのは、一面の真実ではあろうが、一面的な真実でしかない。 
 樫出氏をはじめとする、我が防空パイロットの勇気と技量=屠龍の技は、人類共通の財産である。

<注釈>
(*1) もしくは、滅多に見つからない動物
 
(*2) 少なくとも、元寇から幕末まで、600年間は現れなかったし、敗戦以来70年間ほども「具現化」はしていない、とも言える。
 「こんなに平和な日本で、冷戦も終結したのに、軍備なんて不要。」と、堂々と素面で言い切ってしまえる輩も、掃いて捨てるほどある。
 あらためて言うまでも無いだろうが、私はこういう輩には機会を捉えて言う事にしている。
 「寝言は寝て言え。
  起きたまま寝言を言う奴は、狂人だ。」
 
(*3) 史村翔・原作 新谷かおる・絵の航空自衛隊ファントム・パイロットを主人公とした漫画。
 「自衛隊を舞台にしたら、荒唐無稽になるか、ホームドラマになるか、どっちかしかないだろう。」と思っていたら、両方兼ねてしまった「凄い」漫画。
 主人公たち(F-4ファントムは復座だからね。)の操縦するファントムは、爆装したままF-15の3機編隊に挑み、ヴァルカン砲正面射撃の1連射で3機とも「撃墜」するという、エーリッヒ・ハルトマン(一撃離脱を得意とし、「1連射で2機落とす。」と言われた352機撃墜の人類史上最高の撃墜王。)も裸足で逃げ出す荒唐無稽ぶり。
 引用したのはベトナム帰りの米空軍ファントムに一度敗れて雪辱戦を挑み、「木の葉落とし」で逆転勝利した後の台詞。
 
(*4) 双発のレシプロ戦闘機と言うのは、殆ど成功例がない。全木製( WWII当時の工作技術だと、表面仕上げが綺麗になるので、木製の方が重くはなるが速くする事が出来たらしい。モスキートの他、ソ連のラボアチキンLa-5、スゥエーデンのピヨレ・ミルスキ。何れも木製の高速戦闘機だ。時代、だねぇ。)として高速性能を誇った英国のデ・ハビランド・モスキートと、双発単座と言う特異な形式で高速による一撃離脱に賭けた米国のロッキードP-38ライトニング(でも、格闘戦に巻き込まれるとボロボロ。)、後は夜間戦闘機で月光、P-61ブラックウイドウぐらいかねぇ。
 
(*5) 機関砲ではない。1発ずつ後席の航法士が装填する。当然、1航過にほぼ1発しか撃てず、高高度性能も速度性能も上で高高度を飛んで来るB-29相手には攻撃を仕掛けるのでさえ難事であるから、撃墜はほぼ一撃必殺でなければ叶わない。
 
(*6)  その語源となった大陸支邦の本来の意味とは異なり。
   つまりは「郷に入っては郷に従え」と言うか、「氏より育ち」と言うところか。

「屠龍の技」の日本的適用例 :レスキュー隊の心構え
http://yonenet.weblogs.jp/blog/2008/07/post-89a8.html