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「一企業が国家の権威に挑戦するのか」 中国メディアがグーグル批判  http://sankei.jp.msn.com/economy/it/100321/its1003211919000-n1.htm
2010.3.21 19:17
 
このニュースのトピックス:グーグル
 中国共産党機関紙、人民日報のウェブサイト「人民網」や国営通信、新華社の「新華網」は21日までに、中国市場から撤退するかどうかが焦点となっている米インターネット検索大手グーグルについて「一企業が国家の権威に挑戦しても成功するはずがない」などと強く批判する論評を掲載した。
 「グーグルは自ら袋小路に入り込んだ」と題する論評は、中国政府が「撤退の脅し」を受けて「特定の企業(の要求)にゴーサインを出すことはあり得ない」と断言。「脅し」を使ったグーグルは時代錯誤で「中国を見誤った」と批判した。
 また、グーグルは中国市場に残れば大恥をかくし、撤退すれば企業の発展戦略の大失敗になると指摘した。(共同)
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 「鶏頭となるも牛後となるなかれ」も同じく中国の諺だが、今では「牛後」しか中国政府は推奨しないらしい。
 
 否、現共産党政権も、それ以前の星の数ほどもある多くの王朝も、国民なり人民なりに「牛後」となる事を求め、或いは強いてきたからこその中国史であろう。
 
 中国メディア、と言う事は「中国共産党の口舌=宣伝機関」は、今回報じられるグーグルの中国撤退を次のように非難していると言う。以下、引用符号と番号「n>」で示したのが中国メディアの「報道=中国共産党の宣伝」である。
 
1> 「一企業が国家の権威に挑戦しても成功するはずがない」
 つまりは長いものには巻かれて、お上には逆らわず、役人への付け届けも忘れずに、と言うのが中国に於ける「成功」の条件であるらしい。
 
 ある意味、本音の、「正しい」指摘であろう。
 
 だが、此処でいう「成功」とは何か。
 
 「経済的成功」か?恐らくはそうだろう。早い話が大いに利益を上げ、金持ちになることだ。
 
 では逆に考えてみようか。グーグルが今回中国から撤退せず、中国の「法律に従う」と言うのは、グーグル側の声明に依れば中国政府の意のままに自主検閲を実施する事に他ならない。
 
グーグルが中国から撤退…経過説明と抗議の声明(全文)  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100323-00000005-scn-int
 
 なるほど、それは「中国の法律」であり、「中国と言う国家の権威」であろう。が、その「中国の法律を守り」「中国の国家の権威に従う」グーグル社を、読者諸兄ならば尊敬しうるだろうか。
 企業を利益団体と割り切り、利益追求のみを行うならば、なるほど上記「中国メディアの報道」1>の通りに「国家の権威に従い」大いに利益を上げ、その一部なりを賄賂なり何なりで中国政府及び役人に還元するところだろう。利益団体としては全く正しい姿だ。
 だが、尊敬しうるか?
 
 私の答えは書くまでもないだろう。企業としての利益を損なっても中国から撤退し、中国政府の求める自主検閲( 中国政府がそれを求めると言うことは大いにありうると考えるので、中国政府の主張「ただ法律を守れと求めているだけ。」と言うのは全く信じられない。所詮中国も、小沢一郎と同様、いやその親玉である、「我が敵」に過ぎない。)を潔くしなかったグーグル社を、私は尊敬する。
 
 無論、たかが私の尊敬と引き換えに、中国10億の市場から撤退すると言うのは全く割りの合わない話であろう。
 
 だが、読者諸兄の尊敬ならば、いくらか心強かろう。
 或いは、中国の人口ほど居るかどうかは定かではないが、全世界に相応の数居る、「自由な魂の持ち主たち」の尊敬ならばどうだ。
 
 それは「成功」と呼べないのか。
 呼べない者は、呼ばないが宜しかろう。
 
 私ならば、それを、成功と断言する。単なる経済的利益よりも、遥かに価値のある成功と。
 
2> 中国政府が「撤退の脅し」を受けて「特定の企業(の要求)にゴーサインを出すことはあり得ない」
 此処で中国メディアのいう「特定の企業(の要求)」は、グーグルの声明でいう「自主的検閲の拒絶」であろう。その自主的検閲が公序良俗に反するものに限っていると言うならばまだしも、天安門事件に関係するキーワードにまで検閲がかかるとあっては、これは明らかな思想統制である。
 左様な「自主的検閲」を甘受すると言うのは、マスメディアの自殺に他ならない。無論、この世は自殺したがるマスメディアに溢れてはいるのだが。
 グーグルがマスメディアであるかどうかは議論の余地があるが、情報伝達を生業とし、以って思想言論の自由に奉仕しようとする事は、ある種「社会の木鐸」たらんとしていると言うことであり、その意味では、既存のマスメディア、特に「中国共産党の口舌」にしか過ぎない「中国のマスメディア」よりも、遥かにマスメディアのあるべき姿である。
3>  「脅し」を使ったグーグルは時代錯誤で「中国を見誤った」と批判した。
 
 グーグルの中国撤退は実施された。一時退却であると言う可能性は残っているが、実際に撤退した以上、これは「撤退の脅し」ではなかったわけであり、「中国こそグーグルを見誤った」と自白している。
 
 さらには、何を以ってグーグルを「時代錯誤」と言っているのかが判らない。中国では「国家の権威」に膝を屈して阿るのが、「時代の流れ」なのだろうか。
 「21世紀は中国の世紀であるから、中国に逆らうような奴は時代錯誤だ。」と言う主張だろうか。だとしたら、流石は民主党及びそれを牛耳る黒幕・我が敵・小沢一郎の親分と言うべきだろう。「政権交代=民主党支持こそ時代の流れ」と公言する傲岸さがソックリそのままだ。
 
4> グーグルは中国市場に残れば大恥をかくし、
5> 撤退すれば企業の発展戦略の大失敗になると指摘した。
 
 上記4>については私も同意する。中国の「国家の権威」に膝を屈し、自主検閲を甘受するようでは、自由な魂は失われ、歴史に残る大恥となりかねない。
 上記5>については、経済的にはその通りかもしれない。
 だが、今回のグーグル撤退は、図らずも中国がネットの自由の敵であり、恐らくは最大最強の敵であることを全世界に知らしめた。その意味では「企業の発展戦略」上の失敗ではあっても、より上位の勝利にはつながり得ると、私には思える。
 
 詰まる所そいつは、自由な魂の、暴政圧制に対する勝利だ。
 
 「世界は知るだろう、自由な者と暴君の戦いを。
 少数が大軍と戦い、戦いが終わる前には、神の王さえ血を流したと。」-映画「300」より-
 
 
 このグーグル撤退の関連記事を読んでいて、ますます中国が映画「300」のペルシャ帝国に見えてきた。
 
Freiheit in der Hand!
自由を、我が手に。