(2.)「非核3原則」の歴史的評価
先ずは広義から、前述①~④に共通している「核密約」ならぬ「密約」問題から評価するとしよう。
「民主主義国家なのだから、全ての外交・条約は国民に公開されるべきだ。」と言う考え方は一見一理あることは同意する。今回の調査結果報告を「画期的」として高く評価する社民党や民主党( の一部?)のお歴々もそのような考え方だろう。
が、「青臭い書生論」と断じてしまおう。
何度も書いて「指にタコ」だが、外交とは国益追求の手段であり、弾丸を使わない戦争に他ならない以上、「国益のためには密約をも辞さない」即ち国民をたばかることさえ厭わない覚悟が首相や閣僚には求められる。少なくとも佐藤首相にはその覚悟があったからこその上記「密約」であり、その結果明らかに国益は確保されたと私は判断するから、佐藤首相の上記「密約」を、少なくとも「密約である」と言うだけで非難するのは全くのお門違いとしか、私には思われない。
【密約】ギリギリの交渉だった72年のニクソン-佐藤会談 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100310/plc1003100010000-n1.htm
が、「青臭い書生論」と断じてしまおう。
何度も書いて「指にタコ」だが、外交とは国益追求の手段であり、弾丸を使わない戦争に他ならない以上、「国益のためには密約をも辞さない」即ち国民をたばかることさえ厭わない覚悟が首相や閣僚には求められる。少なくとも佐藤首相にはその覚悟があったからこその上記「密約」であり、その結果明らかに国益は確保されたと私は判断するから、佐藤首相の上記「密約」を、少なくとも「密約である」と言うだけで非難するのは全くのお門違いとしか、私には思われない。
【密約】ギリギリの交渉だった72年のニクソン-佐藤会談 http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100310/plc1003100010000-n1.htm
「流血を厭う国民は、流血を厭わない国民に滅ぼされる。」と言う名言が、クラウゼヴィッツだったかマキャベリだったかは忘れたが、これを敷衍するならば、「密約を厭う国民は、密約を厭わない国民に滅ぼされる。」と言えそうである。少なくとも「大いに不利になる」のは確実であるし、青臭い書生論のために左様な不利を我が国が被ることを、私は肯んじない。
密約はいずれ( 今回のように)国民に明らかにされるべきであるとしても、その密約の評価は、国益に寄与したか否かに依るべきである。
さてその上で、前記四項目の内の「核密約」即ち前記の①「核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外」と③「有事の際の沖縄への核再配備」について評価しよう。
なるほどこの2項目は、非核三原則の3番目「持ち込ませず」に抵触する恐れがある。
勿論それは「持ち込ませず」を何処まで徹底するかにも依るのだが、「領海通過」に関する限りは事実上徹底しようがないのは前述の通りである。少なくとも潜水艦についての「領海通過」については「核密約」もなにも、そもそも「非核三原則」を楯に禁じることに無理があると、考えるべきだろう。
たとえアメリカが日本の非核三原則(の第三原則。第一と第二はアメリカには関係ない。)を遵守すると明言し、それを実行したとしても、当時のソ連や今の中国の潜水艦がそれを「遵守する」なぞ全く信用できない。
従って同盟国であるアメリカの核搭載艦船通過を「事前通告の対象外」とするのは、我が国の安全保障上当然のことである。
そうなると、前記①で「(B)広義の密約あり」とされたのは「核兵器搭載艦船の寄港・通過」であるが、「事前通告の対象」となりうるのは、「寄港」のみである。
この点「(B)広義の密約あり」とされた今回報告であるが・・・アメリカは事前通告しないことで日本に寄港する米軍艦船に核兵器が搭載されているともされていないとも明らかにせず、日本は「事前通告がない」ことを以って建前上「核兵器搭載はない(筈)」と主張する。三文芝居もよいところであるが、この三文芝居があるからこそ、「日本に寄港している米軍艦船に核兵器が搭載されている(かも知れない)」のであり、核抑止力が働くのである。常識て考えて「日本に寄港する前に、態々核兵器を、グアムかハワイあたりに置いて来る訳がない。」からこそ。
冷戦時代と言う背景も忘れてはいけない。米ソ両国は互いに核報復能力を維持し、相手からの先制攻撃があっても相手に大損害をもたらせるように腐心していたのである。日本の領海を通過したり、日本に寄港するためだけに、その貴重な核報復能力を、減殺する筈がない。そんなことは日本政府も、日本国民の多くも、承知の上での上記三文芝居だったのである。
「非核三原則は二原則或いは2.5原則にし、日本に寄港・通過する米軍艦船には核兵器搭載の可能性を否定しません。」と国民に堂々と宣言できなかったのは前・自民党長期政権の「果たされなかった宿題」とは言えるかも知れない。「国民に嘘をついた。」と言うのもまあ、一理だろう。例によっての「青臭い書生論だが」。
密約はいずれ( 今回のように)国民に明らかにされるべきであるとしても、その密約の評価は、国益に寄与したか否かに依るべきである。
さてその上で、前記四項目の内の「核密約」即ち前記の①「核兵器搭載艦船の寄港・通過を事前協議の対象外」と③「有事の際の沖縄への核再配備」について評価しよう。
なるほどこの2項目は、非核三原則の3番目「持ち込ませず」に抵触する恐れがある。
勿論それは「持ち込ませず」を何処まで徹底するかにも依るのだが、「領海通過」に関する限りは事実上徹底しようがないのは前述の通りである。少なくとも潜水艦についての「領海通過」については「核密約」もなにも、そもそも「非核三原則」を楯に禁じることに無理があると、考えるべきだろう。
たとえアメリカが日本の非核三原則(の第三原則。第一と第二はアメリカには関係ない。)を遵守すると明言し、それを実行したとしても、当時のソ連や今の中国の潜水艦がそれを「遵守する」なぞ全く信用できない。
従って同盟国であるアメリカの核搭載艦船通過を「事前通告の対象外」とするのは、我が国の安全保障上当然のことである。
そうなると、前記①で「(B)広義の密約あり」とされたのは「核兵器搭載艦船の寄港・通過」であるが、「事前通告の対象」となりうるのは、「寄港」のみである。
この点「(B)広義の密約あり」とされた今回報告であるが・・・アメリカは事前通告しないことで日本に寄港する米軍艦船に核兵器が搭載されているともされていないとも明らかにせず、日本は「事前通告がない」ことを以って建前上「核兵器搭載はない(筈)」と主張する。三文芝居もよいところであるが、この三文芝居があるからこそ、「日本に寄港している米軍艦船に核兵器が搭載されている(かも知れない)」のであり、核抑止力が働くのである。常識て考えて「日本に寄港する前に、態々核兵器を、グアムかハワイあたりに置いて来る訳がない。」からこそ。
冷戦時代と言う背景も忘れてはいけない。米ソ両国は互いに核報復能力を維持し、相手からの先制攻撃があっても相手に大損害をもたらせるように腐心していたのである。日本の領海を通過したり、日本に寄港するためだけに、その貴重な核報復能力を、減殺する筈がない。そんなことは日本政府も、日本国民の多くも、承知の上での上記三文芝居だったのである。
「非核三原則は二原則或いは2.5原則にし、日本に寄港・通過する米軍艦船には核兵器搭載の可能性を否定しません。」と国民に堂々と宣言できなかったのは前・自民党長期政権の「果たされなかった宿題」とは言えるかも知れない。「国民に嘘をついた。」と言うのもまあ、一理だろう。例によっての「青臭い書生論だが」。
その「青臭さ」は「非核三原則の第三原則」なぞに国民が騙されていなかったことで実証されている。
実証例を二つ挙げておこう。一つは「諸君」だか「正論」だかのコラム。確かライシャワー発言が「日本に寄港する米軍艦船に核兵器搭載の可能性」をあらわにしたころかと記憶する。核兵器の持込是非を喧々諤々議論する父と母を前に、核兵器を「裸の王様」に例えて子供が揶揄すると言うのがあった。
「諸君」や「正論」では思想的に偏りがあるというなら、「少年ジャンプ」はどうだ。「魁!男塾」には日本に寄港した米空母にしっかり核兵器が保管されているシーンがあり、その核兵器保管庫に監禁されている「核兵器並みに危険な男達」が男塾塾生の対戦相手として登場する。
いずれも米軍艦船による日本への核兵器「持ち込み」が常識ないし当然視されていた証左であろう。
さらには、前記③はどうであろうか。此処で「核密約」が核兵器を沖縄に持ち込むと言うのは「有事」である。
我が国が有事法制と言う点で昔も今も非常にお寒い状況にあることは間違いないし、「非核三原則」が打ち出された佐藤首相時代は現在よりもさらにお寒い状況であった訳だが・・・国民諸君に問おうではないか。国民諸君は、非核三原則の三番目を遵守する事で我が国が再び敗戦の憂き目に遭い、恐らくは再び外国の占領支配下に入る事を、肯んじるか、と。
私なら到底そんなことは肯んじえない。
非核三原則の第三原則どころか、第一原則・第二原則さえ国家の自存自衛のためには破棄すべきなのは明白だと私は考えている。即ち我が国の自存自衛のためならば、独自核武装でさえ忌避すべきではないと。ただ、有事になってから核兵器開発したって間に合わないから、このときの「核密約」では第三原則を有事には停止すると「核密約」しているばかりである。
これは国としては至極当然の反応であると私には思われる。
今回調査報告では、この前記③「(C)密約なし」とされ、一方で岡田外相はこの報告を受けたその日に「これは密約じゃないか。」と調査報告の意義を真っ向から否定しかねない発言をしているが、問題の本質は核密約であったか否かよりも、核密約が必要であったか否かだろう。
事実、最近明らかになった史実の示すところでは、「非核三原則」の前提は、中国の侵略に対する米国からの核先制攻撃の保証であったと言う。
実証例を二つ挙げておこう。一つは「諸君」だか「正論」だかのコラム。確かライシャワー発言が「日本に寄港する米軍艦船に核兵器搭載の可能性」をあらわにしたころかと記憶する。核兵器の持込是非を喧々諤々議論する父と母を前に、核兵器を「裸の王様」に例えて子供が揶揄すると言うのがあった。
「諸君」や「正論」では思想的に偏りがあるというなら、「少年ジャンプ」はどうだ。「魁!男塾」には日本に寄港した米空母にしっかり核兵器が保管されているシーンがあり、その核兵器保管庫に監禁されている「核兵器並みに危険な男達」が男塾塾生の対戦相手として登場する。
いずれも米軍艦船による日本への核兵器「持ち込み」が常識ないし当然視されていた証左であろう。
さらには、前記③はどうであろうか。此処で「核密約」が核兵器を沖縄に持ち込むと言うのは「有事」である。
我が国が有事法制と言う点で昔も今も非常にお寒い状況にあることは間違いないし、「非核三原則」が打ち出された佐藤首相時代は現在よりもさらにお寒い状況であった訳だが・・・国民諸君に問おうではないか。国民諸君は、非核三原則の三番目を遵守する事で我が国が再び敗戦の憂き目に遭い、恐らくは再び外国の占領支配下に入る事を、肯んじるか、と。
私なら到底そんなことは肯んじえない。
非核三原則の第三原則どころか、第一原則・第二原則さえ国家の自存自衛のためには破棄すべきなのは明白だと私は考えている。即ち我が国の自存自衛のためならば、独自核武装でさえ忌避すべきではないと。ただ、有事になってから核兵器開発したって間に合わないから、このときの「核密約」では第三原則を有事には停止すると「核密約」しているばかりである。
これは国としては至極当然の反応であると私には思われる。
今回調査報告では、この前記③「(C)密約なし」とされ、一方で岡田外相はこの報告を受けたその日に「これは密約じゃないか。」と調査報告の意義を真っ向から否定しかねない発言をしているが、問題の本質は核密約であったか否かよりも、核密約が必要であったか否かだろう。
事実、最近明らかになった史実の示すところでは、「非核三原則」の前提は、中国の侵略に対する米国からの核先制攻撃の保証であったと言う。
つまり前記③の「核密約」が無しで済ませられたとするならば、それは、中国侵略時の米国による核先制攻撃には前記①「寄港・通過艦船の核兵器」だけが必要であり、前記③「沖縄への核再配備」が必ずしも必要ではなかったから、と考えるべきであろう。
言い換えれば、「核密約」であれなんであれ、必要な密約を密約しなかった場合が最悪のケースである。それは責任ある政権与党のすべきところではない。( まあ、現民主―社民―国民新連立政権では、とても出来そうにないが。)
言い換えれば、「核密約」であれなんであれ、必要な密約を密約しなかった場合が最悪のケースである。それは責任ある政権与党のすべきところではない。( まあ、現民主―社民―国民新連立政権では、とても出来そうにないが。)
同じく、必要な密約を密約したことは、次善のケースであり、今回報告で「密約あり」とされたケースもこのケースであると私は考える。非難すべきところがないとはいわないが、本質的には間違った選択ではない。
密約無しで済ませられればそれに越したことはない。だが、日本国民の「核アレルギー」は、「核密約」なしでいられたかと言うと、甚だ疑問だ。
密約無しで済ませられればそれに越したことはない。だが、日本国民の「核アレルギー」は、「核密約」なしでいられたかと言うと、甚だ疑問だ。
(3.)Quo Vadis? 今なすべきは「非核三原則」の遵守であろうか?
さて、今回の報告書を受けて、「核密約」について、我々が今議論すべきは、果たして、前の自民党長期政権が「国民を謀って来た」過去であろうか。先述の通り、国民は「謀られて」などいなかったのに。
【密約】非核三原則は見直さず 何のための調査だったのか http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100309/plc1003092226029-n1.htm
例によって「不統一」がシンボルマークの鳩山内閣では、閣僚内でもこの「非核三原則」に対する見解が分かれており、上記記事で「非核三原則を見直す考えはない」と言う岡田外相が、将来の政権はその都度非核三原則を見直すことがあるとしているのに対し、そんなことはないと断言してしまう閣僚も居る。
どうして「現時点は愚か将来にわたってまで、非核三原則は見直す必要がない。」と断言できてしまうのか、私にはサッパリわからない。
先述の通り、佐藤首相が非核三原則を打ち出したとき、その前提に中国が侵略してきた時に米国から核先制攻撃をかけてくれる保証があったのである。
同じ核先制攻撃の保証が、今の米国に期待できるだろうか。
核兵器と言っても核爆弾をソ連製デットコピーの爆撃機に搭載しかしていなかったかつての中国に対する核先制攻撃ではない。今の、ICBMもSLBMも曲がりなりにも有している中国に対する核先制攻撃を。
なるほど米政府・オバマ大統領は、核先制攻撃をしないという宣言は拒否している。が、中国に対する核先制攻撃を、有事の際には必ずするという約束は、今となっては相当難しい。
であるならば、今政権の座にあるのが佐藤首相であったならば、「非核三原則」など打ち出せない筈だ。
【密約】非核三原則は見直さず 何のための調査だったのか http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100309/plc1003092226029-n1.htm
例によって「不統一」がシンボルマークの鳩山内閣では、閣僚内でもこの「非核三原則」に対する見解が分かれており、上記記事で「非核三原則を見直す考えはない」と言う岡田外相が、将来の政権はその都度非核三原則を見直すことがあるとしているのに対し、そんなことはないと断言してしまう閣僚も居る。
どうして「現時点は愚か将来にわたってまで、非核三原則は見直す必要がない。」と断言できてしまうのか、私にはサッパリわからない。
先述の通り、佐藤首相が非核三原則を打ち出したとき、その前提に中国が侵略してきた時に米国から核先制攻撃をかけてくれる保証があったのである。
同じ核先制攻撃の保証が、今の米国に期待できるだろうか。
核兵器と言っても核爆弾をソ連製デットコピーの爆撃機に搭載しかしていなかったかつての中国に対する核先制攻撃ではない。今の、ICBMもSLBMも曲がりなりにも有している中国に対する核先制攻撃を。
なるほど米政府・オバマ大統領は、核先制攻撃をしないという宣言は拒否している。が、中国に対する核先制攻撃を、有事の際には必ずするという約束は、今となっては相当難しい。
であるならば、今政権の座にあるのが佐藤首相であったならば、「非核三原則」など打ち出せない筈だ。
なるほど米ソ両大国に依る冷戦は、佐藤首相当時のように厳然とは存在しない。
だが、極東アジアに於ける冷戦構造は、佐藤首相の頃と殆ど変わりがなく、中国の核戦力及び通常戦力は佐藤首相の頃を遥かに上回るからこそ、「米国による中国核先制攻撃の保証」が難しいのである。
だが、極東アジアに於ける冷戦構造は、佐藤首相の頃と殆ど変わりがなく、中国の核戦力及び通常戦力は佐藤首相の頃を遥かに上回るからこそ、「米国による中国核先制攻撃の保証」が難しいのである。
(4.)「非核三原則」を議論せよ!―民主党や現政権には無理だろうな・・・―
結論は明らかだろう。
「核密約」報告は歴史的意義があるかもしれない。その意味では「画期的」であり、「政権交代の成果」と言ってもよいだろう。
だが、歴史的意義と、選挙対策( つまりは集票マシーンだ。)に終わるべきものであろうか?
国是とまで称される「非核三原則」であるが、本来我が国が核武装するか否か、核兵器を開発するか否かは、我が国安全保障の根幹に関わる大問題の筈である。
「核密約」報告は歴史的意義があるかもしれない。その意味では「画期的」であり、「政権交代の成果」と言ってもよいだろう。
だが、歴史的意義と、選挙対策( つまりは集票マシーンだ。)に終わるべきものであろうか?
国是とまで称される「非核三原則」であるが、本来我が国が核武装するか否か、核兵器を開発するか否かは、我が国安全保障の根幹に関わる大問題の筈である。
その大問題を「世界で最初に核兵器の惨害を被った」ことで思考停止し、「非核三原則」を「国是」に担ぎ上げて嬉々としていられるのは、前述の通り「中国が侵攻してきた場合に米国から中国へ核先制攻撃を保証」されている間だけではないのか。
「核密約」報告が出た今こそ、「非核三原則」を大いに議論すべきである。
尤も、現政権=民主党・社民党・国民新党には、そんなことは全く期待できない。である以上、政界・官界ではなく、民間で議論する他ない。
広く公議を起こし起こし、万機公論に決すべし!
「核密約」報告が出た今こそ、「非核三原則」を大いに議論すべきである。
尤も、現政権=民主党・社民党・国民新党には、そんなことは全く期待できない。である以上、政界・官界ではなく、民間で議論する他ない。
広く公議を起こし起こし、万機公論に決すべし!