とある政治ジョークがある。
「資本主義と社会主義、共産主義及び反動とは何か説明せよ。」と言う設問から始まる。冗句にしたってなかなか困難な設問であるが、そこは政治ジョーク。簡単にして明瞭な答えを用意している。
「金持ちがやってきて、君に一曲歌ってくれと言う。
君が一曲歌うと、お礼にと何某かの金をくれる。これが資本主義だ。
貰った金を「皆の金だ。皆で分けよう」とするのが社会主義だ。
「国家の金だ。一文もやらん。」とするのが共産主義だ。
それぞれに反対するものが居れば、それが反動だ。」
政治ジョークだけに聊か戯画化(カリカチュアライズ)されては居るが、なかなか本質を突いているように私には思われる。ことに共産主義が「国家の金だ。一文もやらん。」と言うところに、先に「国民一人当たり全財産30ドルに制限」する「デノミ」を行った北朝鮮をはじめとする多くの共産主義国家( そのうちいくらかは既にこの世にはないが)に相通じるものを感じるのは、私だけではあるまい。
「資本主義と社会主義、共産主義及び反動とは何か説明せよ。」と言う設問から始まる。冗句にしたってなかなか困難な設問であるが、そこは政治ジョーク。簡単にして明瞭な答えを用意している。
「金持ちがやってきて、君に一曲歌ってくれと言う。
君が一曲歌うと、お礼にと何某かの金をくれる。これが資本主義だ。
貰った金を「皆の金だ。皆で分けよう」とするのが社会主義だ。
「国家の金だ。一文もやらん。」とするのが共産主義だ。
それぞれに反対するものが居れば、それが反動だ。」
政治ジョークだけに聊か戯画化(カリカチュアライズ)されては居るが、なかなか本質を突いているように私には思われる。ことに共産主義が「国家の金だ。一文もやらん。」と言うところに、先に「国民一人当たり全財産30ドルに制限」する「デノミ」を行った北朝鮮をはじめとする多くの共産主義国家( そのうちいくらかは既にこの世にはないが)に相通じるものを感じるのは、私だけではあるまい。
(1.)私の「共産主義」観
あらためて書くまでもない読者諸兄も多かろうが、私は「右翼」と言われ続けて長い。「左翼」と言うのが誉め言葉であった時代もかつてはあったそうだが(*1)、「右翼」と言うのは昔も今も否定的なニュアンスを持つ言葉である事は否めない。
とは言え、「世の中、右翼も居れば左翼も居るから面白いんじゃないか。」と開き直って来たから、「右翼」と呼ばれようが「ネトウヨ」と呼ばれようが、今更屁とも思わない。
そんな私であるから、共産主義者や社会主義者或いはも少し狭義にマルクス・レーニン主義者であったことは、自覚する限り( 即ち物心が付いて以来)ない。であればこそ、これらの主義主張を外部から「敵として」観察するばかりで、深い研究をしたとは言い難い。(*2)文献として当たった覚えがあるのは「共産党宣言」ぐらい。それも学校の授業で「当たらされた。」と言うのが正しかろう。後は世界史の一環として知るのみだ。「空想から科学へ」も読んでいなければ「マルクス・エンゲルス全集」なんかは本屋で背表紙を見たことがあるかないかと言う所。
それでも、共産主義、少なくとも現存する共産主義国家や共産党のエッセンスを理解するには事足りたと思っているし、今でもその点は自信がある。(*3)
多くの「共産主義国家」がベルリンの壁崩壊以来その「共産主義」を放棄し、未だ共産党独裁を貫く「中華人民共和国」は「社会主義市場経済」を掲げて拝金主義に走り、お隣の「朝鮮民主主義人民共和国」は憲法の「共産主義」を「主体思想」に言い換えているぐらいであるから、私が「共産党宣言」ほか共産党の掲げる思想やらテーゼやらに感じた胡散臭さは、やはり「本物」であったと確信できている。
何が胡散臭いと感じたかといえば、例えば計画経済である。「能力に応じて働き必要に応じて受け取る」と言うその前提からして性善説無しには成り立たないが(*4)、仮にその「必要」が過不足なく集計できて(*5)「生産計画」が出来上がり、これを各工場、各労働者なりに配分した「ノルマ」が決まったとしよう。各工場・各労働者はこの「ノルマ」さえ果たせば良い筈であり。実際その「ノルマ」を果たせないと罰則があったと聞く。あんまり成績が悪いとへたすりゃ「サボタージュ」の廉で銃殺なりシベリア送りなりが待っている厳しい罰則が。
ところで、計画経済が正しく、ノルマの配分も適正ならば、ノルマ達成もさることながら、ノルマ超過もまた「良くない事」の筈だ。銃殺やシベリア送りは厳しすぎるとしても、譴責や減給ぐらいにはなりそうなものだが、これが当時の共産主義国家では罰せられないどころか賞賛され、「一人で何十人分のノルマを達成した」として「労働英雄」なる称号と勲章まで貰えてしまったのである。
これは「計画経済の破綻」の自白に他ならない。
とは言え、「世の中、右翼も居れば左翼も居るから面白いんじゃないか。」と開き直って来たから、「右翼」と呼ばれようが「ネトウヨ」と呼ばれようが、今更屁とも思わない。
そんな私であるから、共産主義者や社会主義者或いはも少し狭義にマルクス・レーニン主義者であったことは、自覚する限り( 即ち物心が付いて以来)ない。であればこそ、これらの主義主張を外部から「敵として」観察するばかりで、深い研究をしたとは言い難い。(*2)文献として当たった覚えがあるのは「共産党宣言」ぐらい。それも学校の授業で「当たらされた。」と言うのが正しかろう。後は世界史の一環として知るのみだ。「空想から科学へ」も読んでいなければ「マルクス・エンゲルス全集」なんかは本屋で背表紙を見たことがあるかないかと言う所。
それでも、共産主義、少なくとも現存する共産主義国家や共産党のエッセンスを理解するには事足りたと思っているし、今でもその点は自信がある。(*3)
多くの「共産主義国家」がベルリンの壁崩壊以来その「共産主義」を放棄し、未だ共産党独裁を貫く「中華人民共和国」は「社会主義市場経済」を掲げて拝金主義に走り、お隣の「朝鮮民主主義人民共和国」は憲法の「共産主義」を「主体思想」に言い換えているぐらいであるから、私が「共産党宣言」ほか共産党の掲げる思想やらテーゼやらに感じた胡散臭さは、やはり「本物」であったと確信できている。
何が胡散臭いと感じたかといえば、例えば計画経済である。「能力に応じて働き必要に応じて受け取る」と言うその前提からして性善説無しには成り立たないが(*4)、仮にその「必要」が過不足なく集計できて(*5)「生産計画」が出来上がり、これを各工場、各労働者なりに配分した「ノルマ」が決まったとしよう。各工場・各労働者はこの「ノルマ」さえ果たせば良い筈であり。実際その「ノルマ」を果たせないと罰則があったと聞く。あんまり成績が悪いとへたすりゃ「サボタージュ」の廉で銃殺なりシベリア送りなりが待っている厳しい罰則が。
ところで、計画経済が正しく、ノルマの配分も適正ならば、ノルマ達成もさることながら、ノルマ超過もまた「良くない事」の筈だ。銃殺やシベリア送りは厳しすぎるとしても、譴責や減給ぐらいにはなりそうなものだが、これが当時の共産主義国家では罰せられないどころか賞賛され、「一人で何十人分のノルマを達成した」として「労働英雄」なる称号と勲章まで貰えてしまったのである。
これは「計画経済の破綻」の自白に他ならない。
事実、共産主義諸国の立てた計画経済は未達成が慢性的状態であり、それは各工場・各労働者に配分された「ノルマ」の相当部分が未達成に終わっていると言う事。であればこそ、「ノルマ」を超過達成する者は、「計画経済を妨害した廉」に問われず、「労働英雄」となり、賞賛されるのである。
「そんなものが、「社会主義の勝利」などであるものか。」
「そんなものが、「社会主義の勝利」などであるものか。」
<注釈>
(*1) 正直、「嫌な時代だね」と思う。
(*2) つまり、そう大敵・難敵とは見ていなかった事になるな。
(*3) ああ、反論、ご指摘は大歓迎だ。
(*4) そのくせ、共産主義国家の多くはKGBだのAVOだの秘密警察の類や「ベルリンの壁」を以って国民を監視し、監禁していた。J.F.ケネディの演説の通り「民主主義とて完全ではないが、我々は国民を閉じ込める壁は必要としていない。」にも拘らず。
(*5) それだけでもとんでもない労力と官僚組織を必要としそうだが。
(*1) 正直、「嫌な時代だね」と思う。
(*2) つまり、そう大敵・難敵とは見ていなかった事になるな。
(*3) ああ、反論、ご指摘は大歓迎だ。
(*4) そのくせ、共産主義国家の多くはKGBだのAVOだの秘密警察の類や「ベルリンの壁」を以って国民を監視し、監禁していた。J.F.ケネディの演説の通り「民主主義とて完全ではないが、我々は国民を閉じ込める壁は必要としていない。」にも拘らず。
(*5) それだけでもとんでもない労力と官僚組織を必要としそうだが。