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(2.)敗戦に備えて ―敗れざる者、たらん。―
さて、敗戦と言う最悪の状況は描き出した。
かかる状況下で、小沢一郎に一旦は宣戦布告した私のような人間は、一体どうこの身を処すべきであろうか。
かかる状況下で、小沢一郎に一旦は宣戦布告した私のような人間は、一体どうこの身を処すべきであろうか。
(A) 国外に逃亡するか?
国外に逃亡するか?
中国人ならそうするだろう。彼らにはまた、国外でも生き抜くだけの図太さしぶとさがあり、予め世界中にばら撒いてある「同胞」達も大いに役立つことだろう。
が、日本人は中国人ほどには世界中にばら撒かれていない。「チャイナタウン」は世界中あちこちにあるが、「ジャパンタウン」は殆ど無い。その分国外逃亡は不利である。
無論、上記のような敗戦状態に耐え切れず、国外逃亡を図る日本人も一定数、或いは相当数出るものと予想できる。完全に中国の支配下に入る前に、国外に財産を移して移住する者もあるだろう。
だが、私にはこの方法は肯んじられない。
日本人と言うのは、日本国があっての日本人ではなかろうか。
主権意識と言うものがまるで無い鳩山首相(*1)「日本は日本人だけのものではない。」などと放言しているが、南北に細長く、還流暖流の海流がぶつかり、四季折々の天候があり、火山帯にあって地震と噴火が珍しいものではなく、多彩な種が生態系を為す日本と言う国土が、日本人、日本人の思想、日本の文化を生み出していると言うのは、殆ど自明な事と、私には思われる。従って、鳩山首相が何を言おうとも、「日本人は、日本のもの。」であり、「日本人と日本の文化は、日本と言う国土の賜物」なのである。
中国人ならそうするだろう。彼らにはまた、国外でも生き抜くだけの図太さしぶとさがあり、予め世界中にばら撒いてある「同胞」達も大いに役立つことだろう。
が、日本人は中国人ほどには世界中にばら撒かれていない。「チャイナタウン」は世界中あちこちにあるが、「ジャパンタウン」は殆ど無い。その分国外逃亡は不利である。
無論、上記のような敗戦状態に耐え切れず、国外逃亡を図る日本人も一定数、或いは相当数出るものと予想できる。完全に中国の支配下に入る前に、国外に財産を移して移住する者もあるだろう。
だが、私にはこの方法は肯んじられない。
日本人と言うのは、日本国があっての日本人ではなかろうか。
主権意識と言うものがまるで無い鳩山首相(*1)「日本は日本人だけのものではない。」などと放言しているが、南北に細長く、還流暖流の海流がぶつかり、四季折々の天候があり、火山帯にあって地震と噴火が珍しいものではなく、多彩な種が生態系を為す日本と言う国土が、日本人、日本人の思想、日本の文化を生み出していると言うのは、殆ど自明な事と、私には思われる。従って、鳩山首相が何を言おうとも、「日本人は、日本のもの。」であり、「日本人と日本の文化は、日本と言う国土の賜物」なのである。
であるならば、日本人が国外逃亡すると言うのは、中国人が中国から国外へ逃亡する或いは移住して海外にチャイナタウンを築くのとは、訳が違うのである。
どうしてもその日本を離れると言うのならば、ユダヤ人が数千年の流浪の後にイスラエルを回復(*2)した如く、捲土重来を期さねばならないし、またその重来は、ユダヤ人のように長い期間では考えられないのである。
<注釈>
(*1) 日本の国家元首にして、自衛隊三軍の最高指揮官なのに、「主権意識が無い」と言うのは、全く首相としての資格に欠けると言うことだ。今更ながら、だが。
(*2) あれやこれや相当無理矢理に、であることは私も認めるが、回復した事自体は大変な偉業であると、敬意を表する。
(*1) 日本の国家元首にして、自衛隊三軍の最高指揮官なのに、「主権意識が無い」と言うのは、全く首相としての資格に欠けると言うことだ。今更ながら、だが。
(*2) あれやこれや相当無理矢理に、であることは私も認めるが、回復した事自体は大変な偉業であると、敬意を表する。
(B) 転向もしくは降伏するか?
転向もしくは降伏するか?
これが一番楽な方法であろうし、恐らくは「利口な」方法であろう。
と言う事は、日本人の相当部分は「面従腹背」だろうが、「心から小沢一郎を愛して」いようが、この道をとるのに違いないし、それ自体を非難することは難しい。先述の通り、国外逃亡が困難ならばなおのことだ。
だが逆に、「面従腹背」ならばまだしも、「心から小沢一郎を愛して」この選択をすると言うのは私には耐え難い。
小沢一郎独裁も、中国共産党一党独裁も、何れも民主主義の敵(*1)であり、魂の自由を愛して止まない私のような人間にとっては不倶戴天の敵。
その不倶戴天の敵であることは、たとえ私が降伏したところで変わる物ではないし、意識してか無意識にかはあるものの、多くの日本人が「魂の自由を愛している」ものと私は思っている。
そうでなければ強大な支邦大陸に対し、「日出ずる処の天子」と対等にメンチを切り、事実上極東唯一の独立国として西欧列強と近代戦まで戦ってしまった我が国の歴史を説明できないではないか。
これが一番楽な方法であろうし、恐らくは「利口な」方法であろう。
と言う事は、日本人の相当部分は「面従腹背」だろうが、「心から小沢一郎を愛して」いようが、この道をとるのに違いないし、それ自体を非難することは難しい。先述の通り、国外逃亡が困難ならばなおのことだ。
だが逆に、「面従腹背」ならばまだしも、「心から小沢一郎を愛して」この選択をすると言うのは私には耐え難い。
小沢一郎独裁も、中国共産党一党独裁も、何れも民主主義の敵(*1)であり、魂の自由を愛して止まない私のような人間にとっては不倶戴天の敵。
その不倶戴天の敵であることは、たとえ私が降伏したところで変わる物ではないし、意識してか無意識にかはあるものの、多くの日本人が「魂の自由を愛している」ものと私は思っている。
そうでなければ強大な支邦大陸に対し、「日出ずる処の天子」と対等にメンチを切り、事実上極東唯一の独立国として西欧列強と近代戦まで戦ってしまった我が国の歴史を説明できないではないか。
従って、今回もし私が「降伏」を余儀なくされたとしても、それは先の「国外逃亡」と言う選択肢と同様、「魂の自由」を取り戻すまでの「面従腹背」となろう。
「明日の勝利のために、今日の屈辱に耐えるのだ。それが、男だ。」と言うわけだ。
「明日の勝利のために、今日の屈辱に耐えるのだ。それが、男だ。」と言うわけだ。
昔の日本人と今の日本人が異なると言う可能性はあるし、「時代の流れ」で完全に腰抜け骨抜きに去勢されてしまって、日本人は最早「魂の自由」を求めずに、子供手当てやBasic Incomeなどと銘打たれた「国家からの有り難い施し」を受け取ることだけを考える、「鼓腹撃壌の民」即ち衆愚に堕している可能性もある。
そうだとすれば確かに今回の私の「降伏」は長い雌伏を要するものとなろう。
日本人が、その気概を取り戻すまで、教育することから始めなければならないから。
そうだとすれば確かに今回の私の「降伏」は長い雌伏を要するものとなろう。
日本人が、その気概を取り戻すまで、教育することから始めなければならないから。
<注釈>
(*1) 前者がしばしば「民主主義」を口にするのは、実に奇妙な事ではあるが、ワイマール共和国下でナチ党は、あるところまで民主的・合法的に政権を奪って行った事を、想起すべきだろう。
(*1) 前者がしばしば「民主主義」を口にするのは、実に奇妙な事ではあるが、ワイマール共和国下でナチ党は、あるところまで民主的・合法的に政権を奪って行った事を、想起すべきだろう。
(C) 徹底抗戦するか?
徹底抗戦するか?
これは逆に一番厳しい道であろう。特に、小沢一郎独裁だけならまだしも、中国共産党支配下に於ける徹底抗戦は、チベットやウイグルの如く、徹底した血の弾圧を受けることは間違いないし、そのために無辜の民の血も、数多流れるに違いない。(*1)
忘れてはいけない、虐殺・強姦・弾圧は中国人の伝統芸能である。流れる血の量は、半端ではない。
これは逆に一番厳しい道であろう。特に、小沢一郎独裁だけならまだしも、中国共産党支配下に於ける徹底抗戦は、チベットやウイグルの如く、徹底した血の弾圧を受けることは間違いないし、そのために無辜の民の血も、数多流れるに違いない。(*1)
その際最も留意すべきなのは、「無駄な血を流さない」ことである。
血は、敵味方とも流れるし、敵でも味方でも無い無辜の日本人の血もながれることだろう。だが、敵の血は兎も角、味方や無辜の民の血で「無駄に流してよい」血なぞ一滴も無い。また、敵の血を流すことは、味方に血を流させることに繋がる事も想起されたい。忘れてはいけない、虐殺・強姦・弾圧は中国人の伝統芸能である。流れる血の量は、半端ではない。
それでも流さなければならない血は、流さなければならない。
故に、血を流すべきとき、流されるべき時を、決して誤ってはならない。
その意味でも、この選択は苦しい選択である。が、先述のような敗戦状態に於いては、何れ選び取らねばならない選択である。
<注釈>
(*1) 小沢一郎には未だ「虐殺を実行した」と言う実績は無い(筈だ)。それも「人民解放軍野戦司令官」と自称するようでは、時間の問題と思われはするが。
故に、血を流すべきとき、流されるべき時を、決して誤ってはならない。
その意味でも、この選択は苦しい選択である。が、先述のような敗戦状態に於いては、何れ選び取らねばならない選択である。
<注釈>
(*1) 小沢一郎には未だ「虐殺を実行した」と言う実績は無い(筈だ)。それも「人民解放軍野戦司令官」と自称するようでは、時間の問題と思われはするが。
(3.)勝利への道―白薔薇は散らず―
気が付く人は気が付いたろうが、前項の「敗戦に備えて」の選択肢は、実は根っこで繋がっている。
即ち、私は小沢一郎が日本のBig Brotherとなり、中国共産党の傀儡として君臨する事になったとしても、これを覆し、日本に魂の自由を復活させるまで、決して諦めないだろうと、宣言している。
敵は強大だ。今後Big Brotherと化し、中国共産党政権の傀儡としてその支援を盛大に受けるならば、益々強大になるものと想定しなければならない。
小沢一郎と同様私の不倶戴天の敵である中国共産党については、これはこれで別の戦略戦術が必要にはあろうが、対小沢一郎戦についての基本は明確である。
即ち「白薔薇を散らすな。」
此処で「白薔薇」が敷衍しているのは、ナチス台頭の頃のドイツにおける、まだ自由であった学生達の宣言、「白薔薇は散らず」である。読んだのも大分前で、それも「世界史資料集」か何かの片隅だったから、記憶は曖昧だが、「白薔薇」が学生達の学問と言論の自由、ひいては魂の自由を象徴し、「白薔薇は散らず」とナチの台頭と圧政に屈することの無い姿勢を示した居たことは、明確に覚えている。
その「白薔薇」は私の、そして恐らくは、まだ大半の日本人の胸中に咲いている。
その白薔薇は、われらに自由意志がある限り、散ることは無い。
従って、今回の資金疑惑不起訴如きで諦めるようなことはない。
戦いはまだまだこれから、否、まだ始まったばかりなのである。
我が胸中に「白薔薇」ある限り、私に、敗北は無い。
小沢一郎、覚悟。
即ち、私は小沢一郎が日本のBig Brotherとなり、中国共産党の傀儡として君臨する事になったとしても、これを覆し、日本に魂の自由を復活させるまで、決して諦めないだろうと、宣言している。
敵は強大だ。今後Big Brotherと化し、中国共産党政権の傀儡としてその支援を盛大に受けるならば、益々強大になるものと想定しなければならない。
小沢一郎と同様私の不倶戴天の敵である中国共産党については、これはこれで別の戦略戦術が必要にはあろうが、対小沢一郎戦についての基本は明確である。
即ち「白薔薇を散らすな。」
此処で「白薔薇」が敷衍しているのは、ナチス台頭の頃のドイツにおける、まだ自由であった学生達の宣言、「白薔薇は散らず」である。読んだのも大分前で、それも「世界史資料集」か何かの片隅だったから、記憶は曖昧だが、「白薔薇」が学生達の学問と言論の自由、ひいては魂の自由を象徴し、「白薔薇は散らず」とナチの台頭と圧政に屈することの無い姿勢を示した居たことは、明確に覚えている。
その「白薔薇」は私の、そして恐らくは、まだ大半の日本人の胸中に咲いている。
その白薔薇は、われらに自由意志がある限り、散ることは無い。
従って、今回の資金疑惑不起訴如きで諦めるようなことはない。
戦いはまだまだこれから、否、まだ始まったばかりなのである。
我が胸中に「白薔薇」ある限り、私に、敗北は無い。
小沢一郎、覚悟。