世の中に戦争のネタは腐るほどある。市場、思想、資源、領土、通商権、宗教、民族、その他諸々。この中で最も厄介なのが民族と宗教であり、両者は往々にしてnearly equalである。
「厄介」である理由はいくつかある。まず第一に何しろ息が長い。「宗教的対立」「民族的対立」と言う奴は100年以上継続しているのがザラにあり、下手すると有史以来対立しっぱなし何てことになる。無論ずっと戦争しているわけではないが。第二に、戦争戦闘が悲惨残虐なものになる。戦争が悲惨であるのはジュネーブ条約が厳密に執行されても変わるところはないが、異民族や異教徒を殺した分だけ天国が近づいてしまったりするものだから、殺すにしても老若男女関係なくなるし、殺し方も残虐なほど良しとされる。或いは「民族浄化」などと称して大虐殺大強姦が奨励されてしまうのも、宗教や民族が戦争のネタになったときだけだ。第三にその対立は解決が難しい。「息が長い」つまり長期の戦争なり「冷戦」なりになる原因でもあるのだが、何しろこの対立は理屈でも利益でも無いものだから、「中立的な第三者の仲介」を図ろうとしても、第三者にはそもそも何が問題なのか全く判らない、従って仲介も調停もやりようがないと言うことさえ往々にしてある。
現在アフガニスタンを中心にアメリカはじめとする諸国が戦っている「対テロ戦争」の原因の、少なくとも一部はこの厄介な宗教的対立であることは否めないだろう。だからテロ側の方はイスラム教徒ばかりであり、対テロ連合軍の方はキリスト教徒がベースと、少なくとも見なされる。
で、AFP通信の報じるところは、その対テロ連合軍の最大主力である米軍の望遠式照準機に聖書の言葉を示唆する記号が刻まれており、これに対して「米国内のイスラム教徒団体などが20日、強い怒りを表明した。」と言うもの。
問題の望遠式照準器はトリジコン社製で、「トリジコンによると、同社ではすでに20年以上前から、「国のために従軍することに対するわが社の信条、信念の表れ」として、照準器のメタルケースに新約聖書の1か所の章と節を示す刻印を入れてきた。」とも報じられているから、「たまたま刻印された記号が聖書を示唆するように読めた。」訳ではなく、聖書を意図して刻印されたもののようだ。
とは言え、トリジコン社が聖書の「章と節を示す刻印」をその商品である照準器二国印紙続けて既に二〇年になるのであるし、トリジコン社の照準器が米軍に採用されたのも昨日今日ではあるまい。さらには、イスラム権に米軍が出動するのも何も今回の対テロ戦争が初めてではない。つまり「聖書の章・節を示す刻印のある照準器」がイスラム圏で使用されるのは今回が初めてではない公算大である。即ち、殊更今回問題になる理由が、少なくとも薄弱だ。
況や、「こうした聖書の言葉が刻まれた武器を使用すれば、現地で「キリスト教徒がイスラム教徒を改宗しようとしている」という警戒感が生じ」る等というのは屁理屈にしか聞こえない。
例えば貴方は「聖書の言葉が刻まれた武器で狙われた」ことが原因で、キリスト教に改宗したりしますかね。
或いは「コーランの言葉が刻まれた武器で狙われた」から、回教に改宗したりしますかね。
但し、米軍なり対テロ連合軍なりの装備に聖書を示唆する刻印があるというのは、イスラム原理主義を背景とするテロリストたちにとって好都合であろうとは私も思う。それは「宗教的対立」をより前面に押し立て、戦争の長期化を図る材料となり得る。
私はキリスト教徒ではないが、トリジコン社の信条・信念は理解出来るつもりだし、尊重すべきだとも思う。
だが、イスラム圏に展開する兵士たちが無用な憎悪に曝されないようにするためには、「聖書の章と節を示す刻印」を外した照準器を製造しても、罰は当たらないのでは無かろうかと考える。(それとも、罰が当たるのかな。)
「厄介」である理由はいくつかある。まず第一に何しろ息が長い。「宗教的対立」「民族的対立」と言う奴は100年以上継続しているのがザラにあり、下手すると有史以来対立しっぱなし何てことになる。無論ずっと戦争しているわけではないが。第二に、戦争戦闘が悲惨残虐なものになる。戦争が悲惨であるのはジュネーブ条約が厳密に執行されても変わるところはないが、異民族や異教徒を殺した分だけ天国が近づいてしまったりするものだから、殺すにしても老若男女関係なくなるし、殺し方も残虐なほど良しとされる。或いは「民族浄化」などと称して大虐殺大強姦が奨励されてしまうのも、宗教や民族が戦争のネタになったときだけだ。第三にその対立は解決が難しい。「息が長い」つまり長期の戦争なり「冷戦」なりになる原因でもあるのだが、何しろこの対立は理屈でも利益でも無いものだから、「中立的な第三者の仲介」を図ろうとしても、第三者にはそもそも何が問題なのか全く判らない、従って仲介も調停もやりようがないと言うことさえ往々にしてある。
現在アフガニスタンを中心にアメリカはじめとする諸国が戦っている「対テロ戦争」の原因の、少なくとも一部はこの厄介な宗教的対立であることは否めないだろう。だからテロ側の方はイスラム教徒ばかりであり、対テロ連合軍の方はキリスト教徒がベースと、少なくとも見なされる。
で、AFP通信の報じるところは、その対テロ連合軍の最大主力である米軍の望遠式照準機に聖書の言葉を示唆する記号が刻まれており、これに対して「米国内のイスラム教徒団体などが20日、強い怒りを表明した。」と言うもの。
問題の望遠式照準器はトリジコン社製で、「トリジコンによると、同社ではすでに20年以上前から、「国のために従軍することに対するわが社の信条、信念の表れ」として、照準器のメタルケースに新約聖書の1か所の章と節を示す刻印を入れてきた。」とも報じられているから、「たまたま刻印された記号が聖書を示唆するように読めた。」訳ではなく、聖書を意図して刻印されたもののようだ。
とは言え、トリジコン社が聖書の「章と節を示す刻印」をその商品である照準器二国印紙続けて既に二〇年になるのであるし、トリジコン社の照準器が米軍に採用されたのも昨日今日ではあるまい。さらには、イスラム権に米軍が出動するのも何も今回の対テロ戦争が初めてではない。つまり「聖書の章・節を示す刻印のある照準器」がイスラム圏で使用されるのは今回が初めてではない公算大である。即ち、殊更今回問題になる理由が、少なくとも薄弱だ。
況や、「こうした聖書の言葉が刻まれた武器を使用すれば、現地で「キリスト教徒がイスラム教徒を改宗しようとしている」という警戒感が生じ」る等というのは屁理屈にしか聞こえない。
例えば貴方は「聖書の言葉が刻まれた武器で狙われた」ことが原因で、キリスト教に改宗したりしますかね。
或いは「コーランの言葉が刻まれた武器で狙われた」から、回教に改宗したりしますかね。
但し、米軍なり対テロ連合軍なりの装備に聖書を示唆する刻印があるというのは、イスラム原理主義を背景とするテロリストたちにとって好都合であろうとは私も思う。それは「宗教的対立」をより前面に押し立て、戦争の長期化を図る材料となり得る。
私はキリスト教徒ではないが、トリジコン社の信条・信念は理解出来るつもりだし、尊重すべきだとも思う。
だが、イスラム圏に展開する兵士たちが無用な憎悪に曝されないようにするためには、「聖書の章と節を示す刻印」を外した照準器を製造しても、罰は当たらないのでは無かろうかと考える。(それとも、罰が当たるのかな。)