(3.)「アディ・ギル」号の曳航

 その後のことは、記憶が断片的だ。何しろ我が心臓たるバイオディーゼル機関はうんともすんとも言わなくなり、多くの荒波を貫いてきた自慢の舳先はもぎ取られ、おまけに徐々に浸水してどんどん体は重くなり沈んで行くのだ。先輩のボブ・バーカー号が傍に寄って来て艫綱を取り、曳航してくれたことは覚えている。最高速度50ノットを誇り、世界一周記録を達成した我輩は、みっともなくも自力では身動きさえ出来なくなり、先輩に曳航されて、南極を目指すらしいことはわかった。我輩の俊足に比べると、先輩に曳航されての船足は極端に遅いが、それも文句は言えない。
 
 浸水して体が重くなる一方、はらわたが裂けて命の糧「代替燃料」が流出していたが、我輩は決して諦めては居なかった。自慢の舳先はもぎ取られ、我輩の船体は材料からして修理が難しいだろうが、まだ辛うじて浮いている。浮力はある。
 
 「浮力ある限り、明日はある。」とは、世界一周した際に、どこかの港で出会った超老朽船に教えてもらった言葉だ。赤錆だらけのオンボロ船の台詞を、当時は鼻で笑ったものだが、こういう身になると、その重さが身に沁みる。
 
 ご主人の操船で酷い目に遭わされたが、ご主人を恨みに思う気持ちはこの時点ではなかった。操作操縦に応えて動くが我輩ら「道具」の定め。おまけに今のご主人は端的に言って操船が上手とは言いかねる。あのタイミングで全速前進をかけると言うのは、故意と言うより誤操作・事故であろうと考え、考えることで「明日」を信じようとしていた。バイオディーゼル機関は止まり、舳先はもげても、まだまだ我輩は活躍できると。
 
 何度目かの意識途絶から不図我に帰って、異変に気が付いた。
 
 動いていない。漂流している。
 
 慌てて混濁する意識を取り戻し、周囲を見渡すと、先輩のボブ・バーカー号が遠ざかって行くのが見えた。艫綱が切れたのか?ならばもう一度かけ直してもらわないと。
 
 だが、ボブ・バーカー号は遠ざかって行くばかり。それどころか、甲板上に見えるご主人達は、誰一人、我輩の方を振り返ろうともしない。
 
 卒然として我輩は悟った。
 我輩は、見捨てられたのだ。
 
 舳先は無くなり、最早波を切り裂くことは叶わない。第一、機関が動かない。確かに今の我輩は、かつて出会った超老朽船以上の「役立たず。」だ。だが、それもこれも我輩の本分である高速航行ではなく、捕鯨船に対する妨害活動、なかんずく危険航行=体当たりを強行したご主人の操船もしくは操船ミスのためだ。波濤ならぬ捕鯨船の船腹を切り裂くようには、我輩の舳先はできておらなかったからこそ、自慢の舳先を大きく損じ、正に「鼻をへし折られた」体になってしまった。その我輩を曳航回航して修理するどころか、南氷洋に置き去りにし、海洋投棄するとは、それでも「環境保護」団体ですか、ご主人。
 
 イヤ、こら待て。返せ、戻せ。
 狂犬シーシェパード!!


(4.)「アディ・ギル」号の最期

 それからもなお暫く浮いていられたのは、我輩の意地のようなものだ。このまま元のご主人、今となっては思い出したくも無い狂犬・シーシェパードの目論見どおり誰知られること無く静かに沈んでいくのを肯んじなかったからだ。
 日本の戦艦、Nagatoとか言う奴は、原爆実験に供されて、水中核爆発を至近距離で喰らいながら、なお5日間浮いていて、見る者・観察する者が居なくなってからひっそりと沈んだと聞く。沈むところを人間、なかんずく核実験を実施した人間達に見られるのを肯んじ無かったのだろう。
 
 我輩の状況も似ていないではないが、逆に我輩は誰かに見つかって欲しかった。元主人・狂犬シーシェパード以外の誰かに。ただそれだけの「明日」を信じ、洋上を漂っていた。
 
 幸いなことに「明日」は来た。
 
 まだ浮いているうちに我輩は、日本の捕鯨船に発見された。「幸いに」と言うべきだが、「皮肉なことに」とも言える。こんな辺鄙な南氷洋で、出会う船と言えば捕鯨船とその妨害者ぐらいだろうが、我輩を看取ってくれたのが、我輩が散々妨害した捕鯨船なのだから。
 
 日本の捕鯨船は我輩に同情的だった。最期にぶつかった相手の第2昭南丸でさえ、我輩を哀れんでくれた。まあ、向こうは見事なまでに無傷で、怪我人さえなかったそうだから、同情的になれるだけの余裕はあるのだろうけれど、我輩としては救われた想いだ。
 
 我輩に対して狂犬シー・シェパードが行った仕打ちを、誰かに伝えられただけでも、我輩としては良しとすべき、なのだろう。
 
 思い残す事なら、多々ある。「代用燃料」と言いながら、いまだ食していない植物性・動物性の油脂は数多あったし、世界一周記録だってもう一度挑戦したかった。もう1日2日ぐらい、記録更新の可能性はあったと思う。日本のTsurugi級とやらとも勝負したかった。
 
 「かつての船乗りが言うように、船に魂があるならば、まさにこのような死を望んだのではないか。」とはH.M.S.Ulysses号の最期に送られた賛辞だが、我輩の最期は、我輩の望んだような死ではない。妨害活動に駆り出された挙句、全く効果のない体当たりで一方的に大破して浸水・沈没なんて、高速船の名折れであるし、衝撃で破壊した船体からの浸水・沈没とは、正にFRP船の悪夢だ。高速に次ぐ我輩の自慢・バイオディーゼル機関の名誉が傷つかなかったのは、不幸中の幸いだが。
 
 いずれにせよ我輩の生涯は既に閉じてしまった。
 後事は、今生きている諸君や我が兄弟たちに託す他ない。
 
 叶うことなら我輩が恨み、晴らしてくれよ、と。
  
 「旅人よ、あるいは風よ。
  行きてラケダイモーンの国人に伝えよ。
  御身らの掟のままに、
  我ら、此処に、死にき、と。」 ―テルモピュライにあるレオニダス王への碑文―