にほんブログ村
帝国海軍のパラダイムシフト1 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703565.html
帝国海軍のパラダイムシフト2 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703595.html
帝国海軍のパラダイムシフト3 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/30703619.html

6.帝國海軍の偉業

 帝國海軍は見事にパラダイムをシフトしたが、戦争=大東亜戦争(太平洋戦争)=日米戦には勝てなかった。
 理由は色々あろうが、最大のものは、第一次大戦でさえ「ドイツにとって無慈悲なまでの工業力」と言われたアメリカの工業力が、このパラダイムシフトに素早く対応したことだろう。
 アメリカは大東亜戦争(太平洋戦争)中に正規空母を30隻、軽空母を89隻建造している(※1)。それに見合う以上の航空機も生産し、パイロットも養成している。
 
 これに対し日本が建造した空母は正規空母9隻、軽空母9隻で、なおかつ正規空母は兎も角、軽空母はアメリカのものに対し大分見劣りがする。さらに、空母が出来上がった頃には航空機もさることながらパイロットに事欠く有様。折角建造した数少ない空母が、殆ど活躍出来ていない。
 
 日本と帝國海軍は、新たなパラダイムへのシフトは実行してみせたが、生産・教育体制まで新たなパラダイムにシフトし切れなかった、もしくはシフトする前に開戦してしまったと、断じざるを得ない。
 
 戦争は勝つためにする。勝てなかった戦争を始めた事は、その戦争の失敗を意味する。
 然り。日本と帝國海軍は大東亜戦争(太平洋戦争)に負けた。その意味では失敗である。
 
 ならば、真珠湾攻撃は失敗だったのか?実施しなければ良かったのか?
 
 然らず。
 真珠湾攻撃は、タラント夜襲で英海軍もなし得なかったパラダイムシフトを完遂した。
 パラダイムをシフトさせる事が、軍や国の目的ではない。軍の目的は国の安全と国益の確保であり、パラダイムシフトやそれへの対応はそのための手段だ。
 
 それでもなお、帝國海軍がパラダイムをシフトさせた事に対し、相応の敬意を抱くべきであろうと考える。
 而してそれは、「帝國海軍が部外者であったから」ではなく、大和級戦艦に見られるとおり、「従来のパラダイムを究極まで突き詰めた」から新たなパラダイムにシフトできたのではないかと考える。
 
 芸事では守・破・離と言うのがあるそうだ。
 師匠に言われることを言われるままにやるのが「守」。芸事の第一段階だ。あるところまで上達するが、あるところまでしか行かない。秀才と言うレベルまで、と言うことなのだろう。
 
 ある所以上に上達しようとすると、師匠に言われていない事,禁じられていることをやらねばならない。これが「破」。芸事の第二段階だ。最初から師匠に反抗しているようではこの段階に至らないらしい。師匠に言われたことを忠実に守っていたが、師匠を超えるため、師匠の教えと違うことをする。「奇才」と言うレベルと言うことだろう。だがこれでも未だ、芸事はきわまらない。
 
 芸事を極める第三段階が「離」。師匠の言うことを聞く「守」、師匠に反抗する「破」を経て、自家薬籠中のものとする芸になる。自己流の芸風が定まると言うことだろう。ここにいたって初めて「名人」「達人」となる。
 
 帝國海軍は、英国海軍に師事し、「守」を極めたが故に、航空機機動部隊による対艦攻撃と言う「破」にいたり、真珠湾攻撃という派手なパラダイムシフトヲ引き起こした。が、それに合わせた教育生産体制までは敷けず「離」に至らなかった。
 アメリカは日本の「破」を見て、素早く修得し、「離」に至った。とは考えられないだろうか。
 
 そうだとすると、先述のパラダイム六法則の内、「法則4. 新しいパラダイムは部外者から始まる」は一寸怪しくなる。
 
 「法則4. 新しいパラダイムは、部外者もしくは真に古いパラダイムを極めたものから始まる。」
 となるのではなかろうか。


<注釈>
(※1)その他に、改型併せて200隻を数えるガトー級潜水艦に、余りに数が多くて何隻作ったのが誰にもわからないリバティ級輸送船も建造している。原爆の開発は兎も角、アイオワ級を4隻揃えるのなんて、片手間だ。