先の記事で、私は「泥縄と言うのも遅すぎる」と言いつつ社民党のマニュフェストのうち安全保障策に散々異議・疑義・批判・突っ込みを入れさせてもらった。が、それらは各章の後ろに「注釈」として入れたので、その部分を飛ばして読めば社民党のマニュフェストに書かれた安全保障政策が読めるように配慮した心算だ。
同じ章立ての中に、私には理解しかねる理由で同列に扱われていた「人権(*1)」に関する部分を省略したから、なお一層「読み易く」なったものと自負している。
で、読者諸兄のご感想は如何だろうか。
元より、「親の代から社民党=社会党支持」と言う方も中には居られうだろうから、「何と素晴らしい、社民党らしさに満ち溢れた世界に冠たるマニュフェストだ!」と絶叫してしまう人も中にはいるに違いない。その主張はnakayamagoroさんに通じるものが多々あるし、憲法9条を世界へと言う発想はjos某さんとも共通するものがある。
と言う事は、早い話が私何ぞとは全く相容れないと言う事なのであるが、それは「社民党のマニュフェスト」と言う時点で私には殆ど自明な事。
諸兄にご感想をお尋ねするのは、諸兄の中の相当部分、国民の中では大半が、かようなマニュフェストを支持していると言うのが先頃の衆院選挙結果だからだ。
無論、社民党自体は衆院での議席数を増やしても居なければ減らしても居らず、相変わらず高々7議席のマイナー党だ。衆院選挙に敗れて下野した自民・公明はおろか、共産党の9議席(これも改選前と変わらず)にさえ劣るマイナーぶりだから、国民の支持率が高いとは、幸いな事に絶対に言いえない。
が、この社民党と国民新党が民主党と連立を組む予定とは、選挙前からわかっていたこと。従って、民主党を支持すると言う事は、社民・国民新党との連立政権を支持することであり、間接的に社民党・国民新党を支持することである。
社民党の当該マニュフェストを、どれだけの国民が読んでいるか、理解しているかは甚だ疑問ではあるが、社民党が当該マニュフェストを掲げて選挙をしている以上、間接的にせよ社民党に投票し支持することは、このマニュフェストを支持する事である。
同じ章立ての中に、私には理解しかねる理由で同列に扱われていた「人権(*1)」に関する部分を省略したから、なお一層「読み易く」なったものと自負している。
で、読者諸兄のご感想は如何だろうか。
元より、「親の代から社民党=社会党支持」と言う方も中には居られうだろうから、「何と素晴らしい、社民党らしさに満ち溢れた世界に冠たるマニュフェストだ!」と絶叫してしまう人も中にはいるに違いない。その主張はnakayamagoroさんに通じるものが多々あるし、憲法9条を世界へと言う発想はjos某さんとも共通するものがある。
と言う事は、早い話が私何ぞとは全く相容れないと言う事なのであるが、それは「社民党のマニュフェスト」と言う時点で私には殆ど自明な事。
諸兄にご感想をお尋ねするのは、諸兄の中の相当部分、国民の中では大半が、かようなマニュフェストを支持していると言うのが先頃の衆院選挙結果だからだ。
無論、社民党自体は衆院での議席数を増やしても居なければ減らしても居らず、相変わらず高々7議席のマイナー党だ。衆院選挙に敗れて下野した自民・公明はおろか、共産党の9議席(これも改選前と変わらず)にさえ劣るマイナーぶりだから、国民の支持率が高いとは、幸いな事に絶対に言いえない。
が、この社民党と国民新党が民主党と連立を組む予定とは、選挙前からわかっていたこと。従って、民主党を支持すると言う事は、社民・国民新党との連立政権を支持することであり、間接的に社民党・国民新党を支持することである。
社民党の当該マニュフェストを、どれだけの国民が読んでいるか、理解しているかは甚だ疑問ではあるが、社民党が当該マニュフェストを掲げて選挙をしている以上、間接的にせよ社民党に投票し支持することは、このマニュフェストを支持する事である。
<注釈>
(*1)「アイヌ」問題や同性婚がどこでどうなると「平和」に関わるのか、私にはサッパリわからない。「偏見によって差別されている」「アイヌ」や同性愛者が、日本侵略を狙う国外勢力と結託するのを防ぐ、と言う意味だろうか。 「同性愛者と結託して侵攻して来る侵略者」って、B級ポルノのストーリーのようだな。
(*1)「アイヌ」問題や同性婚がどこでどうなると「平和」に関わるのか、私にはサッパリわからない。「偏見によって差別されている」「アイヌ」や同性愛者が、日本侵略を狙う国外勢力と結託するのを防ぐ、と言う意味だろうか。 「同性愛者と結託して侵攻して来る侵略者」って、B級ポルノのストーリーのようだな。
(1.)社民党の安全保障策を嗤う
それでは、その「国民の間接的支持を受けた。少なくとも拒絶反応には曝されなかった。」社民党のマニュフェスト、その中の安全保障策をつぶさに見ていくとしよう。
まずは表題からして飛ばしてくれる。配置としてはマニュフェストの最後の章。「取り」とか「真打」とか言えば聞こえは良いが、社民党の日ごろの言動からすると「ドベ」に当たる章だと想像されるが、それは置こう。表題に曰く、「平和・人権 平和憲法を世界へ」と来た。
こう書いてある以上「日本国憲法前文だの日本国憲法9条だのの平和主義華やかな条文を諸外国に強制することで安全保障を実現するのだな。」と私は解釈した。そんな憲法を強制する方法は、我が国がかつてやられたような武力占領ぐらいしかなさそうに思えるし、軍事的にせよ平和的にせよ強制された憲法を、その国が(*1)いつまでも律儀に守るのかも大いに疑問なのだが、例えば憲法9条を中国、ロシア、北朝鮮、韓国に一斉に強制させられれば、それは極めて奇抜で突飛ではあるが、安全保障策の一種と言えないことも無いように私には思われた。
所が・・・本文の方には、この「平和憲法を世界へ」と言う表題に反し、平和憲法を世界に強制なり布教なり流布なりする方法が全く書かれていない。
1.項から7.項まで、7つに分けた構成だが、6.項「差別反対」と7.項「市民の司法」は安全保障と何の関係も無い(*2)から、安全保障に関わる5.項までの内、「平和憲法」に触れたのは3.項「平和憲法の理念の実現をめざし、自衛隊を縮小、改編」だけ。一体「世界へ」行くべき平和憲法は、どこへ行ってしまったのだ?前文にある通り、「世界に誇る平和憲法を持つ日本こそ、平和な世界へのリーダーシップを発揮すべきなのです。」では無かったのか?
それとも、「平和な世界」が実現すれば、それは平和憲法に沿ったものだから、「平和憲法を世界へ」届けた、と考えるのだろうか。サッパリ判らない。判らないのは、此処ばかりではないのだが。
それに続く前文も相当なものだ。
まず第一文は「軍事ブロック間の対立と均衡の20世紀は終わりました。」と言う。20世紀が終わったのは紛れもない事実だが、「軍事ブロック間の対立と均衡」は20世紀に始まったわけではなく、殆ど文明の曙まで遡れそうな気がするが、社民党はそうは考えず、冷戦終結と共に終わったと主張しているようだ。
で、「21世紀をテロと暴力が連鎖する混沌の世紀とするのか、国際社会の信頼と協調に基づく新しい集団安全保障体制の構築に向かわせるのかは、私たちの選択にかかっています」と煽る。「だから社民党に投票しなさい。そうすれば「国際社会の信頼と協調に基づく新しい集団安全保障体制の構築」に向かいますよ。」と言いたいのだろうと言う事は判る。が、「軍事的対抗を強め緊張を高めあうことはなんの解決にもなりません」とは自称”平和主義者”の常套句であるから今更新味は無いが、20世紀の冷戦終結そのものが「軍事的対抗を強め緊張を高めあ」ったからこそ終結したという評価は、この人たち=社民党及び社民党支持者にはできないらしい。
更にそれに続く社民党の主張は、次のようである。
まずは表題からして飛ばしてくれる。配置としてはマニュフェストの最後の章。「取り」とか「真打」とか言えば聞こえは良いが、社民党の日ごろの言動からすると「ドベ」に当たる章だと想像されるが、それは置こう。表題に曰く、「平和・人権 平和憲法を世界へ」と来た。
こう書いてある以上「日本国憲法前文だの日本国憲法9条だのの平和主義華やかな条文を諸外国に強制することで安全保障を実現するのだな。」と私は解釈した。そんな憲法を強制する方法は、我が国がかつてやられたような武力占領ぐらいしかなさそうに思えるし、軍事的にせよ平和的にせよ強制された憲法を、その国が(*1)いつまでも律儀に守るのかも大いに疑問なのだが、例えば憲法9条を中国、ロシア、北朝鮮、韓国に一斉に強制させられれば、それは極めて奇抜で突飛ではあるが、安全保障策の一種と言えないことも無いように私には思われた。
所が・・・本文の方には、この「平和憲法を世界へ」と言う表題に反し、平和憲法を世界に強制なり布教なり流布なりする方法が全く書かれていない。
1.項から7.項まで、7つに分けた構成だが、6.項「差別反対」と7.項「市民の司法」は安全保障と何の関係も無い(*2)から、安全保障に関わる5.項までの内、「平和憲法」に触れたのは3.項「平和憲法の理念の実現をめざし、自衛隊を縮小、改編」だけ。一体「世界へ」行くべき平和憲法は、どこへ行ってしまったのだ?前文にある通り、「世界に誇る平和憲法を持つ日本こそ、平和な世界へのリーダーシップを発揮すべきなのです。」では無かったのか?
それとも、「平和な世界」が実現すれば、それは平和憲法に沿ったものだから、「平和憲法を世界へ」届けた、と考えるのだろうか。サッパリ判らない。判らないのは、此処ばかりではないのだが。
それに続く前文も相当なものだ。
まず第一文は「軍事ブロック間の対立と均衡の20世紀は終わりました。」と言う。20世紀が終わったのは紛れもない事実だが、「軍事ブロック間の対立と均衡」は20世紀に始まったわけではなく、殆ど文明の曙まで遡れそうな気がするが、社民党はそうは考えず、冷戦終結と共に終わったと主張しているようだ。
で、「21世紀をテロと暴力が連鎖する混沌の世紀とするのか、国際社会の信頼と協調に基づく新しい集団安全保障体制の構築に向かわせるのかは、私たちの選択にかかっています」と煽る。「だから社民党に投票しなさい。そうすれば「国際社会の信頼と協調に基づく新しい集団安全保障体制の構築」に向かいますよ。」と言いたいのだろうと言う事は判る。が、「軍事的対抗を強め緊張を高めあうことはなんの解決にもなりません」とは自称”平和主義者”の常套句であるから今更新味は無いが、20世紀の冷戦終結そのものが「軍事的対抗を強め緊張を高めあ」ったからこそ終結したという評価は、この人たち=社民党及び社民党支持者にはできないらしい。
更にそれに続く社民党の主張は、次のようである。
①「米国に追従し軍事面の関係を強化するのではなく、アジアの国々との信頼醸成の努力をかさね地域の安全保障環境を改善する」
②「国家間の軍事力の均衡を中心に考える旧来の安全保障の発想を転換し、社会開発、人権擁護、環境保全などに軸足を置いた「人間の安全保障」の理念を重視していくべき」
②「国家間の軍事力の均衡を中心に考える旧来の安全保障の発想を転換し、社会開発、人権擁護、環境保全などに軸足を置いた「人間の安全保障」の理念を重視していくべき」
①は日米安保の弱体化もしくは解消を目標とした米国離れと「アジア重視」平たく言えば中国への追従以外の何物だろうか。
「それこそ軍事ブロック間対立に基づく発想で、20世紀の遺物だ。」とか言われそうだが、20世紀に終わったのは米ソ冷戦であって軍事力による抑止力論が終焉を迎えたわけではない。対テロ戦争と言う非対称戦争ではまともな軍事力抑止が効き難いというのは事実だろうが、効かなくなったわけではない。従来の正規軍相手の装備と、非正規戦争用の装備、2種類を用意する必要が出てきただけだ。
少なくとも、世界的にはそう考える国が多いものと見える。
そうでなければ冷戦終結後もなりふり構わない中国の軍拡や北朝鮮の核兵器開発・実験をどう説明するのか?彼らは、軍事力、核戦力を持って抑止力となそうとしているではないか。
それでも構わず社民党は②「人間の安全保障」を主張する。「国家間の軍事力の均衡」ではなく「社会開発、人権擁護、環境保全などに軸足を置いた」ものだそうで、「アジアの国々との信頼醸成の努力」と併せて考えると、経済援助や、ついこの間まで厖大に中国につぎ込んでいたODAなどで「信頼醸成」して安全保障につなげようということと思われる。「恩を売っておけば、責められる事はないだろう。」と言う性善説にたった発想だ。
なるほど「発想の転換」である事は認めよう。だが、対独宥和政策は、結局第2次大戦を惹起しなかったか?ドイツ第3帝国が昔の話だと言うのならば、近いところでは対北朝鮮の太陽政策は、核実験と弾道ミサイル実験として結実したではないか。
これらの事例の意味するところは、「恩が仇で返される事は充分ありうる。」と言うことであり、社民党の「人間の安全保障」は砂上の楼閣或いは蜃気楼にしかならないだろうと言う事だ。
「ヒロシマ・ナガサキ、オキナワの悲惨な体験を持ち、世界に誇る平和憲法を持つ日本」だから特別な地位が与えられると、社民党は主張しているようだが、「ヒロシマ・ナガサキ、オキナワの悲惨な体験を持ち、世界に誇る平和憲法を持つ」が故に日本に特別な事があったことなぞ、いくつあるだろう。
「日本こそ、平和な世界へのリーダーシップを発揮すべきなのです。」とこの前文は結んでいる。ではどんなリーダーシップを発揮する心算なのか、次項から見ていこう。
「それこそ軍事ブロック間対立に基づく発想で、20世紀の遺物だ。」とか言われそうだが、20世紀に終わったのは米ソ冷戦であって軍事力による抑止力論が終焉を迎えたわけではない。対テロ戦争と言う非対称戦争ではまともな軍事力抑止が効き難いというのは事実だろうが、効かなくなったわけではない。従来の正規軍相手の装備と、非正規戦争用の装備、2種類を用意する必要が出てきただけだ。
少なくとも、世界的にはそう考える国が多いものと見える。
そうでなければ冷戦終結後もなりふり構わない中国の軍拡や北朝鮮の核兵器開発・実験をどう説明するのか?彼らは、軍事力、核戦力を持って抑止力となそうとしているではないか。
それでも構わず社民党は②「人間の安全保障」を主張する。「国家間の軍事力の均衡」ではなく「社会開発、人権擁護、環境保全などに軸足を置いた」ものだそうで、「アジアの国々との信頼醸成の努力」と併せて考えると、経済援助や、ついこの間まで厖大に中国につぎ込んでいたODAなどで「信頼醸成」して安全保障につなげようということと思われる。「恩を売っておけば、責められる事はないだろう。」と言う性善説にたった発想だ。
なるほど「発想の転換」である事は認めよう。だが、対独宥和政策は、結局第2次大戦を惹起しなかったか?ドイツ第3帝国が昔の話だと言うのならば、近いところでは対北朝鮮の太陽政策は、核実験と弾道ミサイル実験として結実したではないか。
これらの事例の意味するところは、「恩が仇で返される事は充分ありうる。」と言うことであり、社民党の「人間の安全保障」は砂上の楼閣或いは蜃気楼にしかならないだろうと言う事だ。
「ヒロシマ・ナガサキ、オキナワの悲惨な体験を持ち、世界に誇る平和憲法を持つ日本」だから特別な地位が与えられると、社民党は主張しているようだが、「ヒロシマ・ナガサキ、オキナワの悲惨な体験を持ち、世界に誇る平和憲法を持つ」が故に日本に特別な事があったことなぞ、いくつあるだろう。
「日本こそ、平和な世界へのリーダーシップを発揮すべきなのです。」とこの前文は結んでいる。ではどんなリーダーシップを発揮する心算なのか、次項から見ていこう。
<注釈>
(*1)我が国のように。
(*2)「人権」の方に入るらしい。人権も平和と同格なんだ。社民党にとっては。「兵は凶事」と喝破したのは孫子だから、「古い話」と言えば古い話ではあるが。
(*1)我が国のように。
(*2)「人権」の方に入るらしい。人権も平和と同格なんだ。社民党にとっては。「兵は凶事」と喝破したのは孫子だから、「古い話」と言えば古い話ではあるが。