1. 「未知の伝染病モノ」とでも言うべきSF にほんブログ村

 未知の新しい伝染病による災厄を描くというのは、SFの一つのジャンルである。御世辞にもメジャーとは言い難いジャンルだが、メジャーなところを探すと、小松左京の「復活の日」だろうか。
 未知の伝染病で大被害を受け、辛うじて南極基地隊員と原子力潜水艦乗組員だけが生き残った地球上で、巨大地震が予想される。この地震を核攻撃と誤認して自動的に核報復してしまうシステムを止めるため、生き残った人類はアメリカはワシントンへ向かう。未知の伝染病で滅びかけた人類が、核攻撃で全滅してしまわないように、と言う話。角川映画化されて大々的に宣伝されたから、まずはメジャーな「未知の伝染病SF」と言えよう。(※1)
 もう少しマイナーなところでは、マイケル・クライトンの「アンドロメダ病原体」がある。これはアメリカ映画にもなったし、大々的な宣伝はなかったかも知れないが、世界的には「復活の日」by小松左京よりもメジャーかも知れない。
 アメリカの人工衛星落下地点で「全身の血液が凝固する」と言う未知の病気が発生。集められた科学者や医者は厳重に管理・防疫された地下研究施設に病原体と何故かただ二人生き残った赤ん坊と老人を運び込み、この未知の疫病に挑む・・・てな話。「落下した人工衛星」と言うのが確か細菌兵器開発のための未知の病原体を宇宙から回収する(※2)軍事衛星だった、てのは、バラしても良さそうなネタだ。(※3)
 一風変わったところではクリストファー・ヨウドの「草の死」がある。西側諸国と中国が戦争し、中国に対する切り札として「稲だけを枯らす」細菌兵器が使用される。(※4)これに打撃を受けて戦争は西側勝利に終わり、あらかじめ用意してあった特効薬でこの細菌兵器を除去しようとするのだが、耐性を持った菌が出来てしまい、予定通りに除去できない。おまけにこの耐性菌が稲だけでなく小麦まで枯らす様になったからさあ大変。口減らしに自国の都市に核爆弾を落とすやら、この細菌兵器の恐怖に(まだ)曝されていない貴重な穀物・芋類を巡って生き残った人類がドンパチを始めるやら、酷いことになる。
 細菌戦争となると圧巻なのはウイルソン・タッカー「the Long Roud Silence」だろう。「アメリカ滅亡」との邦題もあるが「長き大いなる沈黙」と言うのが順当な訳だ。
 米ソの細菌戦争で、アメリカ東部は壊滅。アメリカ政府はアメリカ西部に遷り、細菌兵器による伝染病の拡大を防ぐためミシシッピー川を絶対防疫線として東部を見捨て、たとえ生き残った健常者であろうともこの線を越させないよう厳重な警戒態勢をしく。この線を越そうとする者は、発見され次第、問答無用で射殺されるのである。
 トマス・L・ダンの「狂った致死率」は伝染病ではないけれど、アメリカを中心とした西側諸国で突如ガンの発生率が跳ね上がる話。「これはソ連による未知の攻撃に違いない。」と東側への核攻撃を主張する合衆国大統領に、核戦争の危機が高まる中、必死にガン多発の原因を究明するが、その正体は・・・
 
 他にも、ジャック・ロンドン「赤子病」があるし、アイザック・アシモフのどの話かは忘れたが、放射性元素を取り込んだインフルエンザウイルスというのが登場する。新しいところでは「28日後・・・・」か。

<注釈>
(※1)白状すると、映画も小説も<<<見ていない、読んでいない。
(※2)うーん、効率悪そうな任務だ。
(※3)無論バラしちゃいけないのは、アンドロメダ病原体への対処法、だろう。
(※4)稲作国にとっては大迷惑な話だ。我が国を含めて。


2. 現実:「新型インフルエンザ」の発生

 並べ立てたSF(主として小説)は、いずれも未知の伝染病による恐怖を描いている。その多くは細菌兵器或いは細菌戦争が関与しているのは、SFと言う比較的制約の少ない自由な舞台の上だから、だろうか。
 
 現実の世界では、細菌兵器の開発(※1)も細菌兵器の使用をも待つまでもなく、天然自然のままでもインフルエンザウイルスをはじめとする病原体への対処だけでも結構なことになっている。
 
 上記記事で報じられているのは、人から人への感染が確認された新型インフルエンザ・H1N1型による死者数と感染者数。既に報じられている通り、豚に由来するとも言われる新型インフルエンザは、かねてより警戒されていた鳥インフルエンザ強毒型H5N1型ほどには高い致死率は持たぬモノの、新型故に人類には基本的に免疫がなく、世界的流行が懸念され、WHOの警戒態勢も6段階ある内の上から2番目の「フェーズ5」を宣言されているのも、既に報じられているとおりだ。
 
 エアラインの発達と普及が世界を狭くし、人の移動を容易にした分、検疫・防疫はかつて以上に困難となっているのも確かだろう。それ故に、メキシコで発生確認以来、ほんの1週間ほどで感染国は記事の通りの増加を見せている。

<注釈>
(※1)それはそれで、恐らく実施されているのだろうが。


3. 病原体というのは矛盾した存在である。

 一説によると、人類なり鳥なり豚なりを発病させる「病原体」と言うものは、生物として甚だ矛盾した存在なのだ、そうだ。
 生物というモノは基本的にその種を保存しようとする。種を保存する手っ取り早い方法は個体数を増やすことだ。だが、病原体となる生物は、その個体数を増やすことで宿主を病気にしてしまう。無論空気感染なり飛沫感染なりの手段で発病した/発病する宿主から飛び出して、他の宿主に感染する=飛び移る事でさらに個体数を増やす可能性はある。
 が、発病の結果宿主が死んでしまったら、宿主が提供していた快適な環境は維持されず、基本的に病原体はその宿主の中では増殖できなくなる。下手すれば宿主と共倒れだ。
 極端な話、個体数を増やした途端に宿主が発病し、死んでしまったら、個体数を増やす筈が、宿主と共倒れしてお終いになってしまう。
 
 従って「病原体という生き方」は、寄生や共生ほどには賢い方法ではない。
 
 無論、伝染病という「宿主から新たな宿主への感染力が強い」病気であれば、病原体が「発病原因でありながら個体数を増やし続けることが出来る」可能性は高まる。
 が、潜伏期間=発病に至るまでの時間が短く、発病から死に至るまでの時間が短い、即ち強烈な病気であればあるほど、新たな宿主に感染しうる時間は短くなるから、トータルでの感染力は低くなる。
 従って「個体数を増やしやすい(賢い)病原体」とは、潜伏期間が長い=発病に至るまでの時間が長く、発病しても死に至らせない(宿主が生きていれば、感染源たりうる。)病原体である。

 無論、賢いかどうか何て、当のインフルエンザウイルスが気にする筈もないが。

4. 伝染病で人類が滅びることはない。但し、

 タイトルにもしたとおり、今回確認された新型インフルエンザなり強毒型鳥インフルエンザなりで、人類が種として滅びてしまうことはない。
 
 先述したSFの多くにもある通り、人類が人的被害を被ることはある。その結果多くの人が死ねば、徐々にだが地球の人口密度が減っていき人と人との相対距離が開いていく。交通機関が麻痺すれば、人と人との時間的距離は格段に開くだろう。
 他方、死んでしまった人間は基本的に動けない。その死体の周囲までは感染可能範囲かも知れないが、その距離はたかが知れている。
 人と人との間の時間的距離が開き、感染し発病した者が別の人間に出会うまでにまでに病死して動けなくなってしまうほどになれば、それ以上に人から人への感染はあり得ない。
 動物経由の感染ならば、もう少し事情が異なるが、大差はない。
 
 その人口密度は非常に低いかも知れない。そこに至るまで人類は大損害を被るかも知れないし、村や町、都市や国の単位では全滅するかも知れない。 しかし、人口密度ゼロにはならない。

 従って、伝染病で人類が滅びることはない。
 但し、国家や文明、社会が伝染病で滅びることはあり得るし、生き残った人類集団があまりに小さいと、近親婚の影響で、種としての人類を弱体化させることはあり得る。
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