「四面海もて囲まれし、我が敷島の厳島
  他なる兵を防ぐには、陸に砲台海に船」

 とは、軍歌の一節である。「陸に砲台」と言う表現には時代を感じざるを得ないが、「砲台」を「地対艦ミサイル」に置き換えれば、今でも立派に通用する防衛コンセプトだ。
 
 「我が日の本は島国よ、朝日輝よう海に
  連なりそばたつ島々なれど、あらゆる国より舟こそ通え。」-横浜市歌 森鴎外・作詞-
 日本屈指の港湾を擁する横浜の市歌は、貿易立国・日本の在り方を、美事なまでに簡潔に捕らえている。
 
 表題にした「定遠」「鎮遠」は一九世紀末、大陸は清帝国が輸入した、三〇センチ砲連装2基を主砲とする戦艦である。当時の日本には戦艦どころか装甲艦が一隻もないため、日清戦争の際にはこの定遠・鎮遠が恐ろしくて、日本の舟は日本の港湾からでられなかったという。これが表題にした「定遠・鎮遠の恐怖」である。
 
 さて、定遠・鎮遠の恐怖によって日本の商船が港湾に封鎖されてしまうと言うことは、「あらゆる国より舟こそ通え」と横浜市歌に唄われたその舟が、日本やって来ないことを意味する。それは、明治二本にとっても死活問題ではあったが、現代日本にとってはさらにその致命度が高いと言わざるを得ない。食料も、エネルギーも、資源も、工作原料も、さらには製品の輸出も、今は空路という別の手段もないではないが、輸送量という点で海路に空路は到底及ばない。

 言い換えるならば、「現代の定遠・鎮遠の恐怖」は明治時代以上であると言うことだ。
 
 閑話休題(それはさておき)
 報じられているのは中国の空母保有。再三表明されている中国の空母保有であり、当ブログでも記事にしているが(http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21384633.html )、日本の防衛大臣を相手に公言されたと言うことは、世界初の空母として建造された空母「鳳祥」の建造国である我が国に対する挑発と取れなくもない。或いは、「大国で空母を持っていないのは中国だけであり」等と言っていると言うことは、鳳祥を嚆矢として一大空母群を築いた(※1)大日本帝国もしくは「ひゅうが」級を擁する今の日本に対するコンプレックス(※2)の表れとも思える。そりゃ「国とも言えないような蛮族(※3)が、偉大なる中華帝国の未だなしえないようなことを実施した。」と言うのは、中華思想の御本尊としては寝覚めの悪いところだろう(※4)。
 
 ところが我が国としては「中国のコンプレックスの表れ」とこの空母に対し多寡を括っては居られないのである。なぜならば上記報道の末尾に在るとおり、「空母は、海岸沿いよりも遠方の沖合まで軍事力を展開する上で重要な軍備。」で在り、その「遠方沖合での軍事力展開」には通商破壊が含まれるからである。
 
 仮に戦時の通商破壊と言う実効は無くとも、そこに友好的ならざる空母が存在し、これに対抗しうる有効な手段が無い場合、我が国の通商権は大いに脅威にさらされる事になる。(※5)
 即ち表題にしたとおり「定遠・鎮遠の恐怖再び」であり、制海権は通商権であるから我が国としては我が国の生存ご繁栄のために不可欠な制海権=通商権が脅かされることになる。(「制海権は通商権である」 http://blogs.yahoo.co.jp/tiger1tiger2stiger/21536213.html

 そのような事態を、日本の防衛相相手に公言した中国の意図は、一種の恫喝であると見て先ず間違い在るまい。当の浜田防衛相がどう受け取ったかは別として。
 
 我が国としては、かかる恫喝に屈することのないように、中国空母への有効な対抗手段を講じるべきである。
 その候補の一つは、我が国独自の空母保有であることは、言うまでもない。


<注釈>
(※1)で、大半を沈めてしまったんだが。
(※2)韓国の「独島」に文句を付けないと言うことは、前者である証拠かも知れない。
(※3)つまり中国以外の全部
(※4)悔しかったら一つの王朝で千年保たして見やがれってんだ。
(※5)これぞ、艦隊現存主義。