とある人の講演を聴いた。講演をするぐらいだから、まずは有名人だが、名は伏せよう。その人の講演の冒頭、いわゆる「掴み」に曰く、「暗いニュースばかりでともすれば絶望的にもなりそうだが、この日本、まだまだ捨ててものじゃない。」と。
この日本は「捨てたものじゃない。」どころか、大いに誇るべきものがあると、血の赤い日本人である私は思っているから、「まだまだ捨てたもんじゃない。」には大いに賛成だが「暗いニュースばかりで絶望的になる」と言うのには、少なからず引っかかった。それはタイトルにも示したとおり、ひねくれ者たる私の、ひねくれ者たる所以でもあるのだが・・・
まあ、暫時おつき合い願えれば、一寸は面白い話が出来よう。
1.天才落語家・立川談志
実のところ表題にした考え方は、私のオリジナルではない。
権威付けには到底なりそうにないが、随分昔に聞いた落語家・立川談志の高座の「枕」、落語の「掴み」に当たる部分で聞いた小話が元ネタになっている。
談志と言う落語家は、先ず天才と言って良いと、素人落語評論家(ただの落語好き)である私は思っている。最近のギャグエンターテイナー(落語家とも漫才師とも定義しがたいので、こう呼ぼう。広義には、コメディアンか。)に良くある「マシンガントーク」とも言われる(らしい)まくし立てるような話し方は先ずしない。やろうと思えば出来るのだが、「物量作戦」であるマシンガントークとはまったく異なる「間」を(※1)重視した「絶妙なタイミング」で死ぬほど笑わすことが出来る落語家であるが・・・落語の才能よりも、毒舌の方で知られているかも知れない。
で、その立川談志の枕に曰く、
「暗いニュースばかりと言いますが、ニュースが暗いのは当たり前。ありゃ暗いからニュースになるんだ。
『東京にも親孝行な子供が居た!』なんて明るい話がニュースになるようじゃ、お終いでしょう。」
一種のブラックユーモアだが、笑えるし、納得できる話だ。
<注釈>
(※1)それも、ラジオならば放送事故となりかねないほどの長い間を。
2. ニュースになる話、とは?
俗に「犬が人を噛んでもニュースにならない。人が犬を噛んだらニュースだ。」という。ニュース性の一つの要素が「物珍しさ」であることは疑いない。先述の立川談志の毒舌は、そのことを端的に表している。つまり、「暗い事件は珍しい。珍しいからニュースになる。故に、暗いニュースが多いと言うことは、暗い事件が珍しい証拠であり、世の中明るいことだらけだと言う証拠である。」と言うことだ。
些か暴論とも取れるが、一理である。
談志の指摘通り、逆の事態を想定してみれば判る事だ。「東京にも親孝行な子供が居た。」事が珍しくてニュースになり、そんなニュースばかりと言う事態を。
一寸毛色が違うが似たような事態を私は体験したことがある。
海外短波放送受信というのは昔も今もマイナーな趣味だが、一時私はこの趣味を持っていた。とは言っても外国語に堪能なわけではないので、外国が短波に乗せて放送する日本語放送ばかり聞いていた。
当たり前だが、外国がわざわざ(その国の言葉ではなく)日本語で海外向けに放送する短波放送は、基本的に宣伝放送だ。そこまで行かなくても、自国に不利な事は基本的に言わず、有利なことは大いに喧伝する。この事は多分、今でも大差ないのだろう。
で、当時日本語放送を日本で盛大に受審できたのは、中国の北京放送、中華民国の自由中国の声、ソ連(当時)のモスクワ放送、韓国のラジオ韓国、北朝鮮の平壌放送、それに一寸意外だが香港に中継局があるイギリスのBBCだった。
放送時間が圧倒的なのはモスクワ放送で、ついで北京放送だったか。
だが、最も宣伝謀略放送臭が強いのは、今もそうだろうが、平壌放送だった。
なにしろ「ニュースの時間です。どこそこの何とか新聞は、敬愛する金日成主席(当時)の写真を掲げています。・・・」とニュースの時間の冒頭が、いかに世界が金日成主席を敬愛しているか、という提灯記事というのも恥ずかしいほどのあからさまなニュースだが・・・これが一種の「明るい」ニュースであることは間違いない。
さらには、金日成主席のお陰で生まれて初めて長距離旅行が出来たという人の感謝の言葉が延々と述べられたりする、これも一種の「明るい」ニュースだ。
新聞の一面やトップニュースが、パンダやらスポーツやらで占められてしまうことは確かにあるが、毎日そんな「明るい」ニュースばかりだったら、貴方は安心だろうか?
言うまでもないが、私は立川談志師匠(今では年齢的に、巨匠、かな。)の説を支持する。
暗いニュースが多いのは、間違いなく、暗いことがニュースになるからである。
ところで、ニュース性には新奇性・物珍しさ意外の要素もあることは認めなければならない。
例えば、スキャンダルやゴシップの類。麻生首相が「漢字が読めない」とか「言い間違いが多い」とかもこの類ではないかと思うのだが、これまた俗に「他人の不幸は蜜の味」等というそうだ。
他人の不幸が我が身の幸福とは、何とも浅ましい話ではあるが、人間にそう言う感情もあることは認めなければならない。(人や民族や国民によって、強弱はあるが。中国人何かは、相当強いそうだ。)それがあってか世の芸能ニュースの主力はこうした「他人の不幸」であるようだ。やれ誰と誰が仲が悪いだの、誰のところが離婚しそうだの、借金があるだの増えただの、枚挙に暇がない。
こうしたゴシップやスキャンダルが「暗いニュースが多い」一因だとすると、談志師匠の説は、若干弱くなる。
弱くなるだけで、否定はされないが。
3. ニュースになる話とは?2
ところが、ニュースになる話には、別の側面もあることに留意しなければならない。
即ち、「ニュースになる話とは、マスコミがニュースにしたがる話である。」
マスコミは不偏不党を金看板にする場合もあるが、神ならぬ身の人のこと、「不偏不党の完全中立」は通常心がけることは出来ても達成することは出来ないものではある。
が、どうもマスコミという奴は、そんな金看板なぞ何のその、ニュースにしたい話を一定の基準で選考しているようである。それも、その選考基準がマスコミ各社によってまったく異なるならまだしも、少なくとも日本のマスコミに於いては相当な統一性を以って。
先頃大々的に報じられた、田母神空幕長更迭劇を巡る報道はその顕著な例だろう。
「政府見解に反する意見を空幕長が述べるのは、文民統制に反する。」とのマスコミ統一見解が、どれほど美事にマスコミ各社を席巻したかは、当ブログでも何本かの記事にした。
田母神空幕長より遙か以前に、防大校長が時の小泉首相の靖国神社参拝に反対する意見を公にしたときは、防大校長を解任しろとも更迭しろとも、懲戒免職にしろとも退職金を返納させろとも、無論「首相の靖国神社参拝に反対する自衛官は自衛隊から追い出せ」とも、欠片も報じなかったマスコミ各社がだ。
故に、「暗いニュースが多い」理由として「マスコミが暗い話をニュースにしたがっているため。」と言う可能性が、未だ残っている。
「私は一介の主婦ですけれど、そう言った話はニュースにならないんですね。」
「ニュースにならない話は一杯あるんですよ。」 映画「グリーンベレー」より
4. 結論
さて、新聞紙上や放送されるニュースに暗いにユースが多いのは客観的事実として、それは「暗い事件が珍しいから。」が主だろうか、あるいは「マスコミが暗い事件をニュースにしたがるから。」が主だろうか。
喧嘩両成敗というか玉虫色の回答かも知れないが、「どちらもあるのだろうな。」と私は思う。まあそれでも、前者であって欲しいと望みはするが。
後者であるならば、是非理由を知りたいものだが・・・何となくあたりはつく。何しろ日本の悪口を言うのは、マスコミの第2の天性のようなものだ。「アメリカでは・・・」「EUでは・・」「オランダでは・・」等と外国を引き合いに出して「だから日本は駄目なんだ。」と言うのは、マスコミの常套手段だ。
自戒を怠らないと言う意味では、一定の効果があるのだろうけれど。
「暗いニュースばかりだ。」というのは良いニュースである。
マスコミが、とんでもなく偏向していない限り。(余り自信はないな。)
この日本は「捨てたものじゃない。」どころか、大いに誇るべきものがあると、血の赤い日本人である私は思っているから、「まだまだ捨てたもんじゃない。」には大いに賛成だが「暗いニュースばかりで絶望的になる」と言うのには、少なからず引っかかった。それはタイトルにも示したとおり、ひねくれ者たる私の、ひねくれ者たる所以でもあるのだが・・・
まあ、暫時おつき合い願えれば、一寸は面白い話が出来よう。
1.天才落語家・立川談志
実のところ表題にした考え方は、私のオリジナルではない。
権威付けには到底なりそうにないが、随分昔に聞いた落語家・立川談志の高座の「枕」、落語の「掴み」に当たる部分で聞いた小話が元ネタになっている。
談志と言う落語家は、先ず天才と言って良いと、素人落語評論家(ただの落語好き)である私は思っている。最近のギャグエンターテイナー(落語家とも漫才師とも定義しがたいので、こう呼ぼう。広義には、コメディアンか。)に良くある「マシンガントーク」とも言われる(らしい)まくし立てるような話し方は先ずしない。やろうと思えば出来るのだが、「物量作戦」であるマシンガントークとはまったく異なる「間」を(※1)重視した「絶妙なタイミング」で死ぬほど笑わすことが出来る落語家であるが・・・落語の才能よりも、毒舌の方で知られているかも知れない。
で、その立川談志の枕に曰く、
「暗いニュースばかりと言いますが、ニュースが暗いのは当たり前。ありゃ暗いからニュースになるんだ。
『東京にも親孝行な子供が居た!』なんて明るい話がニュースになるようじゃ、お終いでしょう。」
一種のブラックユーモアだが、笑えるし、納得できる話だ。
<注釈>
(※1)それも、ラジオならば放送事故となりかねないほどの長い間を。
2. ニュースになる話、とは?
俗に「犬が人を噛んでもニュースにならない。人が犬を噛んだらニュースだ。」という。ニュース性の一つの要素が「物珍しさ」であることは疑いない。先述の立川談志の毒舌は、そのことを端的に表している。つまり、「暗い事件は珍しい。珍しいからニュースになる。故に、暗いニュースが多いと言うことは、暗い事件が珍しい証拠であり、世の中明るいことだらけだと言う証拠である。」と言うことだ。
些か暴論とも取れるが、一理である。
談志の指摘通り、逆の事態を想定してみれば判る事だ。「東京にも親孝行な子供が居た。」事が珍しくてニュースになり、そんなニュースばかりと言う事態を。
一寸毛色が違うが似たような事態を私は体験したことがある。
海外短波放送受信というのは昔も今もマイナーな趣味だが、一時私はこの趣味を持っていた。とは言っても外国語に堪能なわけではないので、外国が短波に乗せて放送する日本語放送ばかり聞いていた。
当たり前だが、外国がわざわざ(その国の言葉ではなく)日本語で海外向けに放送する短波放送は、基本的に宣伝放送だ。そこまで行かなくても、自国に不利な事は基本的に言わず、有利なことは大いに喧伝する。この事は多分、今でも大差ないのだろう。
で、当時日本語放送を日本で盛大に受審できたのは、中国の北京放送、中華民国の自由中国の声、ソ連(当時)のモスクワ放送、韓国のラジオ韓国、北朝鮮の平壌放送、それに一寸意外だが香港に中継局があるイギリスのBBCだった。
放送時間が圧倒的なのはモスクワ放送で、ついで北京放送だったか。
だが、最も宣伝謀略放送臭が強いのは、今もそうだろうが、平壌放送だった。
なにしろ「ニュースの時間です。どこそこの何とか新聞は、敬愛する金日成主席(当時)の写真を掲げています。・・・」とニュースの時間の冒頭が、いかに世界が金日成主席を敬愛しているか、という提灯記事というのも恥ずかしいほどのあからさまなニュースだが・・・これが一種の「明るい」ニュースであることは間違いない。
さらには、金日成主席のお陰で生まれて初めて長距離旅行が出来たという人の感謝の言葉が延々と述べられたりする、これも一種の「明るい」ニュースだ。
新聞の一面やトップニュースが、パンダやらスポーツやらで占められてしまうことは確かにあるが、毎日そんな「明るい」ニュースばかりだったら、貴方は安心だろうか?
言うまでもないが、私は立川談志師匠(今では年齢的に、巨匠、かな。)の説を支持する。
暗いニュースが多いのは、間違いなく、暗いことがニュースになるからである。
ところで、ニュース性には新奇性・物珍しさ意外の要素もあることは認めなければならない。
例えば、スキャンダルやゴシップの類。麻生首相が「漢字が読めない」とか「言い間違いが多い」とかもこの類ではないかと思うのだが、これまた俗に「他人の不幸は蜜の味」等というそうだ。
他人の不幸が我が身の幸福とは、何とも浅ましい話ではあるが、人間にそう言う感情もあることは認めなければならない。(人や民族や国民によって、強弱はあるが。中国人何かは、相当強いそうだ。)それがあってか世の芸能ニュースの主力はこうした「他人の不幸」であるようだ。やれ誰と誰が仲が悪いだの、誰のところが離婚しそうだの、借金があるだの増えただの、枚挙に暇がない。
こうしたゴシップやスキャンダルが「暗いニュースが多い」一因だとすると、談志師匠の説は、若干弱くなる。
弱くなるだけで、否定はされないが。
3. ニュースになる話とは?2
ところが、ニュースになる話には、別の側面もあることに留意しなければならない。
即ち、「ニュースになる話とは、マスコミがニュースにしたがる話である。」
マスコミは不偏不党を金看板にする場合もあるが、神ならぬ身の人のこと、「不偏不党の完全中立」は通常心がけることは出来ても達成することは出来ないものではある。
が、どうもマスコミという奴は、そんな金看板なぞ何のその、ニュースにしたい話を一定の基準で選考しているようである。それも、その選考基準がマスコミ各社によってまったく異なるならまだしも、少なくとも日本のマスコミに於いては相当な統一性を以って。
先頃大々的に報じられた、田母神空幕長更迭劇を巡る報道はその顕著な例だろう。
「政府見解に反する意見を空幕長が述べるのは、文民統制に反する。」とのマスコミ統一見解が、どれほど美事にマスコミ各社を席巻したかは、当ブログでも何本かの記事にした。
田母神空幕長より遙か以前に、防大校長が時の小泉首相の靖国神社参拝に反対する意見を公にしたときは、防大校長を解任しろとも更迭しろとも、懲戒免職にしろとも退職金を返納させろとも、無論「首相の靖国神社参拝に反対する自衛官は自衛隊から追い出せ」とも、欠片も報じなかったマスコミ各社がだ。
故に、「暗いニュースが多い」理由として「マスコミが暗い話をニュースにしたがっているため。」と言う可能性が、未だ残っている。
「私は一介の主婦ですけれど、そう言った話はニュースにならないんですね。」
「ニュースにならない話は一杯あるんですよ。」 映画「グリーンベレー」より
4. 結論
さて、新聞紙上や放送されるニュースに暗いにユースが多いのは客観的事実として、それは「暗い事件が珍しいから。」が主だろうか、あるいは「マスコミが暗い事件をニュースにしたがるから。」が主だろうか。
喧嘩両成敗というか玉虫色の回答かも知れないが、「どちらもあるのだろうな。」と私は思う。まあそれでも、前者であって欲しいと望みはするが。
後者であるならば、是非理由を知りたいものだが・・・何となくあたりはつく。何しろ日本の悪口を言うのは、マスコミの第2の天性のようなものだ。「アメリカでは・・・」「EUでは・・」「オランダでは・・」等と外国を引き合いに出して「だから日本は駄目なんだ。」と言うのは、マスコミの常套手段だ。
自戒を怠らないと言う意味では、一定の効果があるのだろうけれど。
「暗いニュースばかりだ。」というのは良いニュースである。
マスコミが、とんでもなく偏向していない限り。(余り自信はないな。)