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諸兄ご承知の通り、南北に細長くのびた日本列島は、寒流と暖流のぶつかる海洋の影響もあって、世界的にも降水量が多い土地である。このため植物の育成に適しており、自然建物の材料としては古くから木材が多用されていた。
ために日本家屋と言えば「木と紙で出来た家」であり、今でも一戸建て住宅の相当部分は木造建築である。
1-1 世界最古の木造建築物 五重塔
その日本に古くからある木造建築の内、輪をかけて古いのは神社仏閣である。分けても古いのが法隆寺の五重塔は、世界最古の木造建築として、ギネスブックにも記載されている。伝承に依れば(http://www.horyuji.or.jp/engi.htm)建立実に607年。その後の研究で「現存する建築物は七世紀後半に建立されたもの」とされるが、それでも築1300年以上の古い建築物である。
一口に「建立されてから1300年以上(公称1402年)」と言ってもただ「1300年以上前に建てた」と言うだけではない。無論その昔にかかる木造建築物を建立するだけの経済力と技術力があったればこその五重塔ではあるが、注目すべきはその後1300年以上の長きにわたって、この木造建築物を維持保存できたことであろう。
人跡まれなる砂漠の真ん中に在る訳ではない。「千年王城」とうたわれ長いこと日本の中心であった京都にもほど遠くない地にある。つまりそれだけ都や王朝を巡る戦乱に巻き込まれかねない立地条件にある。
かてて加えて日本の気候は雨も多ければ台風も毎年恒例のように来る。言うまでもないが、雨や湿気は木材という建築材料にとってなかなかの難敵である。湿気は木の腐敗も招けば、シロアリなどの害虫も呼ぶ。
おまけに日本名物とも言うべき地震がある。近代的な鉄筋コンクリ作りでも、手を抜けばたちまち倒壊させてしまうような地震が、台風ほどではないが「忘れた頃に」やって来る。
建築物の喪失という意味では、先の大戦・大東亜戦争(太平洋戦争)も数えないわけには行くまい。ベトナム戦争時の北爆と違って遠慮会釈もなく「戦略爆撃」を実施した米軍は、神社仏閣を狙うことはなかったようだが、工業地帯と住宅地を目標として、日本全土に猛威を振るった。
これら台風、地震、戦災、腐敗、害虫等の全てをくぐり抜けて生き延び、法隆寺・五重塔は現存している。日本初の世界遺産に選ばれたのも、うべなるべしという可きだろう。
しこうしてそれは、1300年以上前にかかる木造建築物を実現し、その後綿々と維持・管理し続けた、我らの先人のお陰でもある。
これを誇らずに居られようか。
1-2 「技術の伝承」 伊勢神宮の式年遷宮
築1300年以上を誇る法隆寺・五重塔に対し、伊勢神宮の方は築十五年。数多ある世の神社仏閣教会の中でも、まず若輩と言うべきではあろう。
先述の法隆寺五重塔が世界最古の木造建築であり、世界最古であるが故に有り難いのに対し、伊勢神宮は僅かに築15年ではあるが、式年遷宮と呼ばれる建て替え儀式を通じて、古代の建築技術を今に伝承しているが故に尊いと言える。
即ち、建屋を建てるべき土地が2箇所用意されていて、土地Aに今の伊勢神宮が建っているとすると土地Bの方は空き地になっており、今の伊勢神宮が築20年になると土地Bの方に全く同じ建物を建立し、最終的には建て替えると言うのが式年遷宮のあらましである。これを西暦690年以来、1300年以上に渡って綿々と続けている。
輪廻転生と言う言葉は仏教のものだが、二十年ごとに生まれ代わり死に代わりして、伊勢神宮は今だ我々の前に厳然として在る。
20年という建て替え間隔も絶妙と言えよう。前回の式年遷宮の際、下働きで現場を走り回っていた宮大工が、次の式年遷宮では立派な親方になっている頃合いだ。「人生五十年」としても、何とか収まる。
人間の一世代はおおよそ30年と言われる。20年はそれより少し短いが、昔の人が現代人よりも早婚・早産であったことをおもえば、調度1世代という感覚だったのかも知れない。建築技術の伝承と言う意味では1世代以上離れてしまうと「直接建て替え現場を知っている人間が、次の建て替え時期には誰もいない。」と言うことになりかねないから、1世代にマージン見込んで短めに設定されたとも考えられる。
或いは神事であるだけに、何か占いで決めただけの「建て替えインターバル二十年」なのかも知れないが・・・結果的には「技術伝承が可能な最大値」に近い値に設定され、千三百年以上前の建築技術が美事に現代まで伝承され、このまま伝承され続ける公算大である。
未だ使える建屋を築20年で建て替えてしまうのだから、もったいないと言えばもったいない話だ。先述の通り、法隆寺五重塔は式年遷宮何かしなくても千三百年以上厳然としてあり続けていると言う実績もある。
だが、ただそこに現物があるだけでは、技術は伝承されない。法隆寺五重塔と全く同じものを、五重塔という現物だけで作るのは至難だろう。
実際に同じ物を作る事以上の確実な技術伝承は、コンピュータや3D-CADが発達した現代でも容易なことではない。伊勢神宮の式年遷宮は、究極のOJT(On Job Training)と言えるだろう。
無論、伊瀬神宮という建造物を式年遷宮として二十年毎に建て替えようと決めたときの日本人が、OJTなんて言葉を知るはずがないし、技術を伝承して千年以上に至らせようと考えていたかどうかも甚だ疑問だ。
だが、当時の日本人は知っていたのではないか。
物を作る技術を後代に伝えるのには、実際に物を作らせるのが最善である事を。(当時としては唯一と言っても良いかも知れない。)
その上でその伝承した技術で、伊瀬神宮の、ひいては日本の、末長かからん事を願ったのではないか。
結果としてその技術伝承は美事に続き、千三百年以上を数えている。
ほぼ同時期に建立された法隆寺五重塔がそのままの形で今に残ったことこそ、式年遷宮を決めた古代日本人の「想定外」であろうが、もし将来五重塔をどうしても建て替えねばならなくなった場合、伊瀬神宮の式年遷宮で伝承された技術が活用できる可能性は高いと思われる。
御先祖様、我ら子々孫々、なかなかに健闘しておりますぞ。
[[img(http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/article/article.php,1,1, )]]
諸兄ご承知の通り、南北に細長くのびた日本列島は、寒流と暖流のぶつかる海洋の影響もあって、世界的にも降水量が多い土地である。このため植物の育成に適しており、自然建物の材料としては古くから木材が多用されていた。
ために日本家屋と言えば「木と紙で出来た家」であり、今でも一戸建て住宅の相当部分は木造建築である。
1-1 世界最古の木造建築物 五重塔
その日本に古くからある木造建築の内、輪をかけて古いのは神社仏閣である。分けても古いのが法隆寺の五重塔は、世界最古の木造建築として、ギネスブックにも記載されている。伝承に依れば(http://www.horyuji.or.jp/engi.htm)建立実に607年。その後の研究で「現存する建築物は七世紀後半に建立されたもの」とされるが、それでも築1300年以上の古い建築物である。
一口に「建立されてから1300年以上(公称1402年)」と言ってもただ「1300年以上前に建てた」と言うだけではない。無論その昔にかかる木造建築物を建立するだけの経済力と技術力があったればこその五重塔ではあるが、注目すべきはその後1300年以上の長きにわたって、この木造建築物を維持保存できたことであろう。
人跡まれなる砂漠の真ん中に在る訳ではない。「千年王城」とうたわれ長いこと日本の中心であった京都にもほど遠くない地にある。つまりそれだけ都や王朝を巡る戦乱に巻き込まれかねない立地条件にある。
かてて加えて日本の気候は雨も多ければ台風も毎年恒例のように来る。言うまでもないが、雨や湿気は木材という建築材料にとってなかなかの難敵である。湿気は木の腐敗も招けば、シロアリなどの害虫も呼ぶ。
おまけに日本名物とも言うべき地震がある。近代的な鉄筋コンクリ作りでも、手を抜けばたちまち倒壊させてしまうような地震が、台風ほどではないが「忘れた頃に」やって来る。
建築物の喪失という意味では、先の大戦・大東亜戦争(太平洋戦争)も数えないわけには行くまい。ベトナム戦争時の北爆と違って遠慮会釈もなく「戦略爆撃」を実施した米軍は、神社仏閣を狙うことはなかったようだが、工業地帯と住宅地を目標として、日本全土に猛威を振るった。
これら台風、地震、戦災、腐敗、害虫等の全てをくぐり抜けて生き延び、法隆寺・五重塔は現存している。日本初の世界遺産に選ばれたのも、うべなるべしという可きだろう。
しこうしてそれは、1300年以上前にかかる木造建築物を実現し、その後綿々と維持・管理し続けた、我らの先人のお陰でもある。
これを誇らずに居られようか。
1-2 「技術の伝承」 伊勢神宮の式年遷宮
築1300年以上を誇る法隆寺・五重塔に対し、伊勢神宮の方は築十五年。数多ある世の神社仏閣教会の中でも、まず若輩と言うべきではあろう。
先述の法隆寺五重塔が世界最古の木造建築であり、世界最古であるが故に有り難いのに対し、伊勢神宮は僅かに築15年ではあるが、式年遷宮と呼ばれる建て替え儀式を通じて、古代の建築技術を今に伝承しているが故に尊いと言える。
即ち、建屋を建てるべき土地が2箇所用意されていて、土地Aに今の伊勢神宮が建っているとすると土地Bの方は空き地になっており、今の伊勢神宮が築20年になると土地Bの方に全く同じ建物を建立し、最終的には建て替えると言うのが式年遷宮のあらましである。これを西暦690年以来、1300年以上に渡って綿々と続けている。
輪廻転生と言う言葉は仏教のものだが、二十年ごとに生まれ代わり死に代わりして、伊勢神宮は今だ我々の前に厳然として在る。
20年という建て替え間隔も絶妙と言えよう。前回の式年遷宮の際、下働きで現場を走り回っていた宮大工が、次の式年遷宮では立派な親方になっている頃合いだ。「人生五十年」としても、何とか収まる。
人間の一世代はおおよそ30年と言われる。20年はそれより少し短いが、昔の人が現代人よりも早婚・早産であったことをおもえば、調度1世代という感覚だったのかも知れない。建築技術の伝承と言う意味では1世代以上離れてしまうと「直接建て替え現場を知っている人間が、次の建て替え時期には誰もいない。」と言うことになりかねないから、1世代にマージン見込んで短めに設定されたとも考えられる。
或いは神事であるだけに、何か占いで決めただけの「建て替えインターバル二十年」なのかも知れないが・・・結果的には「技術伝承が可能な最大値」に近い値に設定され、千三百年以上前の建築技術が美事に現代まで伝承され、このまま伝承され続ける公算大である。
未だ使える建屋を築20年で建て替えてしまうのだから、もったいないと言えばもったいない話だ。先述の通り、法隆寺五重塔は式年遷宮何かしなくても千三百年以上厳然としてあり続けていると言う実績もある。
だが、ただそこに現物があるだけでは、技術は伝承されない。法隆寺五重塔と全く同じものを、五重塔という現物だけで作るのは至難だろう。
実際に同じ物を作る事以上の確実な技術伝承は、コンピュータや3D-CADが発達した現代でも容易なことではない。伊勢神宮の式年遷宮は、究極のOJT(On Job Training)と言えるだろう。
無論、伊瀬神宮という建造物を式年遷宮として二十年毎に建て替えようと決めたときの日本人が、OJTなんて言葉を知るはずがないし、技術を伝承して千年以上に至らせようと考えていたかどうかも甚だ疑問だ。
だが、当時の日本人は知っていたのではないか。
物を作る技術を後代に伝えるのには、実際に物を作らせるのが最善である事を。(当時としては唯一と言っても良いかも知れない。)
その上でその伝承した技術で、伊瀬神宮の、ひいては日本の、末長かからん事を願ったのではないか。
結果としてその技術伝承は美事に続き、千三百年以上を数えている。
ほぼ同時期に建立された法隆寺五重塔がそのままの形で今に残ったことこそ、式年遷宮を決めた古代日本人の「想定外」であろうが、もし将来五重塔をどうしても建て替えねばならなくなった場合、伊瀬神宮の式年遷宮で伝承された技術が活用できる可能性は高いと思われる。
御先祖様、我ら子々孫々、なかなかに健闘しておりますぞ。
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