以下の記事は、西暦2009年・皇紀二六六九年の我がブログ記事第一号「天ちゃん万歳!」の表記を改め加筆修正したものである。
上記記事では親しみを込めて、不敬覚悟で陛下のことを「天ちゃん」呼ばわりしていたが、安東様のご指摘通りこれではどうも居心地が悪いので表記を修正し、なるたけ正しい敬語を使うことにした。
中には「人間は皆平等なのだから、天皇に対しても敬語を使うのはおかしい。」等と唱える人もいるかも知れないが、これは「代金を払っている以上、感謝する必要はないのだから『いただきます。』『ごちそうさま』と言うのはおかしい。」と言うのと同じぐらいの奇説・珍説と言うべきで、人間が平等であると言うことと相手に対し時に謙って敬意を表する敬語を使うこととは、全く何の矛盾も生じはしない。「人間は皆平等」と言うのは「互いに要すれば相応の敬意を表するし、そのために敬語も使う。」事であって、「お互いにタメ口以外はきいてはいけない。」である筈がない。
と言うわけで改めて・・・「天皇陛下万歳!」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2553706/3644911
上記でAFPニュース報じられているのは、平成21年・皇紀二六六九年年頭に当たっての天皇陛下の御感想。
ニュースが報じている御言葉は短く以下の二言のみである。
「秋以降、世界的な金融危機の影響により、わが国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」
「国民の英知を結集し、人々の絆(きずな)を大切にしてお互いに助け合うことによって、この困難を乗り越えることを願っています」
ひねくれ者で冷血漢の私のような人間は、昨今マスコミが喧伝する「派遣切り」にしても、「そもそもそう言う職業、そう言う雇用形態を選択したのだから、『百年に一度の緊急事態』の前には『切られる』事もあり得ると言うことだろうし、それで合法とする法律にしたのだろう。
『社宅を追い出されては住む処もない。』と言うが、それも雇用条件の一部だろう。」と達観或いは突き放してしまうのだが、流石は一天万乗の大君ともなると、そんな不人情は出来ないと見える。
もちろん現在の天皇陛下には象徴的地位ではあっても政治的実権はない。明治の御代なら「歳費の一部を返上」しても相応の金額になったであろうが、平成の御代では景気対策なり雇用対策なりに資するほどの金額は生じない。
つまり天皇陛下のこの御言葉は、掛け声やまじないにはなっても、それ以上のものではない、筈だ。
ではこの陛下の御感想を表す御言葉は、全く無価値であろうか?
言うまでもないが、掛け声やまじないにも相応の価値がある。それは予算や物理力の様に物質には影響しないが、人の心、精神に影響する。
ましてや今回の金融危機は、金融という虚構と言って悪ければ仮想の経済が、実体経済に悪影響を及ぼした、いわば「病は気から」の典型のような事態だ。定額給付金も、企業に対する公的資金注入も結構だが、消費者マインド=人の心を喚起しなければ、それらの効果も薄かろう。
忘れてはなるまい。天皇陛下のその御言葉=玉音が、大東亜戦争終結時の美事なまでの(美事過ぎるほどの)帝国陸海軍の戦闘停止を可能にした時事を。
勿論、当時は天皇陛下が統帥権を持っていたのだが、大日本帝国陸海軍の「憲法順守精神」のみがかかる事態を可能にした訳ではあるまい。
まあ、あれから60年以上経っている。統帥権も今は天皇陛下にはない。
しかしながら、100年に一度の金融危機を迎えた翌年頭に、天皇陛下から発せられたこの「御感想」に、少なくとも私の士気が鼓舞されている事は、紛れもない事実である。
まあ、平たく言えば以下のようになるだろうか。
「不景気、不況の大合唱が天聴に達し、陛下が大御心を悩まされている。
臣下としては各員一層奮励努力の上、各その職務を全うし、以って宸襟を安んじ奉ろうではないか。」
上記記事では親しみを込めて、不敬覚悟で陛下のことを「天ちゃん」呼ばわりしていたが、安東様のご指摘通りこれではどうも居心地が悪いので表記を修正し、なるたけ正しい敬語を使うことにした。
中には「人間は皆平等なのだから、天皇に対しても敬語を使うのはおかしい。」等と唱える人もいるかも知れないが、これは「代金を払っている以上、感謝する必要はないのだから『いただきます。』『ごちそうさま』と言うのはおかしい。」と言うのと同じぐらいの奇説・珍説と言うべきで、人間が平等であると言うことと相手に対し時に謙って敬意を表する敬語を使うこととは、全く何の矛盾も生じはしない。「人間は皆平等」と言うのは「互いに要すれば相応の敬意を表するし、そのために敬語も使う。」事であって、「お互いにタメ口以外はきいてはいけない。」である筈がない。
と言うわけで改めて・・・「天皇陛下万歳!」
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2553706/3644911
上記でAFPニュース報じられているのは、平成21年・皇紀二六六九年年頭に当たっての天皇陛下の御感想。
ニュースが報じている御言葉は短く以下の二言のみである。
「秋以降、世界的な金融危機の影響により、わが国においても経済情勢が悪化し、多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます」
「国民の英知を結集し、人々の絆(きずな)を大切にしてお互いに助け合うことによって、この困難を乗り越えることを願っています」
ひねくれ者で冷血漢の私のような人間は、昨今マスコミが喧伝する「派遣切り」にしても、「そもそもそう言う職業、そう言う雇用形態を選択したのだから、『百年に一度の緊急事態』の前には『切られる』事もあり得ると言うことだろうし、それで合法とする法律にしたのだろう。
『社宅を追い出されては住む処もない。』と言うが、それも雇用条件の一部だろう。」と達観或いは突き放してしまうのだが、流石は一天万乗の大君ともなると、そんな不人情は出来ないと見える。
もちろん現在の天皇陛下には象徴的地位ではあっても政治的実権はない。明治の御代なら「歳費の一部を返上」しても相応の金額になったであろうが、平成の御代では景気対策なり雇用対策なりに資するほどの金額は生じない。
つまり天皇陛下のこの御言葉は、掛け声やまじないにはなっても、それ以上のものではない、筈だ。
ではこの陛下の御感想を表す御言葉は、全く無価値であろうか?
言うまでもないが、掛け声やまじないにも相応の価値がある。それは予算や物理力の様に物質には影響しないが、人の心、精神に影響する。
ましてや今回の金融危機は、金融という虚構と言って悪ければ仮想の経済が、実体経済に悪影響を及ぼした、いわば「病は気から」の典型のような事態だ。定額給付金も、企業に対する公的資金注入も結構だが、消費者マインド=人の心を喚起しなければ、それらの効果も薄かろう。
忘れてはなるまい。天皇陛下のその御言葉=玉音が、大東亜戦争終結時の美事なまでの(美事過ぎるほどの)帝国陸海軍の戦闘停止を可能にした時事を。
勿論、当時は天皇陛下が統帥権を持っていたのだが、大日本帝国陸海軍の「憲法順守精神」のみがかかる事態を可能にした訳ではあるまい。
まあ、あれから60年以上経っている。統帥権も今は天皇陛下にはない。
しかしながら、100年に一度の金融危機を迎えた翌年頭に、天皇陛下から発せられたこの「御感想」に、少なくとも私の士気が鼓舞されている事は、紛れもない事実である。
まあ、平たく言えば以下のようになるだろうか。
「不景気、不況の大合唱が天聴に達し、陛下が大御心を悩まされている。
臣下としては各員一層奮励努力の上、各その職務を全うし、以って宸襟を安んじ奉ろうではないか。」