「君主は何をやっても悪く言われる。」とは、キケロの言である。「君主」は「為政者」と言い換えても良いだろう。国の政治を預かり、決断を迫られる者は、神ならぬ身の人であることもあるし、最大多数の最大幸福は目指せても、全ての国民を満足させる事など出来はしないから、何をどう決断しようとも、必ず悪くいわれるものとの覚悟が要ると言う意味だろう。
為政者というならば、政権与党の党首である日本国首相・麻生太郎氏もまた為政者であり、この言は適用できるだろう。まあ、ねじれ国会やら何やらで、必ずしも麻生首相の思い通りの国会運営=法律制定ではないとしても、悪く言われ様は君主に勝るとも劣るまい。
「ホテルで飲む酒代が高すぎる。(※1)」「漢字が読めない。(※2)」「カップ麺の値段を知らない。(※3)」等々、麻生首相就任以来の悪口は枚挙に暇がないが、今度は「親族の経営した会社で大戦中に戦時捕虜が働いていた事が厚生労働省の保管していた文書から明らかになった。」と言う報道。
成る程同じ「麻生」であるし、麻生首相のイメージダウン材料にはなりうるかも知れないが、民主党の藤田議員が「首相は捕虜の労働条件や死因について検証する責任がある」と息巻くのは、政治的脅迫材料、早い話が強請のネタにしようと言う魂胆だろう。
と言うのも、他に理由が考えられない。
まず第一に、この(やたらに保存も良ければタイミングも良い)厚生労働省の文書でようやく存在が明らかになった旧麻生鉱業の外国人捕虜労働者の「労働条件や死因」を一体どうやって検証しろと言うのか。未だ生存者が居たとしても、相当な高齢だろう。果たして反対尋問に耐えうる者が居るのか。死因に至っては記録がなければ六十年以上前の死体を分析して特定しなければならない。果たして、科学的に可能か。
仮にこれらの検証が可能だったとしよう。さらにその結果旧麻生鉱業での外国人捕虜の強制労働が明らかになり、死亡した二人(※4)が虐殺によって殺されたことが明白になった、と仮定しよう。
それが麻生太郎首相に一体何の影響を及ぼすというのだ?先述の通りイメージダウンの材料にはなろうが、それだけだろう。
麻生首相は昭和十五年の生まれだそうだから、終戦の年に五歳になった筈。まだ小学校(当時の言い方なら、尋常小学校か。)にも上がっていない。
成る程報道に依れば「麻生首相は外相時代から同社に外国人捕虜がいたことを一貫して否定」したそうだから、「外国人捕虜虐殺を隠蔽した。」と言う難癖は付けられそうだ。
が、捕虜虐殺を知っていて実際に証拠隠滅を図ったというなら兎も角、何も知らなければ身内のことだ。「推定無罪」を適用し、麻生首相のように主張するのが当たり前だろう。「外国人捕虜が居たかも知れません。」何て言う法がどうかしている。
結論。
麻生首相が五歳という幼さで外国人捕虜を虐殺したか、外国人捕虜虐殺を知っていながら証拠隠滅を図ったことが証明されない限り、仮に外国人捕虜虐待があったとしても、麻生首相自身には何の関係もない。
それを殊更あげつらい喧伝するのは、プロパガンダに他ならない。
<注釈>
(※1) 自腹で飲む限りいくら高い酒飲んでも文句を言われる筋合いは無かろう。第一、日本国首相がガード下の居酒屋でばかり飲んで居るようでは、日本国の体面にも関わると言うもの。
(※2) そりゃ誉められたことじゃなかろうが、難解漢字が読めることが首相の条件とは思えない。
(※3) 知っていれば「庶民の生活を知っている。」と言いたいのだろうが、「庶民派宰相」と言うのが一つの首相のありかたであることは認めるが、庶民派宰相が、果たして、今、必要な宰相像だろうか?
(※4) 日本中がボカボカ空爆やら艦砲射撃やら喰っていた時代に、三百人中二人の死者というのは、決して多い数とは思えないが。
為政者というならば、政権与党の党首である日本国首相・麻生太郎氏もまた為政者であり、この言は適用できるだろう。まあ、ねじれ国会やら何やらで、必ずしも麻生首相の思い通りの国会運営=法律制定ではないとしても、悪く言われ様は君主に勝るとも劣るまい。
「ホテルで飲む酒代が高すぎる。(※1)」「漢字が読めない。(※2)」「カップ麺の値段を知らない。(※3)」等々、麻生首相就任以来の悪口は枚挙に暇がないが、今度は「親族の経営した会社で大戦中に戦時捕虜が働いていた事が厚生労働省の保管していた文書から明らかになった。」と言う報道。
成る程同じ「麻生」であるし、麻生首相のイメージダウン材料にはなりうるかも知れないが、民主党の藤田議員が「首相は捕虜の労働条件や死因について検証する責任がある」と息巻くのは、政治的脅迫材料、早い話が強請のネタにしようと言う魂胆だろう。
と言うのも、他に理由が考えられない。
まず第一に、この(やたらに保存も良ければタイミングも良い)厚生労働省の文書でようやく存在が明らかになった旧麻生鉱業の外国人捕虜労働者の「労働条件や死因」を一体どうやって検証しろと言うのか。未だ生存者が居たとしても、相当な高齢だろう。果たして反対尋問に耐えうる者が居るのか。死因に至っては記録がなければ六十年以上前の死体を分析して特定しなければならない。果たして、科学的に可能か。
仮にこれらの検証が可能だったとしよう。さらにその結果旧麻生鉱業での外国人捕虜の強制労働が明らかになり、死亡した二人(※4)が虐殺によって殺されたことが明白になった、と仮定しよう。
それが麻生太郎首相に一体何の影響を及ぼすというのだ?先述の通りイメージダウンの材料にはなろうが、それだけだろう。
麻生首相は昭和十五年の生まれだそうだから、終戦の年に五歳になった筈。まだ小学校(当時の言い方なら、尋常小学校か。)にも上がっていない。
成る程報道に依れば「麻生首相は外相時代から同社に外国人捕虜がいたことを一貫して否定」したそうだから、「外国人捕虜虐殺を隠蔽した。」と言う難癖は付けられそうだ。
が、捕虜虐殺を知っていて実際に証拠隠滅を図ったというなら兎も角、何も知らなければ身内のことだ。「推定無罪」を適用し、麻生首相のように主張するのが当たり前だろう。「外国人捕虜が居たかも知れません。」何て言う法がどうかしている。
結論。
麻生首相が五歳という幼さで外国人捕虜を虐殺したか、外国人捕虜虐殺を知っていながら証拠隠滅を図ったことが証明されない限り、仮に外国人捕虜虐待があったとしても、麻生首相自身には何の関係もない。
それを殊更あげつらい喧伝するのは、プロパガンダに他ならない。
<注釈>
(※1) 自腹で飲む限りいくら高い酒飲んでも文句を言われる筋合いは無かろう。第一、日本国首相がガード下の居酒屋でばかり飲んで居るようでは、日本国の体面にも関わると言うもの。
(※2) そりゃ誉められたことじゃなかろうが、難解漢字が読めることが首相の条件とは思えない。
(※3) 知っていれば「庶民の生活を知っている。」と言いたいのだろうが、「庶民派宰相」と言うのが一つの首相のありかたであることは認めるが、庶民派宰相が、果たして、今、必要な宰相像だろうか?
(※4) 日本中がボカボカ空爆やら艦砲射撃やら喰っていた時代に、三百人中二人の死者というのは、決して多い数とは思えないが。