カメラとは何か、とその本質を問えば、「見たままの風景を一枚の絵に保存し提示する道具」と言うことになるだろう。
この定義に従えば、絵の具と絵筆とキャンパスも、広い意味の「カメラ」と言うことになるが、それは「撮る」のにひどく時間と、それ以上に技術が必要であるが。ああ、因みに私にはそんな技術はない。
逆に一般のカメラは、デジカメもフィルムカメラもふくめて「完全なカメラ」ではないことになる。デジカメはプリンタにつなげて印刷しなければならないし、昔懐かしフィルムカメラでは、DPE屋にフィルムを持ち込むか暗室にこもるなりして、現像やら焼き付けやらをしないと、「絵」にならない。
その意味で、最も理想的なカメラは今までポラロイドカメラだったのだが、カメラ本体はゴツイは、フィルムは高いわでさっぱり普及しなかった。
だが、新技術はその壁を越えた。
報じられているのは、トミーが発売したプリンタ内蔵のデジカメ。五〇〇万画素のデジカメで撮った画像が、その場でプリントアウトされて出てくる。感熱紙を使ったのがコンパクト化の味噌だろうか。大きさは、小型化著しいデジカメとしては少々大きいが、昔の一眼レフは二願レフに比べれば可愛いもの。かつてのポラロイドよりも遙かにコンパクトな、「完全なるカメラ」の実現である。
技術の御名を誉む可きかな。
「今日の不可能は、明日、可能となる。」ーC.H.ツィオルコフスキーー
この定義に従えば、絵の具と絵筆とキャンパスも、広い意味の「カメラ」と言うことになるが、それは「撮る」のにひどく時間と、それ以上に技術が必要であるが。ああ、因みに私にはそんな技術はない。
逆に一般のカメラは、デジカメもフィルムカメラもふくめて「完全なカメラ」ではないことになる。デジカメはプリンタにつなげて印刷しなければならないし、昔懐かしフィルムカメラでは、DPE屋にフィルムを持ち込むか暗室にこもるなりして、現像やら焼き付けやらをしないと、「絵」にならない。
その意味で、最も理想的なカメラは今までポラロイドカメラだったのだが、カメラ本体はゴツイは、フィルムは高いわでさっぱり普及しなかった。
だが、新技術はその壁を越えた。
報じられているのは、トミーが発売したプリンタ内蔵のデジカメ。五〇〇万画素のデジカメで撮った画像が、その場でプリントアウトされて出てくる。感熱紙を使ったのがコンパクト化の味噌だろうか。大きさは、小型化著しいデジカメとしては少々大きいが、昔の一眼レフは二願レフに比べれば可愛いもの。かつてのポラロイドよりも遙かにコンパクトな、「完全なるカメラ」の実現である。
技術の御名を誉む可きかな。
「今日の不可能は、明日、可能となる。」ーC.H.ツィオルコフスキーー