かつて、サダム・フセインがまだイラクに鎮座ましましていた頃、イラクは原子炉を手に入れた。原子炉を売ったのはフランス(※1)。フランスは核技術先進国であると同時に兵器の輸出にも相当熱心で、殊にイラクのような中小国相手に「性能は超一流ではないけれどそこそこで、お値段リーズナブル」な兵器を売り込むのに長けており、イラクにも相当に売り込んで、サダム・フセインとも「良好な関係」を築いていた。
 イラクは当時も今も「石油の上に浮いているような国」であり、地球温暖化だの二酸化炭素排出量規制だのが俎上に上る前の話。イラク=サダム・フセインが原子炉を欲したのは、地球温暖化問題を先取りした訳では勿論なく、そこで製造される核物質から造られる核兵器が目的だった。核兵器の標的は、アラブの宿敵イスラエル。これはユダヤ人にとって、看過すべからざる問題だ。
 イスラエルには当たり前だが「憲法9条」なんて制約はないから、ユダヤ人は直接的に最も効果的な方法、リスクはあるが確実と思える方法をとった。即ち、建設中のイラクの原子炉に空爆をしかけ、破壊し去ったのである。1981年と言うから湾岸戦争の10年前の話だ。

 さて、今我らは、ユダヤ人と似たような立場にある。北朝鮮の「核実験」とその「核兵器放棄プロセスの逆行」は、我々にとって看過すべからざる事態だ。

 当時のイスラエルと今の我々の間には、徴兵制とそれに伴う豊富な予備兵力の有無とか、核兵器の有無とか、先述の「憲法9条」の有無とか、数え上げれば色々差はあるだろう。
 が、ユダヤ人のとった方法に、学ぶべき事はありそうだ。
 
 イスラエル軍が、新兵訓練の最後に「マッサダは2度と落ちず。」と誓うように、我らもまた、「過ち(※2)は2度と繰り返さない」と、誓うべきであろう。


<注釈>
(※1)フランスが立派な武器輸出業者「死の商人」であることは、中国がそうである以上に知られていない。

(※2)ここでいう「過ち」とは、広島、長崎への核攻撃を阻止できなかった、過ちである。