星占いで人の運命なぞわかる訳がない。

 アイザック・アシモフと言う人が居た。既に故人だ。SF作家として有名なユダヤ系アメリカ人(※1)で、先頃DVD化された映画「アイ・ロボット(※2)」の原作者でもある他、生化学者としても実績があり、多くの科学エッセーを書いている。
 何しろ天性の文筆家で、考えるのと同じスピードでタイプを打てて、その考えるスピードがまた恐ろしく速いと来ている。おかげで生涯の著作数が500冊(※3)を超えると言う凄い人である。
 この人が占星術の浸透と不合理を糾弾した「夜の軍隊」と言うエッセーを読んだのも大分前だが、書かれたのは当然もっと古くて、1984年(※4)だと言う。
 アシモフ博士の糾弾から既に20年以上を経ているが、占星術は未だを隆盛を極めているのは諸兄ご承知の通り。朝の民放ニュース、新聞、週刊誌にも「今日の運勢」コーナーがあり、何とか座の人は今日はラッキーとかアンラッキーとかのたもうている。
 そんなもので人の運命がわかるものか、と言うのが今回の趣旨。
 アシモフ博士の名エッセーには及ばずとも・・・我もまた、「夜の軍隊」を迎撃せん。

<注釈>
(※1)と言うことは、その名は「イサーク」と読むのが正しいのかもしれない。
(※2)映画の方は、原作とは似ても似つかないアクション映画になっているようではある。
(※3)著述が500本、ではない。著作たる本が500冊である。享年72歳だから、そう長生きした訳ではない。まさに、バケモノだ。
(※4)私が読んだのは、早川NF文庫「未知のX」でだったから、さらに翻訳されて日本で出版されるまでにディレイがあった筈だ。


1 占星術なる占い

 私は占星術を信じていないし、それを「研究」した事もない事は最初に断っておこう。従って、以下の認識にひょっとしたら誤解があるかもしれない。誤解あれば改める用意はあるのでご教示願えれば幸甚である。
 さて占星術なる占いは、手相や人相、八卦等と違ってInput Dataが明白で数が少ないのが特徴である。手相や人相が難解な(時に門外不出の)判読法で手のひらの模様や顔のほくろやしわなどから占うのに対して、占星術に必要なInput Dataはたったの二つ。
 即ち、\蠅い梁仂櫃箸覆訖祐屬寮固月日と、∪蠅い梁仂櫃箸覆觧?釮任△襦
 このたった二つのInput Dataから、この時期は運が良いだの、悪いだの、ラッキーアイテムが何だの、ラッキーカラーが何色だのと種々のOutputを出してくれるのが星占いと言うことになっている。

 ここまで、私の認識に誤りはないだろうか。


2 惑星の運航は神秘にあらず

 さて、前述のInputとOutputの相関関係については何の理論もなければ、同じInputに対し違ったOutputを出した占星術師同士が建設的な議論を戦わせることもない、と言うのは、名エッセー「夜の軍隊」でアシモフ博士が指摘している通りである。 
 ここでは偉大なる先人アシモフ博士に敬意を表しつつ、別の視点で話を進めよう。
 前述の通り、星占いのInput Dataはたったの二つ、このうち「∪蠅い梁仂櫃箸覆觧?釗廚亘鑅叡にとっても等しいものである(※1)から、たとえば私とあなたの明日の運勢を分けるのは、もう片方のInput Data、即ちお互いの生年月日のみという事になる。
 逆に言うと、占星術が正しいとすると、生年月日が同じならば、全く同じ運勢になる筈だ。
 これは不条理だろう。
 同じ日同じ時に生まれた者よりも、同じ日同じ時に、さらには同じ原因(事故なり災害なり)で死んだ者の方が、遥かに運命を共有している。勿論、死は生きとし生ける者誰にとっても未来のことであるからこそ、「未来予測術」占いは商売になるのだが、同日に生まれた者が同日に死ぬ事が滅多にない以上、生年月日が運命を司るものとは見なしようがない。

 「InputとOutputの相関関係については何の理論もない」と先述したが、これに反発するむきもあるかもしれない。即ち天空を巡る惑星の神秘の動きが、人の運命にも影響しているとして。

 お気の毒だが、惑星の動き=運航に神秘の入り込む余地はない。

 惑星の運航は万有引力の法則と運動量保存則という高校の物理程度の単純な物理法則に則っており(※2)、その結果導出されるケプラーの3法則の内前二者、即ち(1)惑星の軌道は太陽を一方の極とする楕円軌道である。(2)惑星の楕円軌道を巡る速度の面積速度は一定である。 によってかなり精密(※3)に記述できる。太陽固定の座標系で地球を含む各惑星の動きを太陽-各惑星の二体問題として重ねあわせれば、地球上から見ると一見「神秘」に見える惑星の動きがいとも簡単に記述できてしまう。

 その惑星の「動き」に必要なのは、極単純な物理法則だけで、神秘も、神意も、入りようがない。

<注釈>

(※1)「明日の運勢を占う」時の「明日」は、誰にとっても「明日」である。当たり前だな。
(※2)これまた当たり前だな。
(※3)「何とか座の方向にカントカ星がある。」程度の占星術のInputには十分な精度で。

3 金儲けの手段としての占星術

 先述の通り、天体観測を通じて惑星の動きに極単純な法則性を見出したケプラーであるが、彼が天文学者であったと同時に職業的占星術師であった事は述べておかねば不公平だろう。
 これは「占星術の正しさ」を意味するのだろうか。
 私にはそうは思われない。
 それは、天文学よりも占星術の方が商売になる、金儲けになるという事しか意味しない。この点では科学の進歩著しい、21世紀の今日でも同様である。
 ましてや、「ケプラーの法則」が発見され、検証される以前の当時においてはなおさらだ。
 ケプラーは占星術を生計手段に選んだ。だからと言って「ケプラーの法則」を発見した知性を持つ彼が、その占星術を信じていたとは思われない。だがしかし、生計手段としては実しやかに、もっともらしく御託を並べなければならなかった筈のケプラー先生。その胸中やいかばかりだったろう。


4 情理とも、占星術に運命は委ねられない。

 さて先述とおり惑星の運航は、太陽を一方の極とする楕円軌道を面積速度一定で巡るものとして、太陽固定の座標系を重ね合わせることで記述できる。記述できるばかりではなくこれによって惑星の動きはむこう100年や1000年の単位では十分な精度を持って予想できる。
 超新星の爆発や新たな彗星の発見といった惑星以外の宇宙的イベントは予想できないが、それ以外の地上から見た星の様子は十分な精度を以て予想できるばかりか、変わりようがない。
 もし、占星術の言うように、地上から見た星の動きが人の運命をつかさどるものであるならば、その運命は、髪を切ろうが、名前を変えようが、鶏や異教徒や処女を生贄に奉げようが、全く変わらないし変えようがないと言う事になる。
 即ち、カルヴァンの予定説よろしく、人の運命はすでに定まっていて全く変更の余地がない事になる。
 これは私としては、少なからず面白くない。
 運命というもの、あるいは運/不運というものがあったとしても、これを変えようと努力し、変えられるこそ人であろう、と私には思われる。
 無論、これは情である。理屈ではない。
 理屈では先述の通り、天空の星の動きに神秘神意が反映される余地はない。
 
 故に、人の運命は、占星術などというものによって判明しないし、されるべきでもない。

 とは言っても、明日からいきなり「今日の運勢・星占いのコーナー」が無くなる事はないのも承知している。
 「愚劣なる大衆」などとは言うまい。
 蒙を啓き、大衆を導くのも、民主主義には不可欠な過程であろうから。