日本国の首相は靖国神社に公式参拝すべきである
毎年、8月15日の終戦記念日が近づくと、何かと世上は騒がしくなる。年に一度、死者たちの御霊がこの世に帰ってくるとされるお盆と重なる事もあってか、この日に靖国神社に参拝するかしないか、参拝したらしたで「公式参拝か私的な参拝か」を政治家、特に首相と閣僚に問い詰めるのが一種の年中行事化して久しい。
今年はどんな具合であろうとネットを検索してみる(※1)と、今の閣僚のうち、靖国参拝を明言しているのは保岡法相のみだという。流石はチンパン福田内閣。腰の抜けたのが揃っているようだ。
産経新聞記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000926-san-pol
毎年故郷に里帰りする(※2)ご先祖様や死者たち、なかんずく靖国神社に祀られている英霊たちは、こうした光景を毎年見せられていることになる。彼らの心中、いかばかりであろうか。
<注釈>
(※1)便利な世の中になったもんだな。見落とした記事もニュースも、検索で引っ掛かってくる。検閲されていなければ、だが。
(※2)と言われる。実際に見たことはない。迎え火・送り火ぐらいは焚くが。
1 靖国神社とは
そもそも、何かと中国や韓国からのイチャモンの種にされている靖国神社とは何であろうか。
「英霊=戦死者の魂を祀るための国家機関であり、米国のアーリントン墓地や無名戦士の墓に相当する。」と言うのが最大公約数的回答だろう。(※1)これでおおよそ間違いではないが、靖国神社の説明(※2)によると「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」との事で、その慰霊の対象は「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の御霊」との事。これにより、敵弾に当たって戦死した英霊=軍人ばかりでなく、戦場に散った従軍看護婦などの軍属や、軍需工場に動員された工員、シベリア抑留などで獄死した軍人及び民間人、さらには「戦犯」として処刑された方々も含めて246万6千余柱の神霊を祀っているという。
従って、「戦犯は戦死ではなく刑死であるから靖国神社にはふさわしくない。」とする説は、靖国神社の趣旨を理解しない暴論である。
そもそも極東裁判などにおける「戦犯」そのものが、事後法による正真正銘掛け値なしの不当判決なのであるが、靖国神社はその判断には触れず、何にせよ「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々」なのだから慰霊するという。
美事なコンセプトである。日本国としては、かくあらねばならない。
仄聞するところによると、靖国神社は明治2年に設立された東京招魂社を前身とし、戊辰戦争、西南の役から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦没者らを祀っているという。
しかしながら、日本を守るという公務に起因して死亡する、或いは死亡する恐れのある者は、今靖国神社に祀られている者で最後とは限らない。日本が再び戦争に巻き込まれることだってありうるし、そうなれば戦死零と言うまず事はないだろう。
言い換えるならば、日本国が存続し続けるためには、靖国に祀られている神霊に続く人たち、祖国を守るという公務に身命を賭する人たちが必要なのである。
日本国としては、そうした人たちを蔑ろにすべきではない。従って日本国の一機関としての靖国神社の上記コンセプトは、美事であり、正しいのである。
<注釈>
(※1)立場によって、いろいろ表現はあるだろうけれど。
(※2)こういう1次資料が簡単に手に入るんだから、ネットとは便利なものだ。
2 首相とは
さて、今度は「公式参拝」と言うと何かと槍玉に上がる首相、総理大臣について考えてみよう。
言うまでもなく、首相は日本国3権分立の一つの柱である内閣の長であり、行政の最高責任者である。
と同時に、忘れられがちなのだが、日本国首相は陸海空3自衛隊の最高司令官なのである。防衛出動を命じることができるのも首相のみ。米国でいえば大統領、戦前の日本でいえば天皇にあたる権限を有している。
周知の通り日本の首相は国会議員として日本国民を代表している。だから、日本国の国防上の最高責任者であるのは当然なのである。なのであるが…陸幕長、海幕長、空幕長、3自衛隊を束ねる各幕僚長の上に統合幕僚議長(当時)がおり、その制服組のさらに上位に防衛庁長官(当時)がおり、最高位に日本国首相がいると、初めて如実に知らされた時には、目眩すら覚えたものである。
それは兎も角、首相は最高指揮官であり、防衛出動を命じる、即ち開戦を決定できるのである。防衛予算を承認するばかりが首相の軍事的仕事ではなく、自衛隊3軍の防衛体制を整え、士気と練度を高く保ち、有事に備える責任も(当然のことであるが)有するのである。
彼は、最高指揮官なのだ。
3 首相の靖国公式参拝をめぐる論議
日本国の首相は日本の最高権力者であるからか、その靖国神社参拝、なかんずく公式参拝となると眼の色変えて抗議してくるのが中国、韓国である。近年の歴代の首相は、この抗議に対し、ほとんど全面降伏に近く、唯々諾々と抗議に従って来た。小泉首相、安陪首相のころにはいくらか骨のあるところを見せたのだが、福田首相になって「隣人の嫌がることはしない」等とうそぶき、首相どころか閣僚まで壊滅状態である。
中国、韓国が言うには、「A級戦犯が祀られている神社に首相が参拝するとはけしからん。」という理屈らしい。死者に鞭打ち、子子孫孫まで鞭打ち続ける事を以てよしとする国らしい理屈だが、これに追従して靖国神社の方を何とかしようと言う動きもある。
一つは「A級戦犯分祀」論である。靖国神社に祀られている神霊のうち、A級戦犯だけ別にして、第2靖国神社を作ろうというもの。A級戦犯抜きの靖国神社なら、首相が参拝しても、中国、韓国から抗議は来ない,と言う事だろう。「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の御霊を分け隔てなく慰霊する」と言う靖国神社の趣旨を政治的に曲げて、A級戦犯を差別しようという動きである。
日本には、「死んでしまえば仏様」という考え方がある。死ぬことすら「仏になる」と表現する。生前如何に悪人であろうとも、その死後、葬式なり墓前なりに線香の一本も立ててやる事を以て礼儀とする国柄である。
ましてや、「A級」戦犯がA級とされる所以は、首相なり大将なりの高い地位で大東亜戦争(太平洋戦争)を指導した、言い換えれば高い地位で国家に貢献した事による。国家に大きく貢献したが故にA級戦犯とされ、絞首刑になった上に、今度は靖国神社からも追い出されるとあっては、A級戦犯の神霊も浮かばれまい。
もう一つには、「無宗教の追悼施設」論がある。宗教に関係ない新たな施設を作り、ここに首相が参拝するのなら、中国も韓国も文句は言うまい、ということのようだが…私にはこの論理がさっぱりわからない。
「無宗教」で「追悼」というのがまず言語矛盾に思われる。追悼というのは、今は亡き死者を生者のごとく思い、扱いその死を悼む事であろう。その前提には魂なり、精霊なりを認める、何らかの宗教が不可欠である。無宗教では死者は死者。生者扱いできない。
次に、この施設であれば中国や韓国の抗議は避けられると言う理屈がわからない。なるほどこの施設ならば、A級戦犯を「祀っている」わけでは無いが、「追悼のために参拝する」ことに変わりはない。死者に鞭打つことを以てよしとする中国や韓国が、これで納得して矛を収めるという道理は、ないように思うがいかが。
最後に、この施設は「仏作って魂入れず」の典型に思えて仕方がない。戦後63年もたってから新たな、それも無宗教の「靖国神社」を作ったところで、お盆に戻ってくる死者たちには解らないだろう。魂の入りようがない。
日本政府はまず第一に上述の文化の違いを説明すべきである。文化の違いであり、一種の宗教の違いであるから、中国や韓国の合意や納得は、彼らが「宗教の違い」を容認しない限り得られないのが当たり前である。が、日本政府が日本の文化に従うのもこれまた当たり前。従って両者は本件に関し、平行線なのが当たり前で、それで別に不都合はない。
ましてや、靖国神社参拝を「外交カード」とし、揺すりのネタにしているのならば、「納得」してしまったら揺すりのネタに使えなくなるのだから、「納得」なんてする筈がない。
日本に出来るのは、彼らを「納得」させる事ではなく、揺すられても金を出さず、揺すりのネタに使えなくする事、だけである。
4 首相は、靖国に公式参拝してこそ首相である。
先述の通り、日本国首相は陸海空3自衛隊の最高指揮官であり、三軍の士気を高く保つ責任がある。その責任ある首相が、戦死者らの魂を弔う靖国神社に参拝しないという事は、戦死者らの魂を蔑ろにするばかりではない。自衛隊をはじめとして、これから戦死するかもしれない者達の士気を損なうものである。
「誰も国のために死ぬようなことがない」というのは一つの理想状態かもしれないが、「誰も国のために死ぬ気がない」と言う状態は、亡国への道である。そんな状態の国は、長くはもたない。
陸海空三自衛隊の最高司令官たる日本国首相が、外国に阿って戦死者に敬意を表しないという状態は、この亡国への第一歩に他ならない。福田現政権は、この亡国の入り口に立っている。
従って、日本国の存続を預かる日本国首相たるものは、靖国神社に公式参拝すべきである。
今年、福田政権の下では絶望的であるが…
来年こそは靖国神社で。
「解放された」靖国神社で。
補足
H20/8/17報道から。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080817/plc0808171855002-n1.htm
>「A級戦犯合祀は納得いかない」 古賀・自民選対委員長
>2008.8.17 18:53
>
>このニュースのトピックス:自民党
> 自民党の古賀誠選対委員長(日本遺族会会長)は17日、テレビ朝日の番組に出演し、靖国神社のA>級戦犯合祀(ごうし)について「戦没者ではない人を英霊としてお祭りしているのはどうなのか。遺族>に相談もなく合祀されたいきさつは納得がいかない。わだかまりはそこから出てきた」と強い不快感を>示した。
>
> その上で「天皇陛下を含め国民がわだかまりなくお参りできる環境を整備したい。われわれ遺児が解>決方法を議論し、国民のコンセンサスを得る努力が必要だ」と述べ、A級戦犯分祀(ぶんし)にあらた>めて意欲を示した。
靖国神社の明快なコンセプトに対し、何と姑息でおためごかしの態度であることか。
毎年、8月15日の終戦記念日が近づくと、何かと世上は騒がしくなる。年に一度、死者たちの御霊がこの世に帰ってくるとされるお盆と重なる事もあってか、この日に靖国神社に参拝するかしないか、参拝したらしたで「公式参拝か私的な参拝か」を政治家、特に首相と閣僚に問い詰めるのが一種の年中行事化して久しい。
今年はどんな具合であろうとネットを検索してみる(※1)と、今の閣僚のうち、靖国参拝を明言しているのは保岡法相のみだという。流石はチンパン福田内閣。腰の抜けたのが揃っているようだ。
産経新聞記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080805-00000926-san-pol
毎年故郷に里帰りする(※2)ご先祖様や死者たち、なかんずく靖国神社に祀られている英霊たちは、こうした光景を毎年見せられていることになる。彼らの心中、いかばかりであろうか。
<注釈>
(※1)便利な世の中になったもんだな。見落とした記事もニュースも、検索で引っ掛かってくる。検閲されていなければ、だが。
(※2)と言われる。実際に見たことはない。迎え火・送り火ぐらいは焚くが。
1 靖国神社とは
そもそも、何かと中国や韓国からのイチャモンの種にされている靖国神社とは何であろうか。
「英霊=戦死者の魂を祀るための国家機関であり、米国のアーリントン墓地や無名戦士の墓に相当する。」と言うのが最大公約数的回答だろう。(※1)これでおおよそ間違いではないが、靖国神社の説明(※2)によると「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」との事で、その慰霊の対象は「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の御霊」との事。これにより、敵弾に当たって戦死した英霊=軍人ばかりでなく、戦場に散った従軍看護婦などの軍属や、軍需工場に動員された工員、シベリア抑留などで獄死した軍人及び民間人、さらには「戦犯」として処刑された方々も含めて246万6千余柱の神霊を祀っているという。
従って、「戦犯は戦死ではなく刑死であるから靖国神社にはふさわしくない。」とする説は、靖国神社の趣旨を理解しない暴論である。
そもそも極東裁判などにおける「戦犯」そのものが、事後法による正真正銘掛け値なしの不当判決なのであるが、靖国神社はその判断には触れず、何にせよ「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々」なのだから慰霊するという。
美事なコンセプトである。日本国としては、かくあらねばならない。
仄聞するところによると、靖国神社は明治2年に設立された東京招魂社を前身とし、戊辰戦争、西南の役から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦没者らを祀っているという。
しかしながら、日本を守るという公務に起因して死亡する、或いは死亡する恐れのある者は、今靖国神社に祀られている者で最後とは限らない。日本が再び戦争に巻き込まれることだってありうるし、そうなれば戦死零と言うまず事はないだろう。
言い換えるならば、日本国が存続し続けるためには、靖国に祀られている神霊に続く人たち、祖国を守るという公務に身命を賭する人たちが必要なのである。
日本国としては、そうした人たちを蔑ろにすべきではない。従って日本国の一機関としての靖国神社の上記コンセプトは、美事であり、正しいのである。
<注釈>
(※1)立場によって、いろいろ表現はあるだろうけれど。
(※2)こういう1次資料が簡単に手に入るんだから、ネットとは便利なものだ。
2 首相とは
さて、今度は「公式参拝」と言うと何かと槍玉に上がる首相、総理大臣について考えてみよう。
言うまでもなく、首相は日本国3権分立の一つの柱である内閣の長であり、行政の最高責任者である。
と同時に、忘れられがちなのだが、日本国首相は陸海空3自衛隊の最高司令官なのである。防衛出動を命じることができるのも首相のみ。米国でいえば大統領、戦前の日本でいえば天皇にあたる権限を有している。
周知の通り日本の首相は国会議員として日本国民を代表している。だから、日本国の国防上の最高責任者であるのは当然なのである。なのであるが…陸幕長、海幕長、空幕長、3自衛隊を束ねる各幕僚長の上に統合幕僚議長(当時)がおり、その制服組のさらに上位に防衛庁長官(当時)がおり、最高位に日本国首相がいると、初めて如実に知らされた時には、目眩すら覚えたものである。
それは兎も角、首相は最高指揮官であり、防衛出動を命じる、即ち開戦を決定できるのである。防衛予算を承認するばかりが首相の軍事的仕事ではなく、自衛隊3軍の防衛体制を整え、士気と練度を高く保ち、有事に備える責任も(当然のことであるが)有するのである。
彼は、最高指揮官なのだ。
3 首相の靖国公式参拝をめぐる論議
日本国の首相は日本の最高権力者であるからか、その靖国神社参拝、なかんずく公式参拝となると眼の色変えて抗議してくるのが中国、韓国である。近年の歴代の首相は、この抗議に対し、ほとんど全面降伏に近く、唯々諾々と抗議に従って来た。小泉首相、安陪首相のころにはいくらか骨のあるところを見せたのだが、福田首相になって「隣人の嫌がることはしない」等とうそぶき、首相どころか閣僚まで壊滅状態である。
中国、韓国が言うには、「A級戦犯が祀られている神社に首相が参拝するとはけしからん。」という理屈らしい。死者に鞭打ち、子子孫孫まで鞭打ち続ける事を以てよしとする国らしい理屈だが、これに追従して靖国神社の方を何とかしようと言う動きもある。
一つは「A級戦犯分祀」論である。靖国神社に祀られている神霊のうち、A級戦犯だけ別にして、第2靖国神社を作ろうというもの。A級戦犯抜きの靖国神社なら、首相が参拝しても、中国、韓国から抗議は来ない,と言う事だろう。「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の御霊を分け隔てなく慰霊する」と言う靖国神社の趣旨を政治的に曲げて、A級戦犯を差別しようという動きである。
日本には、「死んでしまえば仏様」という考え方がある。死ぬことすら「仏になる」と表現する。生前如何に悪人であろうとも、その死後、葬式なり墓前なりに線香の一本も立ててやる事を以て礼儀とする国柄である。
ましてや、「A級」戦犯がA級とされる所以は、首相なり大将なりの高い地位で大東亜戦争(太平洋戦争)を指導した、言い換えれば高い地位で国家に貢献した事による。国家に大きく貢献したが故にA級戦犯とされ、絞首刑になった上に、今度は靖国神社からも追い出されるとあっては、A級戦犯の神霊も浮かばれまい。
もう一つには、「無宗教の追悼施設」論がある。宗教に関係ない新たな施設を作り、ここに首相が参拝するのなら、中国も韓国も文句は言うまい、ということのようだが…私にはこの論理がさっぱりわからない。
「無宗教」で「追悼」というのがまず言語矛盾に思われる。追悼というのは、今は亡き死者を生者のごとく思い、扱いその死を悼む事であろう。その前提には魂なり、精霊なりを認める、何らかの宗教が不可欠である。無宗教では死者は死者。生者扱いできない。
次に、この施設であれば中国や韓国の抗議は避けられると言う理屈がわからない。なるほどこの施設ならば、A級戦犯を「祀っている」わけでは無いが、「追悼のために参拝する」ことに変わりはない。死者に鞭打つことを以てよしとする中国や韓国が、これで納得して矛を収めるという道理は、ないように思うがいかが。
最後に、この施設は「仏作って魂入れず」の典型に思えて仕方がない。戦後63年もたってから新たな、それも無宗教の「靖国神社」を作ったところで、お盆に戻ってくる死者たちには解らないだろう。魂の入りようがない。
日本政府はまず第一に上述の文化の違いを説明すべきである。文化の違いであり、一種の宗教の違いであるから、中国や韓国の合意や納得は、彼らが「宗教の違い」を容認しない限り得られないのが当たり前である。が、日本政府が日本の文化に従うのもこれまた当たり前。従って両者は本件に関し、平行線なのが当たり前で、それで別に不都合はない。
ましてや、靖国神社参拝を「外交カード」とし、揺すりのネタにしているのならば、「納得」してしまったら揺すりのネタに使えなくなるのだから、「納得」なんてする筈がない。
日本に出来るのは、彼らを「納得」させる事ではなく、揺すられても金を出さず、揺すりのネタに使えなくする事、だけである。
4 首相は、靖国に公式参拝してこそ首相である。
先述の通り、日本国首相は陸海空3自衛隊の最高指揮官であり、三軍の士気を高く保つ責任がある。その責任ある首相が、戦死者らの魂を弔う靖国神社に参拝しないという事は、戦死者らの魂を蔑ろにするばかりではない。自衛隊をはじめとして、これから戦死するかもしれない者達の士気を損なうものである。
「誰も国のために死ぬようなことがない」というのは一つの理想状態かもしれないが、「誰も国のために死ぬ気がない」と言う状態は、亡国への道である。そんな状態の国は、長くはもたない。
陸海空三自衛隊の最高司令官たる日本国首相が、外国に阿って戦死者に敬意を表しないという状態は、この亡国への第一歩に他ならない。福田現政権は、この亡国の入り口に立っている。
従って、日本国の存続を預かる日本国首相たるものは、靖国神社に公式参拝すべきである。
今年、福田政権の下では絶望的であるが…
来年こそは靖国神社で。
「解放された」靖国神社で。
補足
H20/8/17報道から。http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080817/plc0808171855002-n1.htm
>「A級戦犯合祀は納得いかない」 古賀・自民選対委員長
>2008.8.17 18:53
>
>このニュースのトピックス:自民党
> 自民党の古賀誠選対委員長(日本遺族会会長)は17日、テレビ朝日の番組に出演し、靖国神社のA>級戦犯合祀(ごうし)について「戦没者ではない人を英霊としてお祭りしているのはどうなのか。遺族>に相談もなく合祀されたいきさつは納得がいかない。わだかまりはそこから出てきた」と強い不快感を>示した。
>
> その上で「天皇陛下を含め国民がわだかまりなくお参りできる環境を整備したい。われわれ遺児が解>決方法を議論し、国民のコンセンサスを得る努力が必要だ」と述べ、A級戦犯分祀(ぶんし)にあらた>めて意欲を示した。
靖国神社の明快なコンセプトに対し、何と姑息でおためごかしの態度であることか。