1. 「過ち」は誰のものか?

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

 今年もまた8月6日がやってきました。今年もまた、あの日のように暑いという予報です。人類初の核攻撃が実施された、昭和20年8月6日のように。(※1)
 日本では「原爆忌」とも呼ばれるこの日、例年通り原爆ドームや甲子園では黙祷が奉げられ、原爆犠牲者の霊に心やすかれと祈るだろう。上記の碑文にもあるとおり。

 しかしながら、その碑文の後半にある「過ち」とは、はて何ぞや。一体誰の犯した過ちか。
 実は以下にもある通り、昔から議論の的になっていたそうだ。
 
 私がこの碑文を初めて知った時は、確か小学生のころだと思ったが、素直に「日本がアメリカと戦争を始めてしまった、日本人の過ち」と解釈したか、解説されて納得したかした。

 ところが長じて知恵が付いてくると、この解釈には納得いかなくなる。
 なにしろ原爆を運んだボーイングB-29爆撃機の初飛行も、運ばれた原爆の開発開始も、太平洋戦争開始以降であり、特に原爆はアメリカ国家あげての突貫工事で完成させたうえ、B-29が機銃を全部はずして軽量化しないと積めないようなギリギリのシロモノ。
 因みにB-29は第2次大戦の最良戦略爆撃機としてまず異論は無さそうな傑作機である。その傑作機にかような無理をさせなければ積めないような原爆を、アメリカが完成させ、使用するであろうと、開戦前の日本人の誰かに責任を持って予想させようというのは虫が良すぎる。
 言い換えれば、日米開戦の日本の責任者と言う者がいるとしても、その人に広島核攻撃の責任を取らせるのは無理だ。それは、その人の「過ち」とはとても言えない。
 
 となると、一体誰の過ちか。
 半ば皮肉もないではないが、これは「防空の失敗」だろうと言うのが、ひねくれ者の私の出した結論だった。
 即ち、真っ昼間、単機、武装の機銃もはずして侵入してきた、たった1機のB-29を、撃墜できなかった「過ち」である。

 当時のB-29の特に昼間爆撃は、高度1万メートルで行われており、我が軍にとっては対空砲も、防空戦闘機も容易なことでは手の届かない(※2)存在だった。かてて加えて昭和20年8月と言えば、燃料も相当心細くなっているし、真昼間に単機で侵入してくれば、「偵察だろう」と見逃さざるを得ない事情もあったろうが…防空の失敗は失敗であり、過ちである事は間違いない。厳しいようだが、防空の責任とは、そういうものだろう。
 
 「日米開戦してしまった過ち」なんてのより、よっぽど直接的な「過ち」である。

自由主義史観公式HP
http://www.jiyuu-shikan.org/tokushu3_ayamachi.html

<注釈>
(※1)当時を知っている訳じゃありませんが。私はそこまで年寄りでも、長命種でもない。
(※2)日本で一番B-29を撃墜したとされる樫出勇氏は、終戦の際「私の生涯でB-29撃墜以上の難事は他にないだろう。」と感じたという。
 B-29を26機も撃墜したという大エースにしてこの感想である。

2. パール判事の突っ込みと広島市の補足説明

 極東軍事裁判で日本無罪論を唱えたパール判事はやはりこの碑文に疑問を持ち、次のように述べたそうです。
「この‘過ちは繰返さぬ’という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして‘二度と再びこの過ちは犯さぬ’というならうなずける。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」

 これはこれで充分頷ける理論ですが、となるとこの碑文は変えるなり、補足説明するなりしないといけない。
 実際そんな動きもあったようですが、今は(恥ずかしながら、私は知らなかった)この「過ち」の主語は全人類であるとする補足説明と英文説明(下記参照)が広島市により追加されているそうです。

 つまり、太平洋戦争とか、広島核攻撃とか小さな話ではなく「過ち」は戦争そのものであり、犠牲者は戦争の犠牲者であると言う解釈でしょう。
 
 なんだか、最大公約数(いや、最小公倍数か)とって誤魔化されたような気がするのは、私だけでしょうかね。

**碑文の英語説明版:The epitaph reads, "Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil." It summons people everywhere to pray for the repose of the souls of the deceased A-bomb victims and to join tn the pledge never to repeat the evil of war. It thus expresses the "Heart of Hiroshima" which, enduring past grief and overcoming hatred, yearns for the realization of true world peace with the coexistence and prosperity of all humankind.


3. 戦略爆撃と核兵器

 ここで立ち止まって、8/6広島、8/9長崎の2度にわたる原爆投下の歴史的意義を冷静に(※1)考察してみよう。
 一つには、戦略爆撃思想の一つの頂点を示した、ということでしょう。即ち「軍人よりも民間人、軍事基地より工場・住宅地、前線よりも銃後(※2)を爆撃したほうが、手っ取り早く、楽に勝てる。」とする戦略爆撃構想が、百機単位の大編隊ではなくたった1機で実施できるということが実証された事。
 これにより、戦略空軍、戦略爆撃機は、冷戦時代の核戦力の一つとして確固たる地位を得ることになります。尤も、英国はのちに核戦力をSLBM(潜水艦発射弾道弾)のみに絞ってしまいますが。

 もう一つには、核兵器と言う存在を、痛烈に印象付けた事。これは特に、後に冷戦の相手となるソ連に対して、でしょう。たった1発の核爆弾が、一つの都市の市民数万人を虐殺しうることが実証されたのですから。

 死者の数で言うならば、昼夜兼行1000機爆撃とか、Fire Storm戦術(※3)なんてものまで実施した欧州対ドイツ爆撃も相当なもので、ドレスデンでは2日間の爆撃で死者10万人を超えたという説さえある。もちろんドレスデンで使われたのは、通常爆弾、焼夷弾である。

 つまり、核兵器の凄まじさは、数百機の編隊でなければなせなかった大被害を、たった1機で実現してしまう事にある。
 
 防空に責を負う者にとっては、頭の痛い限りだろう。

<注釈>
(※1)時節柄困難な時期ですが、敢えて。
(※2)ほとんど死語だな。
(※3)都市に巨大な火災を起こさせることで、人工的な上昇気流を生じさせ、火災をさらに大きくさせる戦術。消防隊が役に立たないどころか、樹木がこの上昇気流で巻き上げられ上空数千mに達したという。


4. 「私の名は、エアハルト・フォン・ラインダース。悪魔に魂を、売らなかった男だ。」

 以上のように考えてくると、8/6広島・8/9長崎というのは、冷戦への入り口であったように思われる。
 米ソ両国が、膨大な核兵器を所蔵しつつ睨みあい、代理戦争の小競り合いはあるものの、大規模な軍事衝突は極力避ける「恐怖の均衡」の時代。

 その恐怖は、広島・長崎両市民の犠牲によって成り立っていたと言ったら、言い過ぎだろうか。

 「冷戦も戦争であるから、碑文の広島市公式見解にある「全人類の過ち」に相当する。」と主張することもできそうだが、そうだとすると人類は太平洋戦争後も一貫して過ちっぱなしと言う事になる。
 それでは原爆犠牲者も浮かばれまい。

 原爆犠牲者によって「実証」された核兵器の「恐怖」が、「恐怖の均衡」による冷戦状態を、熱戦とさせない一助となったと考えては、どうだろうか。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」