11/6  1:56母が黄泉へ旅立ちました。

92歳 とても安らかなお顔でした。

夕方施設より、急にご飯を食べれなくなり、血圧が下がり、上が51 下48で危ない状態であると連絡を受けていました。

なんとなく、イヤな予感がありました。

前日まで、旦那の実家にいて、施設に入りたい父と家に居たい母とどうするのかと話ていました。

母が特養に入ったりしたら、私達夫婦がそちらに母と一緒に住むという話をしたばかりでした。

家に戻って、待っていたかのようなタインミグでした。

そしてその夜、息を引き取りました。


活発でみんなを率いてよく旅行に行っていた母は、帰らぬ天国への旅に出てしまいました。


あまりできの良い娘では、ありませんでした。心配ばかりかけて、申し訳ない気持ちでいっぱいです。母がまだ歩けて居た時に、『秩父の巡礼が途中だから、終わられせて死にたい』と言っていましたが、コロナもあり施設から出る事なく亡くなってしまいました。

一緒に行こうと約束していたのに…。

元気だったので、車で連れて行こうかと言ったら、秩父まで、西武線で言って歩くんだよって、怒られました。

90近くになっても、山登りに行ったりしていた元気な母らしい言葉でした。

最後の方、考え方の違いでケンカも多かったけど、人のあまり知られてない隠れた名所へ色々な所へ家族旅行へ連れて行ってくれた母は、色んな事を知っている自慢の母でした。

病気で会社を辞めたり、心配かけてしまいましたが、今の自分の天職と思える仕事を見つける事ができたのも、母のおかげだと思っています。


私は、母の秩父の御朱印帳を引き継ぐ事にしました。 ちゃんと回って、終わらせてあげたい。 坂東もまだ中途ですが、がんばりたいと思います。


他の母の御朱印帳は、母と一緒に棺の中へ。

家族旅行で行った出羽三山の御朱印を見開き胸の辺りへ。


腎臓の結石をもっと早く発見できてたら…。

もっと元気だったかな?


こんなに綺麗なご遺体は、初めてと人に言われるくらい美しく死に化粧をして頂きました。 

ちゃんと化粧すればとっても美人だったんだと娘の私からみても綺麗でした。

天国で、父は母に惚れ直している事間違い無しです。


お母さんありがとう。

感謝でいっぱいです。


納骨の際に係りの方が骨の説明をしてくれて、喉仏は、後ろからみると仏様がすわった姿に見えると教えて頂きました。


まだやる事がいっぱいで、ちゃんと泣けていません。泣けた時に、どっと疲れがでそうで怖くわありますが、今日も元気に役所に手続きに行ってきます。