AUTOMOBILE COUNCIL 2018
忘れられない NISSANヘリテージコレクション

『 60 years performance 』 海外に於ける日産のモータースポーツも60周年。
ジュネーブ・ショーで話題の Formula E” から 箱スカなど往年の名車も揃えた会場。
なかでも 存在感あるオリジンモデルとして輝くのは、DATSUN 1000 セダン
ダットサン 1000セダン 富士号 (1958年)210型
日産自動車が 国際競技へ初挑戦に踏み切る!!
舞台は、1958年 モービルガス・トライアル (オーストラリア大陸 一周ラリー)

20世紀の昭和33年 8 月~ 9月という開催時期、1000セダンは初の海外遠征に挑戦。
その耐久性を世界に示すべく 『富士号』と『桜号』という2台がエントリー。
この頃には、好評の1000セダンに日産はOHV動弁機構も採用したモデルを生産。
113型の後継機種に新開発 C型” エンジンを搭載、スペックは、988cc直列4気筒 34ps
世界進出を目論む意欲で溢れた日本の自動車メーカーが胎動する時期のど真ん中に誕生。
それまで平面的なデザインから フロントウインドウも曲面あるグラスを選ぶなど・・
高速走行での空力を考慮したのは、海外のフィールドに輸出したいという飛躍の意志。
タフ でなければ!
まず 耐久性の証明こそがエンジニア達の夢である世界へのキップを手にすること。
小さなボディーに大きな希望が載せられている 210型とチームが海を渡りました。
日本人の魂 富士号の疾走!!

ラリーの 19日間を完走、延べ 1万6000km の過酷な距離でした。
Aクラス 1000cc 以下クラスのエンジン搭載車として優勝の快挙を飾っています。
総合成績で 34台の完走車中 初陣で25位という堂々とした結果で世界に報じられます。
再生する自動車工業界
当時のクルマ事情で完走は奇蹟の連続、もちろん足回りは鉄チンですから。
サスは縦置きリーフリジット 前後ドラムブレーキ 5,00-15- 4PR バイアスタイヤ。
カワイイだけじゃない 東洋のリトルスターが誕生した瞬間があった。
その傷跡も名誉の負傷・・ ただのオールドタイマーじゃないから。
DATSUN 1000 を駆る侍 日本人ドライバーとナビゲーターの名も刻む。
(難波靖治/ 奥山一明/ G・ウィルキンソン組)
赤い日産は手強いゼ
20世紀に世界を制した 偉大なランナーの記した足跡。
その胸に眠る想い出よりも激しい感情” が ・・ あるだろうか。
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(街のオフィシャル)
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