2000年後の君へ…
初夏の風渡る 金沢城址… その強固な石垣はメガ・クォークにすら揺らがない。
我らの背中に自由の翼”を表すエンブレム。 今回は、謎の深まる壁外調査に出発!。
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城と兼六園に限らず 金沢の至るところで妖炎の如く 躑躅の花が咲き誇っています。
なんて 綺麗に咲いているんでしょう。
畔には…旧県庁舎跡地 しいのき迎賓館 もあります。
お城の南西側まで来ると 水を湛えた堀がございまして、これが『 いもり堀 』 と呼ばれます。
藩政時代も終焉した明治の40年(1907年) 旧陸軍が削平にて埋め立てした場所。
そうした軍用地を経て、戦後にはモダンなスポーツ場になりテニスコートとされたのです。
近年、石川県の埋蔵文化財調査と研究が進み エリア一帯の復元工事が始まり。
江戸時代…堀の最大幅では40メートル、水深も10メートルはある 防衛ライン。
南東端に位置するのが 鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)の石垣となります。
道路側から 鯉喉櫓台 は昇れます。 右手に城址、広がる左方の市街地の景観。
時折、この堀で…翡翠(かわせみ)のカップルがダイブしている姿も目撃されます。
この方向、南西側の奥に 玉泉院丸庭園” があるのです。 同じ個体が飛来かな。
それは多分?この子たちでしょう。
透明な水中に…小さな魚影も見えましたよ。
明治時代、旧幕府勢力の拠点として各地の大名の城は閉鎖されました。
歴史遺産となる高い価値の遺構は時空の彼方からサルベージされたという訳です。
いつまでも美しい水面に青空が映るように 私たちも清々しい心で暮らしたいです。
2000年後もマチュピチュやアンコールワットのように残っていますように。
こちらの~進撃しちゃう 壁外調査兵団さん”も毎週放送中。
戦いのない日々 この街で癒されてくださいな…
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