金沢に来たら~お城を知ろう。
いつも金沢市内を走る周遊バス。 こんなネオレトロな車体もあります。
こちらは金沢の文豪 泉鏡花さんの名をもつ 鏡花号。 城下町を毎日…走ります。
(徳田秋声さんや室生犀星さんの名を付けるバスも)
…あれれっ 置いていかれちゃった(笑)。
参考までに、こちらは以前の記事で掲載した写真です。
秋声号(金沢三文豪のひとり徳田秋聲)は、シックなボンネットバス。
それでは、紺屋坂を歩きながら…きょうの金沢城公園を見学しましょうかね。
(紺屋坂”とは、加賀藩初期の御用染商だった紺屋孫十郎の住まいがあったから)
金沢城公園について速読!してみましょうか。
その日、石川橋の上で感じる風で…金沢の気象がわかるんだなあ^^
流行は、金沢城の表情豊かな石垣巡りが楽しいですね。
城と言えば堅牢な石垣、そして城郭を守るのは堅固な門でしょう。
兼六園方向から石川橋を渡ると高麗門の一の門 石川門を通れば、このように…
宝暦九年(1759年)の大火により全焼してしまいました。
再建されたのは、天明八年といいますから(1788年)江戸時代のこと。
藩主は前田治脩になっておりました。
まるで鎧、黒光りする金属製の板で補強された櫓門の二の門。
二層二階建ての造りとなる石川櫓で構成されている枡形門です。
藩士が登城する際も緊張したでしょう、難攻不落の守備すらもさりげなく…
三の丸広場へと歩いて行きましょう。
三の丸北園地、広場の向こうには河北門。
この『河北門』は、三の丸の正面にあり 紛れもない城の正門なのです。
金沢城の表に位置する河北門は、大手より入場し河北坂を上がる場所にあります。
東側にある『石川門』は重要文化財、再建されたばかりの『橋爪門』共々に…
『金沢城三御門』の異名をもちます。
かつて宝暦の大火は、城の建物の大半を焼失させました。
再建は安永元年(1772年)となりました。
また明治15年頃には失われ、130年ぶりに再建、平成19~22年の春に完成しました。
まだこれほどの梁を造れる巨木を伐採してこれる石川県の森林地帯。
戸室山からの石による石垣積み、白壁の漆喰仕上や軸組、伝統的な木工事。
屋根には鉛瓦葺きが施されました。
まさしく匠の技が冴える百万石のアーキテクチャー。
ビル建築で言えば、風除室のような働きの枡形なのですが
流入した外気とか吹く風を緩和する代わりに敵を迎え撃つ空間でもありました。
二の門の正面が枡形内部側となりました。
太い柱、門扉、梁には補強のには帯鉄(鉄板)を鋲により施して防御性を向上します。
焼損にも強い構造でしょう。
装飾としてみても豪壮な感じがいいですね。
上の階には『出し』と呼ぶ出窓があり『石落し』の仕掛けが設けられています。
合戦では、この蓋を開いて侵入する敵兵めがけて石を落としました。
さすがは普通の家庭とは違う~からくりが施されていますね。
二階の見学コースに上がると、『櫓』部分の内部に入れてもらえます。
壁や床材などには県内産の能登ヒバ(檜の仲間)が大量に用いられています。
河北門、二の門越しに見えるのは、三層三階の構造を持つ『菱櫓』と『五十間長屋』。
そこは橋爪門の枡形を見張っている物見櫓でもあるのでした。
優美さと豪壮さを併せ持つ金沢城の魅力をまたひとつ…
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