北陸自動車道を走行して西に向かいますと新潟県の蓮台寺PA(上り線)に立ち寄りましょう。
この『蓮台寺パーキングエリア』敷地にある公園には、とある万葉歌碑があります。
そして誰もが目にするのは麗しいお姿の『奴奈川姫』の像なのでした。

翡翠の玉を首飾りにした若い姫の姿は、月夜の宵闇にも…はっきりと見えました。
『奴奈川姫』のお産まれは何処なのか…
この地域には、能生谷村大字島道(しまみち)字滝”という地名の場所があり
岩井口(いわいぐち)と呼ばれ、いまも清水が滾々と湧き出しているのです。
古より住民は、奴奈川姫”の産屋であったろうと伝えておりますそうな。

高速道路よりも、国道8号線を海岸沿いにドライブしながら名所巡りには向いています。
『翡翠海岸』や『ジオパーク』なども名所ですからね。
珍しい大鍾乳洞がありまして『福来口』(ふくがくち)と申します所が由緒ある場所。
地図では、青海町黒姫山の東麓を目指すことになりますが…
この鍾乳洞こそ伝説の地、その昔…奴奈川姫の住まいがあったと言われております。
そこでは機(はた)織り女でもあった奴奈川姫。
(それは植物繊維、コウゾから麻などが原料だったでしょう)
鍾乳洞からの流水で織った布をさらしていたそうです。
それ故に…川の名は、『布川』(ぬのかわ)となりました。
さらに『東姥(うば)が懐』や『西姥が懐』と呼ぶ地名があり(今井村字今村の境付近)
その名の通り、幼き日の姫を守り育てた乳母が住んでいた地名だそうです。

黒姫山の頂に登りますと、奴奈川姫を祀る石造りの祠(ほこら)もあるそうです。
四月二十四日には祭りが行なわれ、地元の人々が多勢でお参りしに登山しています。
もちろん、山の祠に登るには不浄な物など身につけることは許されない仕来りですから…
昔から当地の村人が渇水に苦しんだり霖雨(りんう)の際には祈願もしたそうです。
青海町字田海(とうみ)は、ありがたいご利益のある石祠の拝殿『山添社』が建てられています。

…伝説によりますと、遥かに出雲の国から訪れた『大国主命』(オオクニヌシノミコト)から
熱烈な求愛をされたのが奴奈川姫となっております。
日本神話では、出雲神話に登場する神様のひとりです。
天上界における象徴として太陽神である『天照大神』が光として君臨するならば、
ギリシャ神話のガイアの如く大地を象徴した神格の『大国主命』(←彼は男性の神ですが)。
その名は解釈以前に多数の名前を隠喩する神の代表でもあります。
つまり…日本列島を武力で制覇していく朝廷の権威、土着の信仰を統合する姿でしょう。
大陸からの神武の東征に由縁する…勢力拡大と移民族の侵略の歴史がもたらした、文字や信仰に於ける農耕文化の融合が背景にあるはずです。

越の国には『奴奈川姫』という聡明で美しい姫君の治める国があるという情報から
求婚するために『大国主命』は自ら…越の国を来訪したといいます。
こうした歴史の記録は越の国への侵攻があり、為政者であった奴奈川姫に隷属すべく要求した。
ようするに平伏して領地を差し出せと迫った!という解釈は乱暴でしょうか。
『大国主命』は神格化された大和朝廷の勢力もしくは有力な指揮官クラスを表している。
歌を贈答し…とあるものの、明確な文字文化も無い倭人のクニ”を相手の交渉術は難航。
すぐには求婚に応じなかった…それは降伏に応じない姿勢であったということ。
しかし、一日後に求婚を受け入れて結婚したと…伝説は続いています。
当時の侵略が相手側のリーダーないしは姫を娶ることで融和を図り反抗を阻止したのでしょう。
血族化による同化政策とでも言えばいいのでしょうか。
なんだか悲しいですね、奴奈川姫は恋も選ばせてもらえない犠牲者という気がします…。

奴奈川姫は賢人でもあり、呪術や占い事にも長けた女王であったそうです。
とんだ政略結婚ではないでしょうか。
『古事記』の一節によれば…
『奴奈川姫 高志(越)国にて賢く美しき姫と聞こえ、出雲国の大国主命が求婚に来たれり』
婚姻後には『諏訪の神』…建御名方命(タケミナカタノミコト)が産まれたと記述があります。
『出雲国風土記』によれば、美保の神『御穂須々美命』が誕生されたといいます。
大和朝廷の便宜により改竄された神話、古代倭の神々の駆逐など戦渦の史書のようですが。
いまではもう見知らぬクニの物語に感じます…
翡翠(ヒスイ)の原石のような…それこそは倭人である私たちのルーツなのです。

伝承は時を越えて欠片が光っておりますよ。
遥かな古に、奴奈川姫と一族が住むクニであった地…西海村字平牛(ひらうし)の経ヶ峰。
神へ捧げた金幣(きんぺい)が峰の頂に埋められたといいます。
それが山頂で毎夜…光を放つ現象があり?沖で漁をする漁師にはありがたい標であったとも。
謎の物質が発光したとでも?、いいえ松明か篝火のように火が焚かれたのでしょう。
なにか神聖な意味があった筈ですね。
こんなところにも歴史のロマンはあります。

万葉集の歌碑によれば
沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも
拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しも
この歌の作者は未詳です。
訳しますと
沼名川の底にある玉、探し求めて得た玉
ようやく拾って手に入れた玉よ
そのように素晴らしいあなたが 老いていくのは残念なことだ。
歴史にある史実なのか、ロマンある万葉人の遺した歌…恋歌なのか?
どこか私たちの心にも伝わる物語を秘めているようですね。

邪馬台国の巫女王 卑弥呼”のように神託する女王はいました。
『奴奈川姫』 その指し示す姿に、麗しい女性リーダーとしての誇りを感じます。
現世の政界に転生してほしいくらいに…

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