風を追い越していくマシーンで…


あの頃、写真に興味がなくて…せっかくの愛機もフィルムでしか残せなかった。

Webログの真似事など始めて、ようやく記録写真の大切さが理解できたと思う。

たまに載せる900Ninjaは、穏やかな国内仕様の最終型になります。

綺麗なライムグリーンを季節の彩りに染めたくて、いろんな場所に連れて行きました。











初めての大型二輪は、とにかくパワーフィールが自然で乗りやすい味付けでした。

しかし、家族や職場の事情など…些細なことで手放してしまい…本気”が足りなかったのかも。

どこか秘密のガレージに隠して、週末や夜明けにだけ乗るべきでした。

記念写真は殆どありませんが、Ninjaの疾走りでしか見えない地平は確かにあった。

最新のバイクは確かに軽くてパワフルで乗りやすく、合理的で腕前を錯覚しそうな機体ばかり。

だけどNinjaは、細かな改良もポジションにも経験ある技術者の人肌が感じられる。

あの時の…ノーマルのままで再び乗ってみたい名車でしたね。











Ninjaに乗っていた頃に、貼っていた超お気に入りのステッカーです。

自分が大好きな某バイク雑誌からいただいた物で…すごく嬉しかったですね。

免許を取得する前から愛読していました。

本物だけがもつ匂いというのか、旧いバックナンバーの方が貴重で内容が面白いのです。

もしも私が…また疾走り出したら、これを貼ろうと密かに保管しています。










もしかしたら掲載したらいけないのでしょうか。 でも紹介したくて…UPします。

1989年当時に、国産バイクにより公道で300km/hを叩き出そうとした猛者がいた。

(場所はドイツアウトバーン、バイクはSUZUKI・GSXR-750のチューンド)

ノーマルトラフィックでバトる相手は、ルーフCTRRS911ヴァイセンクーザを標的に…

大豪の武士とか、猛者という表現が似合う男性がいたのです。


知る人ぞ知るバイク乗り佐藤信哉 さんです。


死んでも忘れないくらいインパクトのある人でした。



1989年 9月1日 西ドイツ アウトバーンで挑む









大らかで少年のような優しさと、破壊的な情熱を燃料に生きている漢(おとこ)がいる。

独自の論理とやり遂げる行動力に人望の厚さ…真に凄いと言える人たちに語り継がれる彼。


そんな彼を形容する言の葉は、全てが陳腐なセリフになりそうな…

黙して語らず…硬派で本物のバイク乗りとして現在進行形の伝説に昇華しています。

佐藤信哉さんは、以前ファイヤーロード(オフロードのこと)で走行取材中に…なんと

偶然に隕石の落ちた場所を発見して、その発見者にもなっています。



私のような…ありきたりの才能しかない凡庸な人間には、尊敬する年上で別次元の存在です。

いまでこそ公道で300キロ、その速度領域に到達することは多くが経験していますが

当時の挑戦は、先駆者として月面着陸のミッションにも勝る壮絶な快挙だったと思います。

誰もが…その背中に秘めた伝説を追ったバイク乗り…

そんな彼のプロデュースした本革の正装は、カドヤのバトルスーツになりました。


  

彼の連載記事、ストリートアタックは読む度に胸が熱くなります。

そんなミスターバイク誌上のスタッフは、私が唯一尊敬している生粋の日本人バイク乗り。

四国の住職…五葉鐵鉄(ごようこうてつ)さん”のバトル説法、常連読者の怒りの自A官さん

超ど級の個性が集まり…いまはどうしているのでしょう?待望論が加速してほしい。


彼らがいれば、日本が経済破綻や根性ナシで悩むことはゼッタイにない。


邪悪なダークマターも振り切って加速しているはずです。


もちろん、いまでも天高く空の下で疾走っている





  超える者、未だなし











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