未知のフロンティア宇宙への憧れ
宇宙飛行士にはなれませんが、少年の心では生きられる…。
こうしている間も毎秒160キロメートルで移動しているという我々の銀河系。
いまは亡きカール・セーガン博士と星の彼方を見上げて語らいたい。
『彼らは、天のまるい穴のところへやってきた。 …火のように燃えながら。
カラスが言った。 これが星”だと』 エスキモーの創世神話より
天空の星々は、神聖な篝火なのでしょうか。
NASAとJAXA・日本の宇宙開発を体感してみたい。
幕張メッセの『宇宙博2014』会場に大気圏再突入です。
JR京葉線で行くと、海浜幕張駅で下車して徒歩5分の距離。
JR総武線•京成線・幕張本郷駅に着いたら幕張メッセ中央・QVCマリンフィールド行きバスに乗りましょう。
国際展示場の10、11ホールが会場になっています。
ちなみに料金は一般が2500円(少年にしてほしい~)
ところがPM15:00以降は、1700円の夕涼み料金設定があるんです。
もちろん当日券で夕涼みエントリー。
会場は、大人の見学者が大半ですね。
かつての20世紀宇宙開発を肌で知る良識ある年代もいっぱいでした。
子供たちで騒然なんてことはありません。
知的好奇心あふれる純粋なハートが集う宇宙博です。
SPACE EXPO
宇宙博 2014
NASA・JAXAの挑戦
THE GREAT CHALLENGE OF NASA・JAXA
スペースゲートが呼んでいる!
宇宙博の公式マスコットキャラクター『キュリオくん』颯爽登場。
キュリオくん”は宇宙が大好きな小学生の男子だそうです。
ど~もくんのデザインで知られる合田経郎さん書き下ろしの作品。
いまも膨張した頭は~宇宙への関心であふれんばかり。
すぺ~ (キュリオくんの口癖意味→スゲ~)
大昔から人は科学を探求して広大無辺の宇宙を夢見てきました。
ある時は無知な人間たちから異端者とされ、迫害され、嘲笑され…。
それでも…そこに宇宙の摂理はあるのです。
H・GウエルズやアーサーCクラークのSF小説は、宇宙意識のさきがけ。
ウィルバーライトとオービルライトの兄弟は機械仕掛けで空を飛んだ…
多くの科学者は挫けず未来を追い求めた。
ある意味、頑迷な者たちをあしらうこともセンスかもしれません。
究極のエンサイクロペディアであるダ・ヴィンチなど芸術の域まで高めた人物。
あらゆる理想を成し遂げてきたのは夢見るパワーを失わないからです。
産業革命時代のように演出された部屋は、まさに空想科学小説のワンシーン。
すべては挑戦の歴史なのだから
ゲートにはLC-39Aの刻印があり、それはケネディ宇宙センター発射台のナンバーです。
まさにアポロ宇宙船への通り道。宇宙飛行士がガントリーアームを歩く気分。
(ガントリーアーム…発射台と宇宙船を繋ぐ架け橋の通路)
大画面でスペースシャトル発射など映像のド迫力(^^)シーン
さあド派手に あげていこ~かァ!
(感無量のシャトル~リフトオフ!)
新たなる冒険を目指して
ビルよりも高いサターンⅤ型ロケットが大質量物を月世界へ到達させる。
宇宙開発競争は冷戦時代、超大国のプライドを賭けた競争の場は宇宙へ…
あのケネディ演説の瞬間から…
1960年代のうちに、人類を安全に月面に到達させ帰還させる。
先見性あるリーダーの英断が不可能と思われたミッションにゴーサイン!
偉大なるケネディ大統領の意志を継いだ宇宙開発スタッフ達が計画を成就。
選ばれた彼らライトスタッフは若き国アメリカの勇敢なる誇りでした。
強国ソビエト連邦は社会主義陣営の代表として宇宙に挑む
宇宙空間を制する者は世界を制す!
ロケット技術開発は熾烈を極め、幾多の尊い犠牲と資本の衝突だった。
英国首相チャーチルの言葉を借りるでもなく、両陣営には鉄のカーテンが…
いいや成層圏の彼方にある真空が隔てたのかもしれません。
高性能の弾道弾は地球の裏側にある敵の国家を射程とする核の脅威に
拍車をかけたのは対流圏よりさらに上層から狙いをつける衛星発射兵器。
もはや成層圏の外で世界が左右される時代でもありました。
強敵と書いて友(とも)と読む…
そのような狂気を背景に開発競争は激化。
旧ソビエトは、1957年に人工衛星スプートニク1号で初の衛星軌道を制覇。
次に、ライカ犬のクドリャフカなどを次々と実験に投じて、遂に人類は宇宙飛行の段階を迎えます。
米国は主に人間に代謝機能などが似ている霊長類を実験に使用していました。
1961年4月12日、バイコヌール宇宙基地は歓喜に包まれます。
ユーリ・ガガーリン少佐の搭乗するボストーク1号は人類初の宇宙飛行を記録。
『地球は青かった…』という有名な言葉が印象的だ。
その後、連続して成功したボストーク6号では初の女性宇宙飛行士を誕生させた。
ワレンチナ・テレシコワは、現在もロシアの政治家として活躍しています。
次々と歴史的な偉業を達成させ、アメリカに世界に先んじた旧ソビエトの栄光。
ソビエト優勢のまま…宇宙競争は佳境へ
僅かの差で激化する宇宙の覇権
アメリカも1961年5月5日にマーキュリー3号に搭乗したアランシェパードが宇宙飛行に成功。
しかし、初の宇宙遊泳は1965年3月18日、旧ソビエトの宇宙飛行士
アレクセイ・レオーノフがボスホート2号からの宇宙遊泳に成功しています。
(写真はアラン・シェパードとユーリ・ガガーリン)
激突する両国のプライド!
政治的な駆け引きやプロパガンダにも影響力が大きな宇宙開発。
純粋な科学の発展とは違う意味で宇宙は舞台となりました。
初期の宇宙開発には、国家統制で一丸となる社会主義は優位性がありました。
まさに国家事業と呼ぶに相応しい。
頑なイメージのある旧ソビエトも意外とユニークな設計思想など独創的。
米国科学者も威信をかけた宇宙開発のステージに突入していきます。
目指すのは…月です。
いまでは貴重なソビエトのロケット開発時代の封筒や切手も飾られていました。
現代のロシア製宇宙服です。
さすがに宇宙開発で培われた技術によるものだけあって性能は折り紙つき。
最大の特徴は、装着の容易なこと。
宇宙服は装着までとても時間が必要なものですが、ロシア製は解りやすい構造です。
背部を広く開くことで人間が着易い工夫がとられています。
以前、NHKの番組で雅楽奏者の東儀秀樹さんもロシアで試着して驚いていました。
近代に宇宙旅行を唱えた、数学者コンスタンチン・ツィオルコフスキー(露)や物理学のロバート・ゴダード(米)など先駆者の姿。
19世紀後半からSF小説のページを抜け出し宇宙への進出は空想を超えます。
いよいよ論理的に宇宙やロケット推進力を考える科学者の登場です。
宇宙への1942年には基礎技術を応用して初期のロケットで弾着実験。
そうした方程式、論理がガラス面に描かれています(まるで素敵な魔法のよう?)。
いまだ果たせない幾多の夢が…数式化された天空のロジック。
当時のLIFE誌に掲載されたNASA関連の記事。
豊かで華やかな自由の国アメリカ、宇宙開発の素晴らしさが語られました。
あたかも世界の夢を代表する国家。
開発競争で後塵を浴びても、西側諸国を陶酔させるだけの魅力があります。
心臓の鼓動…バイタルサインが生存を告げる
この小さな実験ユニットは、ネズミを入れて打ち上げた際のもの。
(ミッキーマウスじゃありませんよ)
上にある網目の箱に入れられて宇宙へ先乗り?させました。
アメリカも着実に実験で確証を得ていきます。
むしろビッグプロジェクトに向けた周到さは旧ソビエト以上かもしれません。
NASA”ねばならぬ…なにごとも?
アメリカ航空宇宙局
NASAの液体燃料ロケットエンジン。
宇宙へと質量物を打ち上げる要であるロケット開発。
ドイツからアメリカに亡命したフォン・ブラウン博士の参加でロケット開発も本格化。
これまで戦争のために続けられた高性能弾道弾の研究は、人類の夢…平和利用の宇宙開発に転身したのです。
いつしか宇宙開発は世界の平和の象徴とも呼べるミッションを掲げることに。
米ソ両大国の一挙一動に対して全世界の耳目は集中します。
ジュピターロケットから回収された先端部(ノーズコーン)です。
測定器を搭載して、大気圏への再突入を徹底調査するために打ち上げられました。
地球への帰還時に膨大な摩擦熱の洗礼から乗員を守る技術には細心の注意が払われます。
推進機関、生命維持、宇宙船ドッキングのシークエンスなど技術は急速に進歩。
宇宙旅行の父と呼ばれた前述の科学者の時代には、誰も信じなかった宇宙に我々の同胞が立ち向かう。
古代から悠久の歴史の中で見上げてきた天空に挑む日が訪れたのでした。
当初は単独の搭乗が精一杯の宇宙船も急速に進化して、ジェミニ宇宙船のような遂に2名の搭乗が可能に。
宇宙遊泳も果たしたアメリカは課題を克服して月面着陸を実現すべく探査機を月に打ち上げました。
(初期の米ソによる月面探査は、衛星軌道からの撮影や測量、人工の物体を月面に届かせ衝突させるだけでも快挙でした。)
無論、旧ソビエトの月面アプローチも国家的な威信を背景に加速していきます。
運命の…あの日までは
有人月飛行の最後の切り札アポロ計画
サターンⅤ型は、全長110メートルを超える史上最大のロケット。
(近年のスペースシャトルオービターと較べても倍近い威容を誇ります。)
こうしてカバーするSLAを花びらのように開いて月着陸船(LM)が露出しています。
離れていく機械船サービスモジュール(SM)は、向きを変えると着陸船を引き出して月軌道に運びます。
アポロ宇宙船を構成するのは、宇宙飛行士がいる指令船(コマンドモジュール)、機械船(サービスモジュール)、
SLAの外装アルミカバーは4枚構成ですが、見やすいように手前が外されています。
精密模型の指令船、実際には3名の宇宙飛行士が登場して緊張の時を迎えます。
どれほど訓練されていても宇宙空間での離脱からドッキングなど命がけの大技です。
さぞや心拍数が跳ね上がっていたでしょうね。
誰も見たこともない大きさで白く輝いている月世界を眺めながら作業は粛々と遂行されていくのでした。
煌く宇宙船の外観、きっと…その様子も美しかったでしょうね。
月面の静かな海”へとランディングするために最終チェック。
それは巨大な液体燃料多段式ロケット
推進力を得るために液体水素を燃料に、酸化剤は液体酸素。
ロケットの構成部品も大半が上昇する噴射が終われば投棄されてしまいます。
目的地に到達できるのは先端の僅かなブロックだけ…。
アポロ計画では1967~73年まで13機のサターンⅤ型ロケットが建造されました。
悲劇の火災でクルーが死亡したアポロ1号、最初のアポロ有人飛行は7号でした。
栄光のアポロ・ミッション
ニール・アームストロング船長など歴代の宇宙飛行士たちの名が刻まれています。
遂にソ連に先駆けて月面への有人着陸を果たしたアメリカの大逆転劇。
アームストロング船長とバズ・オルドリンは月に足跡を残しました。
人類による地球以外の天体に降りた科学的業績は奇蹟に近いものでした。
『一人の人間とすれば小さな一歩ですが、人類にとっては偉大な飛躍です。』
彼の言の葉は永遠に語り継がれます。
1969年7月20日の快挙を成し遂げたクルーとNASA関係者の情熱。
1972年12月19日、最後の船長ユージーン・サーナンが地球に無事帰還してアメリカのアポロ月着陸は終了しています。
20世紀のアメリカは月面の有人探査でリードし続けました。
宇宙開発、そして遥かな月面を目指した男達の凝縮された夢。
世界情勢は激変しソビエト連邦も崩壊、いまも世界で人類は愚かな戦争を続けています…
勝利者は平和を愛する貴女、これからは協力する時代なのですから
夜空を見上げるたび、虚空に輝く白き月に人類が到達した日を思い出してください。
青く澄んだ地球の美しさを感じてください。
私たちの細胞に…心にある宇宙のことを…
先人たちの挑戦した日々の尊さに感謝したいです。
人類の夢加速は、いつだって秒速30万キロ以上(光速)ですからね。
さらに会場内を探査ロマン?すべく発進しましょう。
すぺ~!!
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