栄螺堂


会津のさざえ堂をご紹介しましょう。


それは寛政8年(1796)に、福島県会津若松市の飯盛山中腹に建立されました。


六角三層のお堂であり…高さは16,5メートル。


正式な名称は円通三匝堂(えんつうさんそうどう)です。


かつての飯盛山には正宗寺というお寺があり、当時の住職である僧…郁堂が考案しました。

白虎隊が自刃した場所に近い戸ノ口堰洞門の側にある仏堂です。


特徴的な六稜三層の御堂は形状が栄螺(さざえ)に似ているので、さざえ堂の名で親しまれています。










正面から堂内に入りますと、まさに日本の仏堂とは想像も出来ない構造をしています。


なんと…内部を上り下りしていく螺旋状の階段が設けてあるのです。


これにより参拝する多くの者は、決して対向する他者には出会わず…同じ階段を通ることもなく安全なのです。


奇妙な一方通行をしながら仏堂を参る仕組みがことができるという…世界的にも珍しい日本離れした建築様式と評価されています。








石段を登っていくと…龍などの彫刻が見事に飾られた仏堂の入り口が。


独特な二重螺旋のスロープを歩けば、西国三十三観音像が安置されています。


さざえ堂をお参りすると…三十三観音参りができる合理的な仏堂です。


建築史上その特異な存在が認められ、平成8年(1995)6月27日に当時の庶民文化を伝える貴重な歴史的資料として国の重要文化財に指定されています。










入り口を裏側から… 風雪が厳しい会津の地にあって保存の状態も良好です。


見学の料金は、写真奥の受付で支払います。


(それぞれ~大人400円、高校生300円、小中学生200円)


発券係りの御夫人が見事な解説をしておられますよ。






 


いつの時代にも凄い発想の天才はいるものですね!。



まるでDNAのような二重らせん構造をした近代以前の建築物となると?


世界に目を向けると…欧州フランスのロワール地方に現存するシャンボール城内部にある珍しい階段。


あのレオナルド・ダ・ヴィンチが生前設計したという二重螺旋階段が知られています。


ダ・ヴィンチのアイデアが蘭学書にも掲載され、時を経て遠く会津地方まで伝わったのではないか… そんな説に確証があるかも定かではなく浪漫ですね。



とても斬新です。









歴史的には江戸時代中期、さざえ堂は建立され始めます。


当初は江戸の本所羅漢寺に建てられた栄螺堂が知られています。


羅漢寺の住職の象先によって構想されたのは1716年のこと、ようやく江戸初のさざえ堂が完成したのは1780年のこと。


特異なイメージの外観で、流行りもの好きな江戸市中では民衆信仰に興味をもたれ、名所図会や錦絵などに描かれています。


それから関東の地から発して、幾つもの似せた~さざえ堂が建築されました。


羅漢寺のさざえ堂は現存していないのですが、日本各地では今も栄螺堂と呼ばれるお堂が残されています。


もちろん~さざえ堂には観音像を安置しています。


やはり一度にお参りするためのお堂ですが、さざえ堂は会津の物が最も見事な螺旋構造を有しているようです。


関東の近県では、群馬県太田市や埼玉県本庄市にも現存しています。


会津さざえ堂の構造とは~かなり異なり、方形の平面に中二階を用いた簡略な三階建てになります。




幕末から明治になると、神道を信仰したため神仏分離令により会津の正宗寺は廃寺とされ、三十三観音像も取り除かれました。


明治23年になると、堂内に観音像を配した場所には白虎隊十九士の霊像を場所に安置しています。


後世…会津藩での道徳に於ける教科書、第八代藩主松平容敬公が編纂した皇朝二十四孝を表す絵額が掲げられています。



(写真は違います。)










明らかに内部の様式は日本の仏教建築なのですが、螺旋を成す構造が珍しいですね。


さざえ堂のヘリカルな仕組みをもった階段を右回りに登ります。


まずは上りに一回転半、下りにまた一回転半、合計すると三回転する階段になります。


三匝堂という字は匝る(めぐる)』という意味があり、観音様を三回も巡りながらお参りするものでした。


この頃、東北の会津より西日本方面に旅をしながら各地の札所をお参りする行程は民衆には叶えがたい話でした。


会津若松などに三十三観音札所は点在していますが、これを一箇所に集約したお堂とは画期的でした。




急な傾斜を登るため、数多くの足懸かりが狭い間隔で設けられています。


(古い木製ですから~歩くと軋み音がしていますね)











柱木の構造は、この様に組まれています。











さざえ堂の入口を入った正面には、郁堂禅師の姿を彫った木造を安置しています。










三匝堂は幕末の哀しい戊辰戦争を、そして明治の動乱、大正から昭和~平成へと移り変わる時代を見てきました。


お堂の傷ひとつまで…現代も変わらぬ歴史の証人?









これは会津へ訪れたイタリア人も驚いたでしょうね。


まるで意匠も概念もルネッサンス!


と…いうか オーパーツの類でしょうか?。










いかにして二重螺旋のように不可解な階段構造を思いついたのでしょうか?


戦国時代に灰燼と帰した…安土桃山城のような時代を超えた建物なのです。










武家文化の伝統に目がいきがちですが、実は随所に先進性を取り入れた会津。


バランスのとれた進展をみせる藩政だったようですね。









さざえ堂の上層階から見下ろした宇賀神堂。 境内に隣接した所にあります。


創建は寛文年間(1661~1672)のこと


会津藩三代藩主松平正容が宇賀神を勧請し、神像に弁財天像を祀る社殿を建立した事が始まりです。










宇賀神堂といえば、その社殿は桁行3間、梁間2間という入母屋造り銅板葺きの建物です。


戊辰戦争の際、飯盛山で自刃した白虎隊の若者19士の霊像を安置しています。







そうした忠孝も武士の正義、研鑽された高度な精神性あるからこそ強かったのでしょう。


現代人に同じようになれとは言えませんが、彼等の尊しとした生き様からは大いに学ぶべきことがあると思います。








時代、国家、人種に関係なく、あらゆる善きことを学び吸収すればよいだけ。


あまりに人間性を軽視した現代の生き方では悲劇しか続きません。


システムに飼い馴らされず、自ら研鑽する精神に新しさも古さもありません。


即応できない気象予報、機能しない政府機関、本来は人間が単身でも行えた事でした。



ゆとり教育の弊害というより~悪質なへたり社会に気付かないだけ。



昔は人間が感性で行えたことばかりです。 凜として生きる大切さを再認識。



脆弱さや愚かさを崇拝して腑抜けになる前に、人間力を磨いてみませんか。