いざ参らん、幕末の鶴ヶ城!!
見学入り口から鶴ヶ城天守閣に入りますと、内部は暗く城壁の巨石に囲まれます。
薄暗い中で、石垣の構造が凄いですね(振り返ると外部からの光)。
奥には、出土した昔の城郭の遺物である石垣もあります。
下層にあるのは備蓄された塩の蔵などになります。
お役人は…役目に実直ですから。 …もちろん微動だにしません。
途中の階層は、歴史上の展示物を飾る天守閣郷土博物館となります。
最後の城主、松平家の所蔵品など代々伝えられる資料を拝見しながら上層へ。
(この間は撮影禁止です。)
藩校の日新校や海外の文化を学び、銃砲などに精通した強い会津の姿です。
ようやく最上部に続く階段、天空に近い場所。
世は南北朝時代。 北朝の至徳元年(1384)、蘆名氏七代当主の蘆名直盛が館を築いたことに始まる地。
(黒川城と呼ばれました。)
その後、慶長16年(1611)に発生した直下型の会津地震で城の天守は倒壊しました。
伊予松山藩主であった加藤嘉明が新たな城主となり、陸奥国の会津藩初代藩主となりました。
加藤氏親子は、天守を層塔型天守に再構築していきました。
栄枯盛衰の理、君主は移り変わる…歴史の流れ。
蘆名氏に始まり、それを打ち倒した伊達正宗が支配しても天下人の豊臣秀吉に没収されています。
蒲生氏が居城とし、近世の城郭にアップグレード?しました。
文禄2年(1593)、望楼型七重…(幾重にも重ねる意味)天守の竣工。
『鶴ヶ城』という名になったのはこの頃からとも?。
そして上杉家が治めた会津には…もうひとつ伝説の巨城の痕跡が。
天下は江戸時代に移り、慶長16年(1611)、加藤氏が統治しました。
城の天守閣は、層塔型の五重五階で地下二階を備えた姿に…
さらに保科氏の時代を経てから…
会津松平家が治めることで近代化も推進され、文化の研鑽も頂点に。
梶原平馬や山川大蔵のような若く優秀な人材を輩出した会津。
誇りのために戦う、譲れない想いがある。
彼等が支えたからこそ、強大な軍事力に対し果敢に持ち堪えられたのです。
ここが、城の最上部です。
雪解けの清流のように、城下では優しく強い武士と民衆の文化が育まれたのです。
穏やか風の渡る東北の地、ここから見渡す城下町の展望。
会津が経験した戦役…戊辰戦争、幕末の哀しき運命。
非業の死を遂げた武士達、多くの民衆が戦災で命を奪われました。
世紀を越えて記憶は風化し、阿鼻叫喚の地獄絵を忘れてしまいそうです。
新政府軍は、いつまでも戦死者の骸を弔わず、腐敗するままに放置しました。
その経緯で、会津の民は長州兵力にも…拭い難い不信と怨みを抱いていたそうです。
安倍首相の父上は自民党幹事長に就任していた時代に、謝罪したということですが…。
日本人の内戦、いじめ…陰湿な男女のドメスティック・バイオレンスの根源でしょうか?。
弱者への暴力…破壊的な衝動が貴重な文化を破壊し、生命を弄ぶという愚かさを繰り返す。
戦国時代、内戦…幕末にも国内で凄惨な戦いはありました。
新政府軍の軍事力頼みに行われた、無計画な会津に対する容赦ない猛攻。
銃器は発達していきましたが、兵士は統率された産業のように殺し合うだけの不毛な時代。
新政府の意図的な威力弾圧、つまり幕府勢力に台頭するための…スケープゴートにされたのです。
人としての心、道理、慈しみすらもてない…武力が美しき武士の魂を蹂躙したのですね。
傷みを知らぬ哀しみのソルジャーたち
現在の会津、本丸、二の丸、三の丸は一部、北出丸と西出丸に付属する濠は残されました。
指定部分の約23ヘクタールは史跡として保存されたのです。
ここからは、城内の配置もよく解ります。
貴女も…松平容保様の清廉な気持ちになれるでしょうか。
時を経て、栄える会津の街を眺められます。
いまは中心地から乖離したため、静かで自然の豊かな環境が公害からも守られています。
周辺には都会のような高層建築もないため、鶴ヶ城の高楼は目立っています。
内郭の中央となる本丸。 そして天守閣の北側から西側までを取り囲む帯郭があります。
内濠を隔てますと、東側には…二の丸、三の丸となり、北側の北出丸、西側が西出丸。
各門のうち、三の丸以外の門は枡形石垣門になっていました。
(現在、三の丸には福島県立博物館があります。)
明治7年(1874)に、廃城された鶴ヶ城の崩壊寸前の姿を記憶するのは初夏の風だけ…
特徴的な赤瓦葺も平成22年に施されて、平成に蘇った若松城は奥州への要所です。
平成5年(1993)、外濠跡など一部の外郭遺構は国の史跡に追加指定されました。
平成9年(1997)に史跡内を整備していく『史跡若松城跡総合整備計画』が策定されています。
その後、平成13年(2001)、本丸内にあった干飯櫓と南走長屋を復元しています。
天守閣内部の見学コース後半を見終わりますと(一部が土足禁止で、靴を脱ぎます)
出口方面から濠に沿う方向から眺めた天守閣。
まさに堂々たる佇まいです。