日光東照宮 鼓楼
1635(寛永12)年築。
桁行3間~梁間3間で、入母屋作りの銅瓦葺き、袴腰付きです。
陽明門に向うと右手に『鐘楼』、左手にあるのは『鼓楼』となります。
鐘楼は78体ある彫刻、鼓楼は38体で、金と黒を基調とした朱色の高欄。
神仏混合時代の名残りを最も色濃く表現しているようです。
あまり写真を残そうという発想が無かったので…眺めて満足。
脳内映像をプリントアウトしたいくらいです。
この大気にカクテルされた感じ…小鳥のさえずり…温度…風…伝えたい。
日光東照宮五重塔
いやいや…この塔は文政元年(1818)に築かれたはずですが。
もともとは慶安3年(1650)に、小浜藩主の酒井忠勝よりの寄進で建立されました。
しかし…文化12年(1815)に不審火で焼失。
後世、酒井忠勝の子孫の酒井忠進の寄進によって再建された五重塔です。
塔の高さは34.3mで内部は吹き抜け構造。 …綺麗ですね。
ふたらさんじんじゃ
日光東照宮と共に世界遺産登録された『日光二荒山神社』の本社です。
社殿は日光の最奥にある本社。 中禅寺湖畔には中宮祠があり
…男体山の頂上には奥宮が鎮座しています
広大な神域をもち…いろは坂、華厳の滝などが含まれる。
最古の神社で…男体山(古くは…二荒山と呼びます。)
(ライフは…信仰の対象ではありません)

二荒山神社とは、『男体山』を御神体とした神社です。
日光では山岳信仰の拠り所として崇拝されてきました。
拝殿
日光東照宮のお隣にあり、神門を抜けていくと…その正面には拝殿が。
そして祭神は二荒山大神(大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命)を祀ります。
おおなむち…(父)、たごりひめ…(母)、あじすきたかひこね…(子)
神輿舎
日光では最も古い建物のひとつで、弥生祭で渡御する神輿3基が納められています。
その1基を拝見中です。

まばゆい金…ゴールド神輿。
その奥の… 二荒霊水

本殿背後の恒例山の洞窟から滾々と湧く霊水。
眼病に効くという名水『薬師霊泉』で…私の視力は2,0のまま(笑)。

天狗沢の畔から湧く名水『酒の泉』から引いた泉、 『酒の泉』は銘酒を作る醸造元からも信仰されます。
それにしても豪華な神輿。 細かな造りもよく見えます。
東照宮の大改修時には~既に大きな杉だったはずですが。
御神木は樹齢700年。 高さ60メートル、塔よりも高い古木。
この土地、環境での出来事が年輪にメモリーされています。
炭素14による…放射性炭素年代測定で診断される日も…。
さらに長く境内を見守り続けてほしいです。
【Carbon-14 理論上の生成量が多いのは高度9,000~15,000メートル付近となりますが。】
お菓子の神様 大国田道間守(だいこくたじまもり)
田道間守様とは、第11代 垂仁天皇から勅命を授かりました。
そのミッションとは?

常世の国に渡り~不老長寿の非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探せ!。
謎のミラクルフーズ(橘、つまり

ようやく非時香菓を発見し持ち帰りました。
しかし、一年ほど前に天皇は崩御されていて、橘の半分は皇太后に献上。
残り半分は天皇の墓所に植えられた後…彼は悲しみのあまり亡くなったと伝えられています。
後世…この実から菓子が作られるようになり、お菓子の神様と言われています。
平成16年、栃木県菓子工業組合の有志で結成された社の菓匠会は、創立20周年記念行事として、大国田道間守様の御像を製作しました。
その右手には

『田道間守命』様は、『記紀』によると新羅の国の王子様である。
日本に帰化した後、但馬の地に定住され国造りを命ぜられた『天日槍』(あまのひほこ)の曽孫。
菓子の歴史は、奈良時代から平安時代にかけ、果汁や小麦粉~米粉といった原料による『唐菓子』が中国から伝えられました。
更に鎌倉時代に入ると、前菜として中国からは『まんじゅう』や『ようかん』などが伝わりました。
お砂糖の製法~使用法の発達した江戸時代には、ポルトガルからの『南蛮菓子』など、本格的なお菓子文化が開花しました。
お菓子の神様

祀る … まつり … 祭り …
つづきます。











日光東照宮 HP

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