日本楽器と言えば…ヤマハ発動機の母体である会社。
1897年のことです。
楽器生産の企業ですが、第二次大戦中には技術を生かし木製のプロペラを生産しました。
そうして金属製のプロペラ造りまで手がけることになりました。
1951年には、川上源一さんが社長となり~エンジンを試作しました。
当時は…バイクメーカーは大小合わせて40数社という時代でした。
遂に第一号 『YA-1』がリリースされたのです。
事業は拡張され、1955年…資本金3千万をかけ創業したヤマハ発動機。
オートバイ以外の分野にも積極参入していった川上さんの経営哲学。
静岡県磐田市新貝2500にある本社
地元民には ヤマハツ ですかね!。
写真は大人気を博したツースト車 RZ 250 (ナナハンキラーの異名を持つ)
ゴロワーズカラーのストライプが鮮烈で美しいイメージがあり好きです。
(このカラーリングは後期モデルですね。)
紫煙たなびく峠~ストリート 来たれロケット少年!!
浜松駅に降りると、地元産業として楽器や オートバイが飾られています。
オートバイは勿論、スノーモビル、ボートやマリンジェット、カートなど多彩。
産業用無人ヘリコプター、電動アシスト自転車、電動クルマ椅子…
加速する企業展開。
1966年 名車 TOYOTA 2000GT誕生に共同開発で参入。
DOHC 6気筒エンジンは、ヤマハで鍛えられた技物です。
1970年 トヨタの名機、2T-GをDOHC化したのはヤマハの技術。
4気筒 1588CCエンジンは、レビン、トレノ、セリカなどに搭載。
累計30万台以上も生産されたヒットを記録しています。
性能~耐久性共に、YAMAHAエンジン技術は席巻していきます。
浜名湖と遠州灘の風が似合う…YAMAHA スピリット。
居 安 思 危
居安思危 中国の四書五経にある一説から。
『安きに居りて危うき思う』 …言葉です。
あらゆる仕事は、順調な間に…将来の備えをせよ…という話し。
川上社長が好まれた語です。
偉大な『川上源一さん』は…2002年 90歳で逝去されました。
混迷の世界の中での日本
スロットルを開けるのはこれからです。