写真は、越後の上杉謙信の居城であった
春日山城の図絵(元禄15年)1702年
1598年(慶長3年)豊臣秀吉に全国から献上された黄金は3400枚にもなりました(1枚あたりの重さは、約170グラム)
その際、6割強の黄金は越後の上杉家から納められたのでした。
この当時は、佐渡島の金山や鳴海金山(新潟県村上市)など、金銀の鉱山から採掘~管理することに力を注いでいました。
直江兼続には、「与板衆」と呼ばれる家臣達がおり、各地の金山の代官に任じまして統括しており、上杉家の繁栄も莫大な産出量を誇る金銀などによる豊かな経済力があればこそ。
武勇だけではなく、経済人としての直江兼続が見せた力量も見事な采配だったようですね。
ちなみに佐渡島が上杉領となりましたのは1589年(天正17年)、金山の開発も急ピッチに進んでいきました。
秀吉から徳川家康に権力者が交替した時代
後に…米沢(山形県)に転封後、直江兼続は上杉家の財政を再建すべく奔走。
山形県の南陽市にある大同鉱山を中核とした金山採掘にて富をあげるなど、培った手腕を活かしました。
豊かな越後の地とくらべると米沢は荒涼としており、開墾に力を注がねばならない国でした。
「負け戦~だからこそ面白い!」。
城下はともかく、治水は最重要項目。下級武士や領民を飢えさせず生かすために、兼続は東奔西走の活躍を始めました。
言わば…弱者を生存させるための知力を尽くした「いくさ」。
農業用水路など、最上川からの河川工事を指揮して次々と潤いある農地とすべく陣頭指揮。
現場に足を運び、自ら汗を流して働き~下級武士達を労う姿が伝えられております。
灌漑用水の堰や河川氾濫を食い止める堤防を造る土木工事など、いまも残る”直江石堤の”ような堅牢な構造のものがあります。
当時、内外の古典や学識に秀でた武将であり、並外れた政治手腕と見識を発揮したオールラウンダー直江兼続の本領は静かに…確実に成果を積み重ねて国を整えていきます。
どこかの国の政治家達は、過去の人々に?なぜ見習わないのでしょうか。
与党はともかく、子供じみた野党も同じでしょう。
誰かのせいにする「転嫁無敵」ではなく、すべては己の責任と自負すれば足腰も軽くなります。
兼続の働きを見習うなら、政治の主役でなかろうと”大先生”を演じたがるイナカ芝居の大根役者はやめて。
たまには~土にまみれ県民と共に汗を流して寡黙に”本気”を示すのもよいのでは。
威厳を保つために舞台から滑り落ちた者が、政府に口撃?して憂さ晴らしする姿は~みっともない。
直江兼続の時代には、テレビ映りまで気にしないで済みました(笑)。
政治家の諸兄諸氏も見習う相手を間違えてませんか?。
足下の、靴まで秘書に磨かせてる先生方の方便よりも…
長靴履いて~側近に停められても誰かを救いに飛び出していく人間になら~私も惚れ込みます!。
厳しい立場にいる者ほど、強くなければならないのでは。
大剛の武士「直江兼続」も決して有名すぎる戦国の武将という訳ではありません。
上杉謙信ならともかく、彼の存在がクローズアップされて?、むしろ新鮮な驚きを与えられた人が多いのでは?。
そんな…彼の治世に尽力したエピソードをもう少し話しましょう。
上杉謙信が越後に奨励した栽培植物に「カラムシ」があります。
青苧(あおそ)と読むのですが。
カラムシ(青苧)は、イラクサ科で多年草。
カラムシの茎から極細の繊維が採取されまして、この縒り糸から織り上げる白布は「越後上布」。
丈夫で…肌触りもよいことから公家などにも珍重され、柏崎~直江津の港より船で~京都などへ運ばれました。
なかなかの人気ブランド?ですから、京の上流階級から莫大な富をあげており…上杉家の豊かな軍資金は困らなかった訳です。
後には、豊臣秀吉や朝廷の献上品にされたほどです。
越後上布は、「雪晒し」という雪融けの水蒸気と太陽の光を当てることで、色合いを鮮やかにする方法を施すそうです。
雪の原に~反物が敷き詰められる頃には、越後にも春の到来を告げる風景となります。
太閤秀吉の権力が天下を平定した時代には繁栄も頂点へ。
会津120万石にまで発展した上杉家も
慶長6年(1601年)
米沢30万石へと減俸され、家臣も含めた者達の逼迫した暮らしと財政を建て直しをすべく、兼続はガリレオ顔負けの?頭脳を発揮するのでした!。
まず、注目したいのは直江兼続が執筆したと?言われている
マルチ農業本「四季農戒書」をご存知ですか。
ようするに、”家庭菜園”のすすめ!
家臣や足軽達に~宅地を与えたり開墾させる指導をしました。
宅地には柿の木から~梅、栗といった実のなる木々を植えさせるのです。
垣根にするのはウコギなど。
葉っぱや芽は食べられますし、樹皮は強壮剤にもなるのです。
前述のカラムシ、口紅や染料になるベニバナ、桑の木に漆の木まで様々な役立つ作物を栽培させたのです。
さらに土地の性質を調べて、特性を活かした耕作を奨励しました。
「四季農戒書」は農業マニュアル!
一年間の農作業を円滑に行えるようなアドバイス満載の小冊子!。
(どの季節~何月が種まき~田植えにも向いているか~など)
そして後には、米沢の地に上杉の「義」が花咲くように
農作物の生産高は向上していきます。
関ヶ原で破れた西軍の将兵ゆえに
悲運の武将とも語られる直江兼続でしたが
人を労り暮らしを守り…国を栄えさせるとは、民と武士の境を越えて協力することが肝要だと教えてくれています。
時代に流されず、己の器量を信じて戦う。
”いくさの花”…とは、人間がもつ不屈の挑戦魂!
チャレンジ・スピリッツ!!
(直江兼続の肖像)
現代も米沢の地にて、民衆には親しみを込めて「直江公」と尊敬される彼。
戦国時代でなくとも、知恵で戦う武勇の誉れはあります。
愛し、守り抜く心を失わないこと
兼続ハートは受け継がれているのです。