タヒチから…さらに南東に位置する。
面積は佐渡島の1/4くらいの島です。
この島の特徴は?
テピト・オ・テ・ヘスア(島の言葉で…世界のおへそ)と呼ぶ。
そして謎の文明遺跡モアイ像…が立ち並ぶ島なのです。
18世紀初頭~1722年にオランダ人のロッゲ・フェーンに発見され、復活祭の日に上陸したのです。
海上からも眺められる…奇妙な石像を知ることとなりました。
それにちなんで「イースター島」と名付けたといいます。
1888年以降は南米チリの領土となりまして「イスラ・デ・パスカル」とスペイン語で発音され、島民には「ラパヌイ」とも呼ばれています。
島民の信仰の対象である巨石像?。
金属器も無い原始部族がモアイと呼んで崇める石像をいかにして造ったのか。
当初から不可解な謎だらけでした。
祭壇にモアイを配置した技術そのものも廃れ…忘れられているというのに。
島の西岸、ラノ・ララク火山の凝灰岩から切り出された巨石像を?いかにして運搬したのか。
誰も知らない島民が棲み始めた時代から既に存在した遺跡のある辺境の島。
彼等…ヨーロッパ人の常識では、ポリネシアの海域に分布する島々には、文字など無いのが定説。
しかし、このイースター島には「ロンゴロンゴ」という象形文字があったのです。
一説には、蛮族として蔑もうとしていた宣教師達が邪教とすべくモアイ像を倒し破壊したのが真相のようです。
布教と称する侵略は、まず信仰(心)の自由を制限することになります。未開の部族にしか見えない島民が、この巨石を動かすほどの知恵を有するのは危険視されただけですね。
島自体が遺跡なのでした。
オロンゴ岬にある石には、鳥…魚…海亀をモチーフにした浮き彫りがあります。
島の最高神「マケマケ」が化身したと言われる鳥人の姿が何百も見られます。
この古代の神は、鳥の頭に人間の身体をしており…丸い卵を抱えています。
何等かの儀礼のためか?。
こうした岩にこそ謎を解く手がかりがありそうですが…。
奇怪な姿をした木彫りの人形。
トロトミの木彫り、モアイ・カバ・カバ。
人間の頭部に鳥のクチバシ?。
これは島に棲むようになった後世の島民の意匠によるものだろう。
「鳥」もしくは、空に飛翔する者の伝説から生まれた造型とも思えます。
太陽、月などの天体や大地と人間の創造主がマケマケ神。
この神が、海鳥「マヌ・タラ」を島に招いたことで鳥人儀礼も始まったとされます。
南端にあるオロンゴの遺跡には石積の岩屋が多数見つかります。
神官が寝泊まりした岩屋の跡?。
南半球では春になる~9月から10月の季節、海鳥のアジサシが渡ってきて営巣するのですが、当然この卵は島民の栄養源にもなりまして…
その名残りの鳥人儀礼?。
ただ、この海岸線地域は島の言葉で~「アナ・カイ・タンガタ」と呼ぶ場所。
つまり…人喰いの洞窟!なのです。
食人の風習が残っていたのですね。
飢餓の記憶と共に…
いかなる理由で食人儀礼が行われたかは定かではありませんが、古い森林地帯も伐採され尽くし、食糧もない島を襲った大飢饉などがあり(日本でもありましたが)島民がカリヴァニズム(人肉食)に陥ったとしても不思議はありません。
環太平洋の一帯には、そうした風習は残っていました。
もっとも食人行為には飢えだけでなく、死せる強き者、賢者の持つ?生命力や能力を食して体内に取り込む意味合いもあったかもしれないのですが?。
単に忌まわしい争いや人肉食の罪を、儀礼化して紛らわせたのかもせれませんが。
モアイ像が配置される祭壇(アフ)の下に葬られた人骨は、誰のものとも知れず放置されています。
このイースター島は、謎の坩堝のようですね。
さて、遥かな昔…12000年前、太平洋上に存在したと言われた大陸「ムウ」。
この島を結びつける説話もあります。
私が想像するには、大陸と呼ぶ程ではないが本州より広い陸地の群島があり?古代の文明が栄えていた。
大陸と錯覚されるのは、太平洋にある広範囲の島々を領土とした支配体系による。
失われてしまったが、高度な航海術を駆使する海洋民族だったでしょう。
この時代の地球、日本では縄文時代。
縄文海進といわれる~亜熱帯気候で海面も高く、内陸まで海岸線が入り込み。
現代とは違った海洋の豊かな時代と思われます。
(温暖化により…その環境に戻りつつあるのでは?)
ムウの支配地域は、この日本列島近くまで広がっていたかもしれません。
イースター島も隣接する周辺の島々のひとつであり、当時は?さして重要な拠点ではないが…おそらく国家の各地方でも使われた~石像などを製作する場所であったと思われます。
ある日、文明が崩壊する程の地殻変動に見舞われ「ムウ」は大部分が沈没して海に没した(多分、段階的に沈没しながら半世紀ほどは~大小の岩礁が見られたはず?)。
近隣のニュージーランド諸島では、現在でも地震活動が絶えません。
突然の異変に高度な文明世界も四散し、脱出劇を生き残れた人々は僅かだけ(文明再建が可能な技術者や神官は首都と共に潰えた)周囲の島々も地震による津波や陸地の沈没で海岸線も変わり果て…。
イースター島も古代の森林地帯を含む、かなりの範囲を失ったでしょう。
その時点で、モアイ像の多くが倒壊し、製作放棄されたのでしょう。
古代における最大級の地殻変動のはず。
重要性もない島が、本島からの避難のために意味を持ち始めたのは…その破局の時代を境に。
逃げのびた人々で多少の身分階級が生存者を支配した生活を始めたものの、余震は続き人々は苛酷な日々を生きねばならなかったでしょう。
歴史のなかでは、何度もモアイ像は再建されたり、破壊したり?御難。
船で南米に航る決断をした貴族や、水や食糧をめぐる争い秩序は乱れ…そうした生存の争いで多数の死者がでたことでしょう。
国家を維持できなくなるほどの…
この想定される古代のカタストロフで高度な文明が各地に伝播することとなります。
いままで支配していた地域の島々に依存しなければならなくなった為政者達。
(竹島や尖閣諸島のことも、本来は切実な問題なのですが無関心すぎました)
最終的に島で文明は維持されず、ムウ文明の人々は生活が退化し~島を去った。
数世紀を経て、災害は沈静化し以後は安定期にはいりました。
ずっと放置された石造りの現場を後に渡来した人々が棲み始めた時、島は海鳥の飛び交う無人島だったのです。
伝える文字もない人々が忘却するには十分な時が流れていました。
イースター島が時代を遡るほど、根付いた文化や人口の暮らしよりもアンバランスな印象を受けるのは、…資源の採取が目的の島々のひとつであるから。
生活拠点は別にあった(ムウ)?。
欧州から探険調査に人々が渡来するのは神話よりも昔に栄えた超文明?の痕跡との出会いとなった訳です。
なにもかもが彼等の常識を覆す島の様相はヨーロッパ人を悩ませたでしょうね。
神や支配者は?この海の向こうから来訪者として現れた。
古来、そんな伝承も各地にありますが…
真の「ムウ人」は?どこへ消えたのか。
大西洋の「アトランティス」文明についても、プラトンが書物「クリティアス」に書き残していますが?。
伝説と呼ぶより調査資料?。
また某氏によればアトランティスの首都ポセイドニアの記述は驚くべき内容だとか。
その規模は何故か現代の米国?ニューヨーク港の様子を彷彿とさせるといいます。
果たして想像力の産物か…それとも?
私論ばかり挟めてすみません。
次回は触れてみたいですね。
(これはピラミッドの頂上に置かれたキャップストーン黒御影石です)
古代にはシュメール文明のごとく最古とみられるものがあり、歴史年代順を越えている発見も多数されています。
大きな謎の文明といえば、先頃より動乱で国情が悪化したエジプト。
近年は衛星からのスキャンで地下に眠る埋葬文化財を調査したり、考古学はザヒ・ハワーズ博士のように異色の研究家により解明が進んでいました。
そんな中での国家崩壊…。
貴重な遺跡が心配です。
この地も現在も住む人は文明の価値や正確な歴史を知りません。
考古学者の苦労さえ嘲笑うかのように次々と発掘される遺物と分析結果。
見知らぬ歴史の頁に光が…。
文明が栄えたということは、戦争や内乱も頻発した場所の証しでもあり。
資料も遺物も破壊と再生の繰り返しの洗礼を受けてきたはず。
そうした…バブテスマ(洗礼)を受けたのは人間だけでしょうか?。
エジプト周辺の生物環境も大量の人口だった影響で、元来棲息していた野生の生物分布に変化があるようです。
主なピラミッドはナイル河沿いに点在しますが、時代の古い遺跡の痕跡は内陸深く閉ざされていました。
未知の黒い歴史の幕が…アンベールされるには永い刻が必要ですが。
レーテの河のように静かに忘却すべきことが鎮魂でしょうか?。
古代のエジプト王権のシンボルであります鷹「ホルス」を表した「黄金の鷹」。
王はハゲ鷹の姿に変身して、広げた両翼により世界を支配するものとされ称号には鷹をあしらう遺物があります。
この鷹は王国時代に崇められた「エル・カブ」の神、コブラは「ブト」の神に由来する装飾品。
頭にある大飾りは太陽の子を表すもの。
精巧で美しいエジプト文明の装飾品です。
ピラミッドや知識の獣スフィンクスも考古学で得たより遥かに古い時代の遺物である説がでてきました。
近未来、また歴史は変わっているかもしれません。