これは沖ノ原遺跡で発掘された火焔型土器のレプリカです。
縄文式土器の中でも、特異なムードを漂わす火焔のフォルムは高度な意匠だと思いませんか?。
写真は東京国立博物館に収蔵されている火焔土器。
(いつかは私も手に入れたいな~精巧なレプリカ)
これだけの造形は、縄文時代の最高傑作でしょう。近年の研究で…より古く…永い年代になりつつある縄文時代。
弥生時代と並行しても北部日本では文化の流れは途絶えていなかったはず。
縄文海進期と呼ぶ亜熱帯気候に近い現在の日本列島。
一万年もの時代を狩猟や原始農法で生きた縄文人像…朱色に塗られていた土偶、古代の祭器としての土器の歴史。
独自の豊かな宇宙観で暮らしていた縄文の民…
火焔土器が発掘されたのは昭和11年の長岡市関原町にある馬高遺跡の埋蔵品。
いつのまにか…特徴ある「炎」を思わせる形から「火焔土器」と呼ばれることに。
信濃川の流域を中心とした地域で発掘される似た土器には「火焔型土器」として…型の文字が入り区別されています。
こんなに大胆で抑揚のある表現は世界でも珍しいと思います。
装飾される鋸歯状突起や鶏頭冠などが美しい形を際立たせています。
縄文式土器は当時の生活器として女性の手による物も多いといいますが、火焔土器だけは全く違う用途(神に祀る器)です。
見るたびに製作した古代のアーティストのセンスには脱帽させられます!。
まさに典型的なロストカルチャー?。
火焔土器というと私が連想するのは新潟の妙高山。
1600万年前までは大陸も陸続きで日本海も無く、妙高山の原型は水底にありました。
14~1500万年前ともなると急激に原始の日本海が形成されるようになります。
まだまだ海底で堆積土壌の塊り、活発な火山活動で隆起し始めた日本列島の原型。
遥かな時が流れ去り…おそらく4代目?妙高が火山活動と休止期のサイクルを再開した年代は数十万年前。
山体を成しては大崩壊と…繰り返す噴火や生まれた溶岩ドームは、現在の妙高山心岳となりました。
最後の大噴火は5000年前に凄まじいマグマ噴火と火砕流があり、その畏怖すべき荒れ狂う神の姿と受けた被害は…文字すらない縄文人に何世代も伝承されたでしょうね。
彼方の土地に住む部族も火山灰や…毎夜不気味に空を染める紅い光を眺めて生きていたでしょう。
まさに火焔土器は、後世に伝えようとした古代の知恵であり一種の宗教観。
変わりゆく妙高山の姿は、激しい爆発から長い時代を経て…次第に形状は進化していった…。
火焔土器が、代表的な燃えさかる形だけでなく…王冠型土器があるのも古代人の長期観測の賜物。
(土器というカタチにして祀られた山)
表面にあるS字状の模様は、山肌を蛇行して下る溶岩流のような気がします。
(形状の差は、火山活動そのもの)
オオツノ鹿やナウマン象を狩猟していた縄文の民。
地震や火山性微動なんて頻発していた頃に誕生した子供は、最近の日本人のような体験をしていたでしょう。
鎮まっていた妙高山ですが、有史以来は1400年前の南地獄岳で発生した水蒸気爆発があり、最後の噴火は人々に目撃されて記録は語り伝えられました。
幾度も被害により村落や命を失い、それでも畏れる神の山を崇めながら生活した縄文時代。
私は強く心を惹かれてやみません。
古代の息吹きが伝わってきます。