個人的見解におけるウルトラマンギンガ講評 | 気づけば更新されてるかもしれない雑多な何か

気づけば更新されてるかもしれない雑多な何か

思ったことを気の向いた時に気ままに書いているブログです。更新は気まぐれですので。

 つい数週間前まで連載していた、円谷プロダクション創立五十周年を記念した『ウルトラマンギンガ』

 この新ヒーローについて、僕はかなり個人的な見解から、考えてみたい。


 先に言わせてもらうと、「新しさ」「つまらなさ」の融合したような作品だったような気がする。


 では、「新しさ」から。

 一番大きいのは、「変身アイテム」だと思う。
 ウルトラマン、怪獣共に、「スパークドールズ」(以下SD)という人形体で登場し、それを特別な道具(劇中では御神体)「ギンガスパーク」と接触させることで、当該人形に変身(ウルトライブ)できる。
 
 これはかなり画期的なモノではないだろうか。
 ギンガスパーク(及び分身体のギンガライトスパーク)所持者は、変身するモノを自由に選べる利点がある。戦略的可能性を広げるモノとしては、かなり効果的だったと思う。
 
 これは敵の側にも言えるが(敵も、ダークスパーク及びダミーダークスパークを所持)、この特性を有効活用したのは、石動誠一郎=ウルトラマンダーク・ウルトラセブンダークだった。
 初めはマンダークの姿で現れ、ギンガ=礼堂ヒカルと交戦。途中でセブンダークへと変貌(ダークライブ)し、ギンガの動揺を誘った。彼の動揺が収まらないうちに猛攻を仕掛け、ギンガの変身を解除し、ヒカルを気絶に追い込むほどの戦闘能力を見せつけた。
 
 二つ目の新しさは、「主要人物の年齢」である。
 総じて、皆高校生なので、考え方が幼かったりする場面もあるが、視聴者にとってはかなり感情移入しやすかったのではないだろうか。(視聴者にとっても年齢は近いはず。そして、誰しも悩んだことがある悩みではないだろうか)


 では、「つまらなさ」とは。

・戦う場所が固定化。
 これは僕としては、かなり応えた。戦う舞台が、常に降星小学校(主人公の母校)というところで固定されてしまい、新鮮味が無くなってしまった。(一応宇宙で戦う場面もあったので必ずしもこの限りでは無い)
 これの要因として僕が考えたのは、「巨人と怪獣の存在は一部の人間しか知らない」という設定と共に、「変身アイテム」が要因なのではないか、と思う。

 ウルトラマンギンガのSDは常時ギンガスパークに収納されているから良いとして、それ以外のSDは、どこか収納できる場所を確保しなければならない。そうなると、常に大量の人形を抱える必要がある。当然動きは鈍るし、見た目を頂けない。変身アイテムを変えた結果が場所の固定化につながったのではないかと考えている。

・新規怪獣は登場しない
 これも萎えた原因の一つ。登場怪獣を上げてみると、
 ブラックキング・サンダーダランビア・ケムール人・キングパンドン・ラゴン・ドラゴリー・タイラント(及び素体の七怪獣)ダークガルベロス・ザラガス・レッドキング・アントラー・ジャシュライン・スーパーグランドキング・ジャンナイン
 登場ウルトラマンは、
 ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンティガ

 実質的に、新規怪獣は登場せず、新規ウルトラマンはギンガただ一人となる。おまけに、怪獣の方は、初代ウルトラマンのそれが大半を占める。
 一番分かりやすいのかも知れないが、逆に知っている僕からすると、物足りない感じが否めないのである。

 そして、つまらなさとは関係ないかも知れないが、敵味方共に、不明な点が多々あったことも、疑問点だった。
 最後の敵ダークルギエルは、”全ての生命の時間を止める”と言っていたが、止めた後はどうするのか。世界の覇者になりたかったんだろうか。
 そしてギンガも、”未来から来たウルトラマン”と最後で明かされたが、この”未来から来た”という設定が今一生かされていないような気がした。
 
 こういう点で、少し勿体無かった気がした。

 可能性を秘めたウルトラマンギンガ。劇場版スペシャルⅡの放映での展開が楽しみだ。