数秘講座の最終課題としてのレポート提出をもって基礎講座は卒業となります。

梨園に生を受け、脈々と受け継がれてきた伝統を自身がしっかり繋ぎ、さらに海外へも目を向け歌舞伎界の発展に力を注いだ中村勘三郎さんをリーディングされたHiromiさん。常に自分のアイデアを形にするべく新しさに挑戦していた勘三郎さんの生き方を読み解いていく中で彼女の内側に浮かんできたものはどんな事だったのでしょうか。

(2019年10月のものです)

 

十八代 中村 勘三郎

~伝統ある歌舞伎に新風を吹き込み駆け抜けた人~

 

本名: 波野 哲明(なみの のりあき) 

出生: 1955年5月30日

没: 2012年12月5日 (57歳)

職業: 歌舞伎役者 俳優

 

歌舞伎役者の家庭に生まれ育ち、伝統を守り伝承していくことと、自分らしさを出すことに葛藤した人生を、数秘を見ながら振り返ってみたいと思います。

 

 

 

<誕生数> 生まれ持った資質、人生の使命     

# 1(19―10)

カルミックナンバーの19と10を持つ1番の勘三郎さん

家族や自分の殻から抜け出そうともがき、揺れて不安定になり、せっかちな未熟面を出しながら自立を目指し人に癒しを与える人です。

本当の意味での自信と威厳を現実社会で確立していくことを学ぶ、力のある人で金銭的に困らない人です。

平成中村座を立ち上げ、様々なトラブルがありながら海外公演を実施し、継続させることができたのも、#1の性質が出ています。

#10スピリチュアルナンバー 

霊的な素質を豊かに発揮する能力に恵まれています。

直感力や洞察力インスピレーションが目的成就への有効な手段となります。

 

<運命数> 表面の意識、仕事面に出る       

# 8

パワフルで革命的向上心を持つが、納得できないと動けない一面があるのが特徴です。組織の中でトップを目指すには、ワンマン、短気に気を付けシェアをする事が大事です。

コクーン歌舞伎、平成中村座の立ち上げを行うことが、歌舞伎界への新たな挑戦になりタイプⅡのLeadの#3ともリンクして、自分の考え構想を口にすることで周囲を巻き込み、一緒に創りあげていくことができたのだと思います。

 

<ソウル数> 心の中にある魂の欲求        

# 5

自由でありたい 歌舞伎という伝統を守り、伝承していく責任を背負いながら新しいもの、演じる時に合わせた演出、自分の感じるまま思うように演じたい気持ち、周囲を巻き込み、勘三郎さんは魂の欲求に従って行動していた姿が見えてきます。

 

勘九郎として最後の年に、夢は叶うもの、自分でできる限りの努力をすれば。

一番大切な事は諦めないこと、どんな時でも自分の夢を捨ててはいけない、夢を持っていれば必ず突き進んでいけると想いを伝えています。

 

<人格数> 環境などから身に付けた表面的人格(ペルソナ)   

# 3(30)

お茶目な遊び人、アイデアマン、多趣味多忙、人を癒し惹きつける人

プライドも高く失敗に対する不安も強い、メンタル面が弱いところもあります。

勘三郎さんは子供の時から天真爛漫で、物怖じしないのびのびした演技は「天才少年」と称され、父や祖父の芸を受け継ぐ歌舞伎界のホープとして期待されていました。人との交流も広く信頼も強かったようです。

 

<実現数> 何を実現しようとしているか    

# 9

9番は、完成・完結ナンバーです。歌舞伎の伝統継承と新しい風の融合に取り組んだ勘三郎さんの功績は、歌舞伎役者の活躍の場をテレビドラマ、舞台、ミュージカル、ラジオなど枠を超えて社会と繋いだことからも伺えます。

 

 

<ステージ> 活躍の場     

# 8

勘三郎さんにとって活躍する場所は、まさに歌舞伎の世界でした。

4歳(22)で五代目中村勘九郎を襲名し、桃太郎で初舞台。

49歳(5-14)で五代目中村勘九郎を桃太郎で舞台納めをしました。

50歳(6)に入り十八代中村勘三郎として本格的活動が始まりました。

#8は、達成の場であり、様々な力の中でバランス、コントロールが必要で体と心(健康)にも注意が必要です。#6サイクルともヒットして、病に注意が必要な時期だったように思えます。

 

<チャレンジ> 生涯をかけて挑戦していくこと   

# 1(19-10)

誕生数と同じ数字を持つ勘三郎さん

歌舞伎の伝統継承と現代の新しい考えの融合への挑戦、新風を吹き込むことが始まり自立の数字#1を持つ特長だと思います。

コクーン歌舞伎や平成中村座の立ち上げ、ニューヨーク公演、現代劇と歌舞伎の融合を進めた事が挑戦でした。

 

 

<タイプⅡ>  

人生の航海図を読み解く鍵になる その人の個性、特質を教えてくれる。

 

Creation 創造する力  何かを生み出す力

#4 基礎をしっかり形成させ、実際の成果を導く力があり、学び教える事ができる。

着実性やこつこつ時間をかける忍耐力があり形にする能力があります。

勘三郎さんが子供時代からドラマ・ラジオと多方面で活躍し、人脈を得て行ったことが、コクーン歌舞伎・平成中村座の立ち上げに繋がり、この力が発揮されたものと思います。子供達や次世代に与えた影響も大きかったようです。

 

Growth  魂の成長 何かを成長させる力

#2 真の自立した人間関係を学び、受身から自立へ自らの人生に責任を持つ人

勘三郎さんの誕生数、チャレンジ数の後押しをして、歌舞伎の伝統継承を守り伝えるだけでなく、自分の思い、構想を取り入れ新しい事への挑戦にも影響があったと思われます。

 

Maturity  集合意識へのシンパス

#3 感情(怒り・イライラ)にまつわる集合意識のキャッチ コミュニケーション能力を発揮できる人

人懐っこいお茶目な面を持つ勘三郎さん。楽しく過ごす事、場を盛り上げる事に長けていたのは、この力も影響があったように思われます。

 

Lead    リーダーシップ(職業での立ち位置)人をどう導くか

#3 感受性豊かな表現により、人の心に光を灯す。その人のエネルギーをもらいインスピレーション・ヒントを与える中でリーダーになっていく人

勘三郎さんの歌舞伎に対する取り組みは、自分の考え構想を口にする事で、周囲の人のアイデアを生み出して一緒に作りあげていったようです。 

       

Support   サポートする力 何かを支援する力

#1 無気力・病・不満など自分が経験したことをシェアして、勇気を与えて行くことができる人だが、一匹狼的

八月休演が通例の歌舞伎座で、納涼歌舞伎を初上演できたのもこの力の影響があったかもしれません。

2012年、病気入院中に、野田秀樹に癌で入院して医療器具につながれた姿を芝居にしたいから、しっかり記録をしてほしいと話されたことも、病と戦う人への応援だったのではないでしょうか。

 

MakeMood  どんな空間造りができるか

#5 刺激(香り、音楽などのアイテムを使う)をもたらすバイブレーション 

リズミカルでペースがはやく、変化と冒険の人

シアターコクーンでの「コク―ン歌舞伎」上演、新作歌舞伎「野田版研辰の討たれ」平成中村座の海外公演などに特質が発揮されています。

 

Body     身体エネルギーの強さをみる

#1 バイタリティー循環、エネルギーが回らなくなると、不安によるうつ病に注意が必要です。運動が必須です。

2010年末から2011年の体調不良に現れたのかもしれません。

 

Emotion    情緒、感情の強さの現れ

#5 鋭利な感受性 束縛と自由 激動と熱情 激しくのたうちまわるエネルギーを持つ人です。エネルギーの循環が必要で、日々忙しく移動や時間刻みの仕事をしたり、仕事から離れてゆっくりエネルギーを回す時間を無意識のうちに行っていたようです。

 

Inteligence   知的才能とそれをどう役立てるのか

#3 人の前で話すこと。パフォーマンス表現することをやるべき人。

習うよりやった方が良い、理由なき才能を持った人

勘三郎さんは、このInteligenceの#3の特性を思う存分に発揮したように伺えます。

 

 

<タイプⅢ> 2極的性性質が表記される

Balance プラスなので先天的にたくさんの資質を支えられています。

 #4    何をやってもそこそこできる。だが、本人は認めない。気づきにくい。

 

 

<人生の周期> 4つの周期に分類される

Cycle Numbers:その時のテーマ(cy)

Pinacle Numbers:その時の状況(p)

Challenge Numbers:その時の課題(ch)

 

➀0~35歳 10歳から#2自分の人生 結婚・子供の誕生、親友たちとの出会い(cy:5・p:8・ch:2)

自由に新しい風を起こし、形になったものを更に活性化させ、不可能への挑戦と開拓をすすめる時期でした。

課題として調和を計ることでした。

子供の時から天真爛漫で、人望もあり歌舞伎だけでなく、テレビドラマ・舞台・ミュージカル・ラジオと幅広く自由に活躍していた勘三郎さん。

その経験の中で人生の仲間との出会い、自分の思い、夢を語り共有し、達成を目指し日々努力を積み重ねていました。

歌舞伎の世界で生まれ育った同じ環境であった、好江さんとの結婚は、自分の破天荒な行動、考えを理解し、共に歩んでくれる最高の理解者を得たと思われます。

二人の子供の誕生、自分の思い「中村屋」の未来を託していける心強い後継者にも恵まれ、充実した時を過ごした時期であったように思われます。

第一サイクルは、家族障害が起こりやすいが、新しい風を起こす数字を持っているので調和が図れたと思われます。

 

 

②36~44歳  新しい立ち上げへの経験と学習

(cy:3(30)・p:5(50)・ch:1)

楽しく表現し、具体的な計画のもとに、より多くの事を経験しながら視野の拡大、開花を楽しみ、自立、何かを確立することを課題とした。

32歳(4-6)で、父十七代中村勘三郎と死別し後ろ盾をなくしながら、父から引き継いだ演目を必死に演じるなかで、夢をかなえるために諦めない努力を続け、39歳(4-13)で、渋谷シアターコクーンで「コクーン歌舞伎」を初上演 

父から習った最後の演目「四谷怪談」を上演しました。

これが、五代中村勘九郎の名を世間に広げるきっかけとなり、今後の活躍を裏付けるものとなりました。

 

 

③45~53歳  夢の実現と勘九郎から勘三郎へ襲名

(cy:3(30)・p:4(13)・ch:1)

楽しく表現し、基盤をつくり、安定を図りながら#4(13)の創造と破壊を繰り返し、常に学びを喚気させられる厳しいナンバーを勘三郎さんは持っていました。 

自分の思い通りに行かなかったり、人道的な軌道をはずれたり、欺きがあると大変な事態に発展することがあります。自立が課題となります。

19歳の時に小屋を作り、世界の色々な人々に歌舞伎を観てもらいたいと思った思い、勘三郎襲名に18年の歳月をかけ、勘九郎のままで良いのではという思いがあるが伝統ある名を継承していかなければならないなど葛藤がありました。

45歳(5-10)に、夢であった、江戸時代の芝居小屋を模した仮設劇場「平成中村座」を隅田公園内に立ち上げ、夢を着実に現実のものに進めて行きます。

勘九郎として最後の演目を「苦労納御礼・今昔桃太郎」桃太郎で勘九郎を襲名し終わらせる勘三郎さんのお茶目な一面を周囲の人も理解し、楽しんで創りあげていった様子が伺えます。

50歳(6-8)に国税局より申告漏れを指摘され、長い間経理を任せていた人の裏切りが勘三郎さんの精神的苦悩の始まりで、社会的制裁を受けてしまいました。

 

 

④54歳~  精神不安からの体調不良

(cy:2(20)・p:7・ch:3)

いろいろな変化を受け入れ、人間関係と協調性を学び、本来の自分を内省し精神の充実を計り、平穏さを保ち、コンセプトや計画をより深めていくことを楽しみながらコツコツと取り込んでいくことが最終サイクルのテーマになっています。

54歳(6-10)で長男が結婚し、親としての責任から解放されました。

過密スケジュールからの体調不良 毎年受けていた健康検査を受けず、遅れて受けた検査での食道ガンの発見(6-13)体に影響の出る生と死の№の年です

手術後の復帰を急ぐ気持ちが招いた、誤嚥からの肺炎併発

急性呼吸窮迫症候群(ARDS)に陥り、自分の夢だった外国人演出家に歌舞伎を演出してもらいたい、自分がいなくなった未来にも色々なところで「中村座」を開催してもらいたい、との思いを二人の息子・孫に託し2012年12月5日 57歳(6-13)で永眠する。

 

 

 

<History>

 1955年5月30日(#19)

  姉二人のあと、中村屋の跡取り息子として東京都で誕生する

            父:十七代 中村勘三郎

            母:元代  六代 尾上菊五郎の娘

            長女:久里子

            次女:千代枝

 

1959年4月 4歳 (#22)

歌舞伎座にて「昔噺桃太郎」桃太郎で五代目、中村勘九郎襲名し初舞台をふみました。

#2は芽吹き、#4は基盤作り、#22仕事面であらゆる分野の創造、開拓、指導を目指すところでの初舞台と襲名を迎えています。

歌舞伎役者五代目中村勘九郎の活躍を予言するかの良い時期のスタートだったと思います。

  

1965年  10歳 (#2) 自分の人生を進みはじめる

舞台・映画・テレビ・ラジオで子役として活躍

 

1986年  13歳 (#2-5) 親子でしか演じられない「連獅子」を初めて踊る

父(十七代中村勘三郎)と「連獅子」を踊る。

歌舞伎の演目の中で親子でしか踊ることができない連獅子を2周期の5サイクルで踊っていることは、歌舞伎を継承していく中で父の背中から多くのことを学ぶ大切な場になったのかもしれません。

 

1977年  22歳 (#3-5) 初ミュージカルに挑戦する。

「若きハイデルデルヒ」初のミュージカルで大竹しのぶさんと初共演する。

ここで共演した大竹しのぶさんとは、共演中に遊びに行ったりしていたとのエピソードがあります。

この時にはそれ以上の発展はなく、数年の時を経て、親友と呼べるような関係になっていきます。

3周期の5サイクルという時に出会った大竹しのぶさんは、勘三郎さんにとって互いに成長したい気持ちや楽しみたい気持ちを刺激し合える存在だったのかもしれません。

 

1980年  25歳(#3-8) 結婚

子供の頃から直接話をする機会は少なくてもその存在は知っていた七代目中村芝翫さんの娘、好江さんと1979年夏(#3-7)で再会したことで赤い糸が繋がったと感じ、1980年11月27日に結婚しています。

勘三郎さんにとって3周期の8サイクルでの結婚は、「中村屋」を楽しく発展させていくのに良い時期での結婚であったと思われます。

 

1981年 26歳 (#3-9)

長男誕生 1981年10月31日 波野雅行

 

1983年 27歳 (#3-10)

次男誕生 1983年5月18日  波野隆行

 

1985年 30歳 (#4)

野田秀樹と出会う(基盤を作る)

 

1986年 31歳 (#4-5)   父との「連獅子」を踊る

これが父(十七代中村勘三郎)との最後の共演となりました。

後にこの共演について、高齢になった父を心配していたが、舞台の上の父親に後光がさし、なんて役者なんだと感じたと語っています。

この共演が勘三郎さんにとって父親がとても大きな存在であり、いつでも心の中にいて十七代目が喜んでくれるよう役者になりたいと思うようになる出来事の1つとなりました。

師から学びながら基盤を作るのに良いタイミングでの共演ではありますが、5番は障害ナンバーとも言われる数字であるため、偉大な父(十七代中村勘三郎)に捕らわれることなく、自分らしい歌舞伎役者に向けて基盤を作っていくことを大切にするべき時でもあったように思います。

 

1987年 31歳 (#4-5) 2人の子どもが同時襲名する

長男 雅行 5歳2ヵ月 二代目 中村勘太郎

次男 隆行 3歳7ヵ月 二代目 中村七之助

「門出二人桃太郎」で初舞台。

 

1987年 32歳 (#4-6)

父(十七代中村勘三郎) 肺癌が見つかる

歌舞伎座百年記念興行幕開け一月の舞台9日目で父の演じた俊寛の代役を務めた。

入院中の父から「四谷怪談」を最後に教え受けた。細かく教えてもらい、習ったことはすごくためになったそうです。

 

1988年 4月16日 32歳 (#4-6)

父、十七代中村勘三郎死去 

歌舞伎の世界で、まだまだ未熟な時に偉大な父の後ろ盾を失くし「中村屋」の今後への不安、途方に暮れている時に「四谷怪談」を公演する機会があり、五代目中村勘九郎という役者を世間に知って貰えるようになりました。

#4基盤を作る時期に#6父との死別により、自分の学ぶもの、内面の強さを養う時期だったと思われます。

 

1990年 8月 35歳 (#4-9)

8月休演が通例の歌舞伎座で「納涼歌舞伎」を初上演する。

今までの堅い歌舞伎のイメージを軟化させ、江戸時代のような芝居小屋で歌舞伎をやると宣言したのがこの時期です。

 

1994年 39歳 (#4-13)

5月渋谷シアターコクーンで「コクーン歌舞伎」を初上演。

父から習った最後の演目「四谷怪談」を上演しました。舞台での必死さ、一生懸命さ、純粋な姿が伝わり、五代目中村勘九郎の芝居を観に若い人達が劇場に足を運ぶとか、今まで歌舞伎を観たことがない人が歌舞伎座に来るとか、新しい風を起こしたきっかけになったようです。

 

2000年 45歳 (#5-10)

11月浅草、隅田公園内に江戸時代の芝居小屋を模した、仮設劇場を設営「平成中村座」と名付け「隅田川続儀法界坊」を上演。

19歳(2-11)の時に、唐十郎さんの状況劇場 赤テントを建てて狭いところにぎゅうぎゅうで座り、演じている役者と観ているお客の熱気が伝わる様をみて、江戸時代の人達もこうやって芝居を観ていたんだろうという思いから、芝居小屋での歌舞伎上演を目指してきたことが、宣言から10年で立ち上げることができました。

 

2001年 46歳 (#5-11)

8月野田秀樹脚本・演出による新作歌舞伎「野田版研辰の討たれ」を歌舞伎座で上演する

 

2004年 49歳 (#5-14)

7月ニューヨークで平成中村座を設営して「夏祭浪花鑑」を上演

演出に串田和美を迎える

12月歌舞伎座渡辺えり子脚本・演出「苦労納御礼・今昔桃太郎」の桃太郎で五代目中村勘九郎舞台納めをする。

(5-14)海外と縁のある時期に、ニューヨーク公演が行われ、今後の海外公演の道標を立てることができたのでしょう。

歌舞伎という世界で、自分はどうあるべきか考えた末での決断 

勘九郎という名に未練を持ちつつ、次のステップへ進むことを選択しました。

 

2005年 50歳 (#6)

3月~5月 十八代中村勘三郎襲名公演を行う。

 

2007年 52歳 (#6-8)

ニューヨークで平成中村座再演 ドイツ・ルーマニアなど海外で公演

5月、2005年まで3年間の申告漏れを東京国税局から指摘される

 

2008年 53歳 (#6-9)

11月 紫緩喪章受彰する

 

2009年 54歳 (#6-10)

10月28日 長男二代目勘太郎と前田愛 結婚

結婚披露宴で、嬉しさのあまり酒を飲みすぎ酔いつぶれ、披露宴後の記者会見をキャンセルしたエピソードがあります。家族の繋がりを大切にする勘三郎さんらしい、喜び溢れた息子の結婚だったのでしょう。  

 

2010年 55歳 (#6-11)

年末よりうつ病診断を受け入院

2011年2月 初孫誕生

2011年3月 うつ病ではなく特発性両側感音難聴と診断

 

2011年 56歳 (#6-12)

7月舞台復帰する

11月~2012年5月 長男中村勘太郎 六代目勘九郎襲名

平成中村座ロングラン公演を行う。

10月10日義父七代目中村芝翫 死去

 

2012年 57歳 (#6-13)

6月 初期食道ガン発表

7月27日手術

8月2日誤嚥から肺炎、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)

12月5日 死去する

 

 

まとめ

今回の数秘を学んでみて私自身が、自分のことを見つめるのを避けている

何か理由をつけて別の方向へ切り替えている、無意識にしていることが多いことに気づきました。最終リーディングの方を選出するのに、自分と同じ誕生数の方の人生を追うことで何かヒントを得ることができればと思いました。

 

中村勘三郎さんは歌舞伎役者の家庭に生まれ、仕事も歌舞伎役者を選択する運命の方でした。決められた運命の中でもがき、苦しみ自分らしさ、自分の夢を求め努力する姿に感動しました。勘三郎さんは、父の姿を見て歌舞伎の演目の踊り、表現などを学んでいます。

そして、その勘三郎さんを見て、二人の子供が成長しています。

伝承されてきたものを自分が当たり前にしている事で、苦ではなかった事柄を子供たちが継いで行ってくれる喜びと安心が感じられます。

親の姿を見て子は育つ。私の中にも無意識にある親から引き継いだもの、得たもの、その得たものを無意識に子供へ残そう、伝えようとしていた自分に気づきました。

今回の数秘講座、何で受講しようと思ったのか。自分を見つめる一つの手段になる?

受講したいと言った、娘と息子を連れて行き、最後まで見届けたい。

同じ空間で一緒に学び、共通の時を過ごすことを大事にしたい。

そんな私の姿を見て子供達が何かを感じ、思い、成長へと繋がってもらえれば大変嬉しく思います。

 

夢は叶うもの 自分でできる限りの努力をすれば

一番大事なことは諦めないこと 自分の夢は捨ててはいけない

夢を持っていれば必ず突き進んでいける 

と言った勘三郎さんの思いが心に残ります。

私の夢は何だろう。漠然としているものを整理して、これからの人生を楽しく過ごして行きたいと思います。

 

食道ガンからの肺炎の併発、勘三郎としての責任、焦りから生じたものかもしれないと考えると残念でならない。病気から復帰した勘三郎さんの活躍がもっと見たかったと思う気持ちと勘三郎さんの二人の子供、孫の今後の活躍を楽しみにしています。

 

first-year student by Hiromi・H

Zero Point Academy 

 

2019/10/20