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昭和51年3月生まれのゲーム人生

ゲームに出会ってからの色々とあった人生話です。
私の取り巻く環境と人間関係が生み出したエピソード。
同年代の方に少しでも笑って頂きたい。
そうじゃない年代の方にも笑って頂きたい。
うろ覚えの内容なので、間違ってるかもしれませんがそこも笑って下さい。

1989年、何とか慣れなかった中学校生活も

 

落ち着き、中学2年生になる。この頃ぐらいから、

 

同学年にヤンキーが生まれる。笑。

 

ボンタンや変形ズボン、短ラン、長ラン、茶髪に金髪。

 

私の世代のヤンキーバイブルはろくでなしブルース!

 

先輩達に目を付けられる前に仲良くして傘下に入る。

 

女の子と仲良くしてるチャラい派と渋い武闘派が

 

よくぶつかり合ってました。小学生時代のケンカ

 

とは大違いの流血の殴り合い・・・ハンパない

 

抗争を繰り広げていました。ヤンキー達は

 

強制参加のクラブ活動をサボりたむろってます。

 

先生達も手を焼いてました。注意すればマイカー

 

をボコボコにされるのが怖かったのか放置して

 

ましたね。マフラーにパンを詰めたり、ドアミラーを

 

壊す、ボンネットや天井でトランポリン!

 

もう、ただの暴徒です。そんな中、私は真面目に

 

クラブに行っていたのですが、秋に入ったぐらいの

 

日曜練習の日に私は当時集めていた

 

『ドキドキ学園』のシールをクラブ終わりに友達と

 

交換の約束をしていたので持参していました。

 

(中2でシール集めはかなりダサいです・・・笑)

 

練習中に顧問の先生が部室に置いてある

 

荷物を抜き打ちで調べたようです。

 

当然、私のカバンからは『ドキドキ学園』の

 

シールアルバムが出てきます・・・・。

 

友達も数名持ってきていたので見つかります。

 

練習が終わり、顧問の先生に呼び出されました。

 

「横一列に並べ!なぜ呼ばれたか分かるか?」

 

怒鳴りつけられた直後に端からビンタです。

 

「お前たちは何しに学校に来ている?」

 

仲間の一人が「クラブ活動です!」と答えると、

 

「そうだよな!こっちこい!」と全員をゴミ置き場

 

へ連れて行き、めっちゃ燃えてる焼却炉の蓋を

 

開けてみんなの『ドキドキ学園シール』を放り込む!

 

あまりにも一瞬で残酷な仕打ちに泣き出す仲間達。

 

私は思わず「なにすんじゃ!」と叫んでしまいました。

 

顧問がロックオン!胸ぐらを掴まれ連続ビンタ!

 

鼻血が噴き出すが更に押し倒され蹴られる。

 

みんな怖くておびえていました。誰かが呼んだのか

 

他の先生が止めに来ました。

 

(今の時代だったら完全にアウトです。笑)

 

その後、保健室に行き手当を受けて他の先生が

 

自宅まで車で送ってくれました。私の母に事情を

 

話して平謝りでした。母は悪いのはこの子だから、

 

先生方は気になさらないで下さい・・・はぁ?

 

こいつ何言ってんねん?このクソババァがぁ!

 

って思ってました・・・笑。翌日の月曜日はクラブ

 

は中止となり、この噂を聞きつけた先輩ヤンキー

 

さんが私のクラスにやってきました。ざわつく教室。

 

私の名前を言って、どいつや?と・・・めっちゃ怖いやん。

 

誰かがあの人ですと指を刺す、真っすぐに

 

向かってきて私の席の前で後ろ向きで座り、

 

対面状態・・・「お前、○○に噛み付いたらしいな?」

 

「やるやんけ!俺、アイツがめっちゃ嫌いでな!」

 

「名前覚えたから、困ったことあったらいいに来いよ!」

 

「じゃあな!」・・・去っていく先輩ヤンキーさん・・・

 

まさかの校内有名人のヤンキーさんに声を掛けて

 

もらい、同学年のヤンキー達も一目置く存在に

 

なってしまいました。その日、顧問の先生から

 

直接謝罪がありました。他の先生と顧問、私だけで

 

生活指導室で謝罪されましたが、燃やされた

 

『ドキドキ学園シール』は帰ってきません。笑。

 

私は「絶対に許しません」とはっきり言いました。

 

ビンタや蹴りの暴力より、人の大事なものを

 

目の前で燃やすことが許せない。そんな人の

 

教育を受けたくない!と伝えました。愕然とする

 

顧問と付き添いの先生、返す言葉もないのか

 

黙っている先生二人・・・・。

 

私は勝手に退室しました。ものすごい高揚感と

 

後悔というか取り返しのつかない事を言った

 

ような気がして震えました。この事を家に連絡

 

されたら両親の大説教だろうな、帰りたくない・・・

 

帰宅後、特に母から言われることがなかったので、

 

先生は連絡しなかったようです。

 

ここにきて、今まで食らい続けた大人の理不尽

 

に爆発してしまいます。翌日のクラブはブッチ

 

しました。この行為も噂となり、同学年のヤンキー

 

が気を使ってくれて遊ぼうや!と誘ってくれました。

 

それからが楽しかったです。髪の毛のセットの仕方

 

や短ランや変形ズボンを譲ってくれて、最初は抵抗

 

ありましたが着ていくうちに気に入りました。

 

意外だったのがヤンキー君たちはみんなゲームが

 

大好きでした。親が日中不在の子の家がたまり場で

 

毎日、そこで色々遊びました。

 

完全にクラブをサボり行きません。顧問もあれだけの

 

事を私にしたので注意もしません。弱冠の罪悪感は

 

ありましたが家に居場所がないし、皆といれば

 

楽しいし・・・父はさすがに怖いですが、母に対しては

 

絶対に従わないと反抗していたので怖くなかった。

 

この一連の流れがきっかけとなり

 

中学2年生の冬、私の生活が激変したのです。

 

どヤンキーではないですが、いい意味でも

 

悪い意味でも注目される集団に所属します。

 

人生に置いて、ターニングポイントだったので、

 

長々と書きましたがゲームの話がどこに行ったの?

 

って感じですが、この出来事のおかげで

 

1989年の冬休みに神ゲーム機に出会いました。

 

ヤンキー仲間の子が灰色の物をもってピコピコと

 

ゲームをしている・・・・なに?それ?

 

「えっ?お前知らんの?ゲームボーイやで!」

 

 

?知らない・・・プレイを見させてもらい感動!

 

ゲーム&ウォッチみたいな物ではなく、

 

モノクロのファミコンやん!すげぇ!

 

こんなものが発売していたなんて!大興奮!

 

その理由はファミコンはテレビがいるがこの

 

ゲームボーイは携帯ゲーム機!自分の部屋で

 

親にバレずにゲームが楽しめるやん!

 

ほ、欲しい・・・一気に夢の世界が広がった。

 

「これ、いくらするん?」

 

「12500円やで!」・・・・た、高い!・・・無理。

 

この時は冬休みの12月暮れ、お年玉は

 

まだ貰えているので正月に何とか手に入れる

 

作戦を発動!いよいよ家でゲームができる!

 

ただし、お年玉の支給額によるな・・・・

 

中1の時は5000円だった、最悪5000円なら

 

7500円足りない・・・どうやってお金を作ろう・・・・

 

さあ、夢のゲーム機を手に入れることはできるのか?

 

・・・つづく