佐藤之俊さん


2005年の8月。

ゴルフから帰ってくると右肩に痛みがあった。

最初、整骨院で診てもらったが痛みは取れない。

整形外科へ行きレントゲンを撮った。

さらに医者が、肩ではなく胸の方を撮りたいと言うので、診てもらったら、国立病院の受診を勧められた。


実はこの頃、咳が止まらないことがあり、痰が切れなかったり、痰に血が混じることがあった。

紹介された国立病院を受診して、肺腺ガンが見つかった。

大きさは既に5㎝に達しており、このままでは手術は不可能。

余命一年。

突然の宣告だった。

翌日から入院。

抗ガン剤と放射線でガンを叩き、小さくなれば手術をするという治療方針でスタートした。


彼はちょっと変わった患者だった。

パジャマは一切着ない。

入院仲間に仲良しを作り、いつも声を上げて笑いながら喋っていたので、看護師さんからは睨まれていた。

そんな入院生活を支えてくれたのは、妻の宏美さん。

入院することになった夫に代わって、焼鳥屋の経営を引き受け、その合間に毎日見舞いに駆けつけた。



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(本文とは関係ありません)


抗ガン剤と放射線治療の結果、ガンは4分の1に縮小。

手術は無事に成功。

2005年の11月末、退院した。


その後の1ヵ月ごとの検査で、主治医から言われる言葉はいつも同じ。

「順調やな、順調やな」

その言葉にすっかり安心してしまい、いつしか元のいい加減な生活態度に戻っていた。


そして退院から1年を迎えようとしていたある日、定期検査の結果を聞くために主治医の言葉を待っていた。

主治医は切り出した。

「残念やけど、再発や」

5年生存率3%と告げられた。


思い浮かぶのはかつて入院していたときのある情景。

食堂で仲間と話していたら、看護師さんが走ってきて戸を閉める。

その前を、ストレッチャーが通り過ぎていく。

亡くなった人を乗せて。

迫りくる死への恐怖で、待合室に戻るなり涙がこぼれた。

200612月のことだった。


翌年の1月。

ガン患研主催の『ワンデイセミナー』に参加する。

ここで〈治ったさん〉に初めて出会い、ガンが治せることを知った。

ガン患研代表の川竹は、白板に氷山を模した『がんの原因と結果の図』を描いて言う。

「ライフスタイルの乱れ。食事の乱れ。心の持ち方の乱れ。この3つがガンの主な原因」

「ガンは患者が自分で作ったもの。自分が作ったものは、自分で治せる」


彼はここで初めて、これまでの生活ぶりを振り返り始める。

午前7時、起床。

午前4時過ぎ、就寝。

しかも、朝5時までカラオケで騒ぐこともしばしば。

典型的暴飲暴食。

大好物は、3種類のカップラーメンを混ぜ合わせたもの。

そしてお酒。

突然脱サラして、経験のない焼鳥屋を始めたため、お金のプレッシャーがキツかった。

妻の宏美さんとは学生結婚。

双方の親の同意を得ないままの結婚が、さらなる重圧となっていた。


セミナーの日を境に、彼は猛然と治すための実践を開始した。

⚫︎5時起床、10時就寝

  目覚めるとすぐ布団の中で、「ありがとうございます」を100回唱える。

⚫︎食事

  完全な玄米菜食。

⚫︎手当

  ビワ葉、里芋、生姜、彼岸花の根っこ、味噌、コンニャクなど身近にある自然の素材を使って行う。中でも半身浴が大のお気に入り。

⚫︎散歩その一

  山里の風景を愛でて歩きながら、心に感謝の言葉を繰り返す。

⚫︎散歩その二

  小さな寺には石仏が並んでおり、苔むしたその一つ一つに静かに手を合わせ、「治りたい一心で、心を込めて」無言の祈りを捧げる。

⚫︎散歩その三

  見晴らしの良い高台で、独特の呼吸法。足の先から、地面のエネルギーと新鮮な空気をスーッと吸って止め、イメージで体を巡らしてからゆっくりと吐き出す。

⚫︎散歩その四

  散歩の最終コースは神社。人が来ない本殿の裏で、山に向かって大きな声を張り上げる。「良いことがある。ますます良くなる。必ず良くなる」10回でも20回でも、気の済むまで。

⚫︎移動の車中で

  窓を閉めきって、「良いことがある。ますます良くなる。きっと良くなる。必ず良くなる」毎日20回唱える。大声で、1500回、「治る、治る、治る、治ったあ!」さらに「アハハハハハハ」と大笑いも1500回。

⚫︎その他

  爪もみ。ツボ押し。砂浴。砂袋の上に寝る。温泉療法。座禅。


20076月。

入院検査を受ける。

MRIPET、骨シンチ。

「異常ない。消えてるわ。何もない。正常や」

そう言った主治医はすぐに、首を傾げて考え込んでしまった。



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(本文とは関係ありません)


10年前、プレッシャーから来るストレスは全て、従業員と宏美さんに向けられた。

口を開けばいつも誰かをぼろくそに怒っていた。

それが、今はどうだろう。

宏美さんに言わせれば「昔に比べたら、恐ろしく、いい人になった」

彼はこれまでの道のりを振り返って言った。

「ガン治すために散歩や掃除をやり続けて、そしたらいつの間にか、自分という人間が変わってました。そやから


「私は、ガンで、自分を治したんですわ」